令和4年6月18日(土)曇り
体操会の会長さんはゆとりのある功成り名遂げた典型的な方、
世話好きで人脈が広い。
世話好きで人脈が広い。
先日支援しているチベット人歌手が
「私が日本に住む理由」BSテレビ東京に出るので
「私が日本に住む理由」BSテレビ東京に出るので
是非見てくれとのお話がありました。
バイマ―ヤンジンさんは日本で歌手活動や講演会で稼いだお金で
チベットに何校も小学校を建てているそうです。
会長さんはバイヤーマンジンさんを数十年前から支援しているそうです。
最近はコロナのせいで演奏会や講演会に呼ばれなくなった
そうなので最近ライオンズクラブの会合に呼んだそうです。
しかし参席者達は興味がなくざわついて歌も話も聞いてくれる方
皆無だったらしくて、彼はヤンジンさんに申し訳ないことをしたと後悔しています。
皆無だったらしくて、彼はヤンジンさんに申し訳ないことをしたと後悔しています。
テレビを観て感じることは人それぞれだと思います。
頑張り屋さんだな、人の縁に恵まれている方だな、
誠実な日本人男性に巡り合ってよかったね、etc、etc。
誠実な日本人男性に巡り合ってよかったね、etc、etc。
しかし私はみました。
テレビではその件については一言も言及されませんでしたが
支那に占領された国の惨めさをまざまざとみました。
支那に占領された国の惨めさをまざまざとみました。
一世紀程前に日本は台湾、朝鮮を植民地化して朝鮮人を奴隷の
ような地位に落としたと、いまだに責められていますが、
1992年9月12日にラクダでタクラマカン砂漠を横断する旅に参加して、2年後に私が発案して今度は4WDで砂漠を一周する旅を
企画しました、6人集めたら実施しますと旅行会社に言われ、
必死で7人集めて催行しました。
私も若かった50代前半の頃です。

赤線が行程、砂漠の真ん中の集落はまるで異世界でした、


和平飯店に泊まりOLD JAZZ BARでジャズを聴きたかったので
上海回りにして頂きました。
企画しました、6人集めたら実施しますと旅行会社に言われ、
必死で7人集めて催行しました。
私も若かった50代前半の頃です。

赤線が行程、砂漠の真ん中の集落はまるで異世界でした、


和平飯店に泊まりOLD JAZZ BARでジャズを聴きたかったので
上海回りにして頂きました。
「OLD JAZZ BAR」という名前の通り、演奏者も熟年の方揃い。
平均年齢はなんと80歳だそう。年齢を感じさせない力強い演奏です。
平均年齢はなんと80歳だそう。年齢を感じさせない力強い演奏です。
私は1992年9月12日~10月17日までの35日間と
1994年8月20日~9月10日までの20日間、
1994年8月20日~9月10日までの20日間、
合計55日間をウイグルで過ごしました。
そこで今に至る兆候をまざまざとみました。

第1回目のラクダでタクラマカン横断の旅、
バブル真っ最中で円がとても強い時代、日本人が円を片手に世界を風切って闊歩していた時代です、この時は総勢60名、人民解放軍が車両、装備、人員を提供して(国に金がないから軍は軍で稼げと言う方針だった)大掛かりでした。
ウイグル人は人がいいのです、
日本人とどっこいどっこいでしょうね。
支那人はそこへ巧みに入り込みます。
最初は腰を低くしてへりくだって入り込みます。
支那人は人民弾と言われるくらい人民が余ってますから、
風穴を見付けたらどっと入り込みます
風穴を見付けたらどっと入り込みます
そのうちに50%を越えたら本性を現します。
さすが人の好いウイグル人も我慢の限界が来ます。
さすが人の好いウイグル人も我慢の限界が来ます。
現地人と支那人の間に諍いが生じます。
するとそこへ治安鎮圧と称して支那軍が入り込み
原住民を鎮圧します。
原住民を鎮圧します。
それが支那のやり口です。
いま日本はその入り口にあります。
お人良しでは強い民族に巻かれてしまいます。
そのうちに日本人もウイグル人と同じように下流民になります。
支那人は大陸で絶えず生存を掛けた戦をして来た民族です。
海に守られて穏やかに人と争わないのが良き習俗としてきた
大和民族が支那人に敵うわけがないでしょう。
大和民族が支那人に敵うわけがないでしょう。
支那人だけはこれ以上日本に入れてはなりません。
断じて!!
チベット人バイマ―ヤンジンさん
「私が日本に住む理由」BSテレビ東京、6月15日放送