おてんば87歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

ケアマネのお仕事

要支援2


令和6年8月7日(水)酷暑

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今日のお昼、このパンしょっぱくて残した
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今夜の夕食

待ちに待った介護度の決定通知が来ました。
要支援2です。
今や要支援と言うのは業者もケアマネもヘルパーさんも
やりたがりません。
私が現役の頃は1件もやって居ませんでした、

当時はたしか企業に入るのは4000円だったような気がします。
いや、担当のケアマネに入るのが我が社の場合4000円だったかな、
要介護の場合介護度によって違いますが平均1万円は入りました(我が社の場合)
だから要介護の場合は月に1度以上訪問しなければならなかった
けど、要支援は3か月に1回で良かったと思う。
ため口もやりたくないような口ぶりだったな。
それにヘルパーさんも敬遠しているそうだ。
それだけではなくて全般的にヘルパー希望者が
払底している。
当分車椅子だけ借りて置こう。


老後引受人


令和6年3月31日(日)晴れ

私の病室は4人部屋、隣のベットに認知老人がいました。
頭真っ白でぼうぼうで見るからに末期的症状です。
車いすで移動。
昼間も絶えずなにか叫んでいますが、
昨深夜2時半に大声で目が覚めました。
誰かに電話しているようです、
何度も何度ももしもーし、もしもーしと叫んでいます。
相手をよう子さんとさんつけで呼んでいますので
娘ではないでしょう。
たぶん姪あたりを頼りにしているんでしょうね。
あんまりうるさいので看護師に報告しました。
すぐに駆けつけて隣の空き室に移したようです。

近年婚歴無し、子無しの方が増えているようです。
最近までは姪や甥をあてにする方が多かったようですが
その甥姪も少なくなっているようです。
老後を他人や親類をあてにするにはそれなりの遺産を
残すべきでしょうね、
無産では誰も相手してくれないでしょうね。

ケアマネ時代にお世話したご夫婦は親戚、
近隣とは
お付き合いしないでひっそりと暮らしておいででした。
しかし夫婦共認知でした、特に奥様がひどくて被害妄想が
ひどかった。
誠実にお世話しているのに私を泥棒扱いされました。
もちろん近づく者は皆泥棒扱いです。

だんだん状態がひどくなり私一人の力量では手に余るほどでした。
最初の頃に旦那様の甥が来訪して学生時代伯父伯母には
お世話になったので何かあったら知らせてくださいと
名刺を頂いておりました。

それで現状を手紙に書いて送りました。
すぐに当事者の弟さんがその息子(次男)を連れてきて、
そのあまりにもひどい状態に驚いておいででした。
すぐに自分の息子を養子にする手続きをしました。
養子になった甥は誠実にお世話なさいました。
伯父伯母は地道な人生を歩み、
恵比寿の一等地に50坪の土地家屋と
かなりの貯金を持っていました。
お世話するのに何の支障もありません、
夫婦共癌になり数年で亡くなられたので
かなりの遺産を手にされたとおもいます。

その後甥と老後のお世話をして遺産を頂くのは割の合うことですねと会話したことがありますが、
そのほかにも彼の誠実なお世話を見ていた嫁さんの親や、
叔母さんにも私たちの老後も頼むよとお願いされているそうです。
彼はしがないデザイナーで市営住宅に住んでいましたが、
これで老後は安泰です。
老後引受人は割の合う、行為です。

この文は2校目です。
朝からかなりの長文を書いたんですが
保存してなかったので消えました。
これは下書き保存してますが面倒なのでアップします。
後で食事等をアップします。



港区には貧乏人は住めません


令和5年9月18日(月)晴れ

「3泊5日・67万円」で大炎上! 港区立中学校「シンガポール修学旅行」 関係者が明かした「費用の内訳と保護者への気配り」


 3拍4日で67万円は高いと思う。
ファーストで行くんかい。
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所で私はケアマネ時代に港区の介護保険認定調査を委託されて
やっておりましたが、
その時感じた港区は他の区とは異質だと思った事を述べてみます。
まず第一に港区は貧乏人は住めないし、貧乏人は少ないということです。
殆どが一戸建てだと立派な家だし、マンションは超豪華でした。
唯一貧乏人の範疇に入るのが都営住宅でした。
其の都営住宅も港区はマンションと見まがうような
おしゃれな住宅が多かった。

①確か青山通りだったと思いますが赤坂御用地の対角線の南青山二丁目だった(定かではない)と思いますが、周りの道路はぐるりと ビルになっていましたが中は昔からの個人住宅やお寺などの或る
静かな住宅地でした、その中の広い庭の平屋に老夫婦が住んで
おいででした。
奥様が寝たきりでご主人とお話したんですが、周りが開発される
たびに路線価が上がり今年の固定資産税は年120万以上です、
もう年金以外収入はないしとても払えません、どこかに引っ越すと言っても老夫婦ですから引っ越す行動もままなりません、
もうどうしていいか途方に暮れていますと嘆いておいででした。
戦前から静かに住んでいたご夫婦は翻弄されていました。

②六本木ヒルズの道路一つ隔てた6階建ての小規模ビルに
老人姉弟が住んでおいででした。
当時銀行が土地持ちに家賃収入で十分払えますよと
融資を盛んに進めていた時代です。
親から相続した土地に小規模なビルを建てましたが、
計画通りにはテナントは埋まりません。
何年か過ぎそのビルは銀行に差し押さえられました。
それで借金がチャラになるのではなく借金が残るそうです。
調査に立ち会ったケアマネが帰りのエレベーターの中で
その老姉弟の窮状を話してくれました。

③六本木ヒルズの反対側の台地にあるマンションに
独居女性の調査に伺いました。
その方の住んでいるあたりも再開発が進められて毎日のように
デベロッパーが立ち退きを迫ってきていて分厚い資料を見せて
貰いました。
その方は所有のマンションにお住まいでしたが、
狭いながらも満足しておいででした、
試しにデベロッパーに今の住まいでその新しいビルにどの位の
権利があるのか聞いたら、風呂場位の広さの権利だと言われた
そうです。
冗談でしょ、私はこのマンションで満足しているんです。
その方から近隣の話をいろいろ聞きました。

④知り合いが六本木ヒルズの開発したマンションに地権者として
1部屋獲得したそうです、
しかし管理費が20万以上もするので老人にはとても払えないので
その部屋を貸すことにしたそうですが、思うように賃借人は現れ
ません、そのうちに借金が重なり払えなくなりその部屋も手放す羽目になってしまつたそうです。そんな話が沢山ありその方はあくまで立ち退かないと仰っていましたが、私は悟りましたね。

もし私がその立場なら、ここは親の代から住んでいるんだから
他所にはいかないなんて頑張って居ないで、杉並でも世田谷でも
身の丈に合った場所に其の立ち退き料で住まいを確保するべきだなと痛感しました。

バブルの頃は周りでそんな話が沢山ありました。
私が靴の修理を出していた山手通りのちっぽけな借地の
しょぼい靴屋さんも素直に立ち退きに応じ杉並に新しい家を
建てて貰ったとホクホクしていました、

近所の創価学会のおばあさんも山手通りの角で蕎麦屋をやっていたそうですが、当時は店は閉めていたんですが立ち退き料を莫大に
貰って郊外に家を建て半分は創価学会に寄付すると言っていました。

もうそんな狂奔するような時代は来ないでしょうね。


お節介同志


令和5年9月9日(土)小雨~曇り

今朝起きて外を見たけど雨が降っているかどうか確認しなかった。
なぜだろう!
支度して下に降りたらかなりの小雨が降っていたので
引き返して再度ベランダに出てみたらしっかり降っている。
あ~今日は体操休みだなと思ったがしっかり支度したんだから
散歩することにした。
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途中ラインを見たら開始したとある、
大急ぎで駆け付ける

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始まっていた
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時折小雨は降ったが無事に最後まで出来た、
良かった!

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一日に何回も農園を見回る、たったこれだけでも
私にとってはいい慰めになる、ゴーヤと綿花農家だ~
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綿花は元気だ
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今日の朝食
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眼と手の届かない外側に今朝見付けた1個、
昨日は2個見つけました。
ぞくぞくと実っています。今10個ほどぶら下がっている。
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今日のお昼、ゴーヤジュース

ある会からチラシ作成を依頼されたので試作品を即作成し
送信した。

5時40分頃散歩に出る、
今夜は待望のフク親子(爺と猫)に再開しました。
比較的元気だったし、初期だったと仰ったので気が楽になって
いろいろお話しました、だって老人になれば二人に一人は癌に
なりますからね、今やがんは恐れる病気じゃないと思うの、

そして介護ベッドを借りたいんだけど介護認定は受けてない、
と相談されたのでアドバイスしました。
多分認定調査を受けても介護度はつかないと思うので自費で借りたらどうかとお話し、どの位掛かるのか「ため口」に聞きましたら1500円位で借りられるという事だったので、今後の面倒見てくれるように頼みました。
「ため口」はお節介だから徹底的に面倒見てくれるでしょう。
「ふくパパ」も貴女に相談してよかったと大変喜んで
下さいました。
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今夜の夕食、豚、玉葱、ピーマン、茄子のソテー
トマト、ビール

今日の歩数は8109歩


弟と電話した、しらんわ!


令和5年3月9日(木)晴れ

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一昨夜が満月だったらしい、大急ぎで西に沈む月
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真中より少し左の赤いビルに沈む月
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今日は一日家に籠っていた。
意を決して弟に電話した。
とても不愉快でしばらく日を置かないと書けない。
夕方知り合いの方が来訪して話し込む。

過日商店街で保護して家に送り、のちに地域包括支援センターに
繋いだ方、ため口が担当することになったそうだ。
その時は手一杯だから依頼されると困ると言っていたのに
「あんたが繋いでくれたおかげで1件増えたわよ、ありがとう」
だって! 介護認定受けたら要介護①だったそうなので、
あの状態で①はないでしょうと言ったら、
「何しろよく喋るから軽く見られたようだ、区変(区分変更)を
出して調査には私が同席するわ」と言っていた。

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今夜の夕食、肉じゃが丼(たまご乗せ)トマト、赤ワイン、イチゴ


今日の歩数は2984歩




プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

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