令和3年5月4日(火)みどりの日
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翁島旧駅舎(緑の村)&小山田忠霊堂、陸軍墓地

次は緑の村(翁島駅旧駅舎)に行きました。

ここは桜の名所らしくて牧場などがある広大な施設らしいですが、
村田さんが案内したかったのは昭和天皇が新婚旅行で滞在なさった天鏡閣の最寄り駅だった旧翁島駅が移築されている施設なんです。
もともと粗末な田舎の駅舎だったのを皇太子がいらっしゃると言うことで改築したらしいです。
野口英世も帰朝凱旋の時に利用したそうです。

旧駅舎の裏の高台に列車が展示してありますが、
これが古関祐而作曲で登場した高原列車だそうです。

猪苗代緑の村は、福島県猪苗代町にあるテーマパーク。
1989年(平成元年)に開園し、猪苗代町が運営している。
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JR磐越西線翁島駅の旧駅舎(移築保存)
駅舎亭 - JR磐越西線翁島駅の旧駅舎(移築保存)を利用したそば屋
翁島駅
現在の無味乾燥な翁島駅舎
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後ろにあるのが高原列車
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次に小山田忠霊堂、陸軍墓地に向かいました。


小田山忠霊堂(日清戦争から第二次世界大戦に至るまでの
戦没者の分骨と遺髪が安置されている)
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案内板
この忠霊堂のあるところは 元若松歩兵第六十五連隊 および元若松歩兵第二十九連隊がかつて陸軍墓地として管理していたところであります。忠霊堂内には 日清戦争から大東亜戦争までの各戦役における両連隊の戦没者をはじめ、これら連隊以外の本県出身陸海軍人などの戦没者 あわせて一万数千名の分骨 ご遺髪などが 安置されております

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ガダルカナル 思い出の塔
碑文
はるかなる南、ソロモン海のガダルカナルは、太平洋戦争の決戦場となった島である。
陸軍第二師団は、日本軍主力として、この島で勇敢に戦った。
しかし連合軍の抵抗、困難な地形、弾薬と食料の欠乏、熱帯病に
悩まされ、多くの犠牲者を出した。痛恨きまわりない死闘の島で
あった。
われら生存戦友は、南冥の地に埋もれし戦友のことが忘れられず、昭和四十六年十月、遺族ならびに福島県民の支援を受け、遺骨収集を実現した。いま遺骨は会若松連隊を臨むこの丘に鎮まる。
ガダルカナルに散りし戦友よ、故山の土に安らかに眠り給え、
ここに世界の平和を祈りながら、現地より持つ帰りし石を置き、
想い出の塔を建つ。
ガダルカナル総攻撃三十周年の日にちなむ
昭和四十七年十月二十五日  旧第二師団福島県勇会

この時計は、ガダルカナルの戦場で、会津若松から第一線に出陣した歩兵第二十九連隊が、最後の突撃を決行した時刻をしめして
います。
昭和十七年十月二十四日深夜から総攻撃を開始し、死傷続出するも攻撃を続け、二十五日午前四時やや過ぎ、将兵は悲壮な決意のもと軍旗と共に帰らざる突撃をしました。

平成二十年四月二十日 ガ島忌実行委員会
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海ゆかばを捧げる


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苑内にある数々の慰霊碑
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染井吉野ではないような気がしますが桜が沢山植えてありました
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チサンホテルに投宿、18時30分より懇親会
席が分散しましたけど和やかな宴でした。