令和6年8月24日(土)どんより
佐賀県大町の台風被害
今夏、列島は地震、台風、大雨に翻弄されています。
私の長い人生でもこんなに被害続きの年はありませんでした。
私が育った家は大町では街で一番高い場所にありましたので、
大雨が降っても何の被害もありませんでしたが、
町の下の方はこの地方台風銀座と称される場所でしたので、
一雨降ると床上浸水していました。
親しくしている方の家は谷水を集めて途中家庭排水を集めて流れている(用水路)の傍でしたので一雨降ると床上浸水しました。
トイレはくみ取りでしたので汚い水でした。
一度床上浸水するといつまでも臭いと言っていましたね。
能天気な私はどうしてそんなところに住むのと
疑問を呈していました。
上京して結婚してから商売の経理を担当してくれていた方が、
座間にある家を買ってくれないかと頼まれました。
中堅の建売業者が底なし沼(岩盤迄25mある軟弱地盤)を
埋め立てて即300戸ほどの分譲住宅を建てて売り出した物件でした。
今度隣地に其の業者が新しい建売を建てたので
そっちに移ると言う事でした。
信頼していた方(私とぎりぎり迄行った方!!)でしたので
何の疑問も抱かずにその話乗りました。
越した所は用水路の近くの一角で不良物件として建売業社を訴えて
新しく建てさせた隣地(少し高台)に集団で越して、
なにも知らない新人が集団で越してきたのです。
親しくなった地元の方々から散々こき下ろされました、
あの土地は底無し沼を埋め立てて地盤がまだ固まらないうちに
建てたので段々沈んで一雨降ると床上浸水する土地だ、
そんなところを買うなんて信じられないと言われました。
ところが越して半年してから、あのテレビドラマになった、
台風被害は我団地も呑み込みました。
(1974年9月、多摩川が台風で増水し、東京都狛江市の堤防が決壊して家屋19戸が濁流にのまれた。 この多摩川水害は、山田太一さん原作、脚本の連続テレビドラマ「岸辺のアルバム」(77年放送)の題材になった。)
団地の西側(相模川の方)に農業用水があり道より高い
ブロック塀が築かれていて、
団地の水を強制的に排水していましたが、
用水路が溢れると団地に水浸して逆流していました。
新規入居者はいろいろ調べて騙されていたことにきずき
集団で売り主と分譲した業者を訴えました。
話せば長くなりますから割愛しますが、
その後旦那が借金まみれになって
その家も貸金業者に差し押さえられましたので取られて
又東京に舞い戻って来ました。
銀行で買主と差し押さえた金貸しと私の弁護士さんとで
交渉しましたが、人生最大の屈辱でした。
土地40坪の家が2000万以内でした。
後の方は壊して盛り土をして
新築すると言う事でした。
座間駅6分の環境は良い所でした。
そこで10年近く住み子育てしました。
弁護士さんが奮闘してくださって、○○さんも子供抱えて
これから東京に部屋を借りなければならないので
100万こちらに寄越せと交渉してくれました。
ところが後半年したらバブルが押し寄せて
5,6千万で取引されるようになったのです。
運が無いとはこのことです。
それで売れれば一気に借金が返せたのです。
その後何年も借金返済の年月を過ごしました。
その後は私が全てを取り仕切り借金を完済しました。
何年掛かったかなぁ。
旦那には月5万(のちに7万)の小遣いを渡し、
働かされて好きなキャバレー遊びも出来なくなり、
いつもむくれていましたね。
続く!
乞うご期待!