[538] 久しぶり 2007.11.13 23:54:01
19/11/13(火)晴れ 昨日今日富士山見える
まず、国旗に向かって国歌斉唱しました
11月30日午前中に「チョロ」が死んでから、
少しばかり脱力したが生きる希望をなくしていたわけではない。
少しばかり脱力したが生きる希望をなくしていたわけではない。
まず「チョロ」の居た17年8ヶ月を書かないと前に進めないと
思うあまり書けなくなってしまったのだ。
思うあまり書けなくなってしまったのだ。
そのうちに、またまた食中毒になって
どえらい目にあって居たのだ。
どえらい目にあって居たのだ。
最近、太刀魚のバター焼きが無性に食べたくなった。
(塩コショウをほどよくまぶし、粉を振ってバターでじっくり焼く
熱々、ぱりっと焼けたところにレモンをジュワ~~とかけて)
一口口に運ぶ、うんめ~~といきたかった。
ところがなかなか見つからない、そうしたら金曜日の夕方見かけたわ、鮮度はイマイチだったけど買いましたよ。
蓋をしてじっくり焼きましたよ。
ところが腹子が生焼けでした、半透明だったけど、
娘は生焼けだと取り除いたけど、年甲斐もなく私は口にしました。
その夜から眠れませんでした。
胸苦しくて一晩中苦しみました。
胸苦しくて一晩中苦しみました。
夜中にうがいをして無理矢理胃の中の物を吐き出しました。
でもそれだけではないのです、
微熱もあり、胃が水も受け付けなくなったのです。
だから薬も飲めません。
微熱もあり、胃が水も受け付けなくなったのです。
だから薬も飲めません。
すぐ吐き出すのです。
土、日曜ひたすら養生しました。
不思議なことに夏にツブ貝の寿司に当たった時と違って下の方は
何ともないのです、ひたすら胃が飲食を受け付けないのです。
胃が故障すると背中がカチカチに凝ります、何とか筋肉をほぐす
薬や催眠剤を飲んで寝ようと努めました。
うつつのうちに夢を沢山見ました。
最近年のせいか夢を見なくなりましたし、
最近年のせいか夢を見なくなりましたし、
たまに見てもすぐ忘れるのですが、
三個だけ今でも良く覚えています。
三個だけ今でも良く覚えています。
①
以前の日記にも書いたことがありますが、愛子様のことです、
愛子様はヘルパーの初期の頃親身にお世話した方です。
愛子様は人柄は良いのですが、若い時から計画性が無く
宵越しの金が持てなくて、ひとり息子にも見捨てられ、
重度の高血圧と糖尿病のため何度も脳梗塞で倒れ
その都度奇跡的に助かるのですが、半身麻痺でした。
でも希望だけは失わずに知恵を働かせてあらゆる社会資源を活用して暮らしていました。
生活保護を受けていましたが見栄っ張りで考えも無く消費するので
本当に貧乏でした。何度も入院しましたが、
世話する人も居ません。
世話する人も居ません。
私は何度もお金を用立てしましたし、入院したら介護保険が適用
されませんのでサービスで用を足してあげていました。
そのうちどこか遠くの施設に送られました。
気にはなっていましたがそれっきりでした。
それが夢ではフッと以前の住宅に逢いに行ったのです。
そうしたら部屋に人が数人いて入浴サービスを受けていたのです。
でもおかしいことには布団の上でべチャべチャになって
居るのです、
居るのです、
そして愛子様は私の事はすっかり忘れていました。
後で考えて見るとそれは入浴サービスではなくて死後の始末をして
いたのではないかと思うんです。
多分彼女はお別れに来たのだと思います。
②
その夢は中身は良く覚えていませんが、夢の中で
「そうだっ、布団、捨てよう」と叫んでいました。
そして目覚めた時ふらふらしながら速実行しました。
私達夫婦は家庭内離婚状態ですが部屋の狭さゆえダブルの布団に
寝ていました。
寝ていました。
勿論枕を並べてではなく前後にです。
おまけに宿泊客など何十年も来ないのに4組の客布団がありましたが、さすがに今年になってから3組の布団を処分したのですが、
老人ホームに入居した義母の布団を引き取りました。
なぜならその布団は今年買ったばかりだったのです。
義母の布団が古くて、重くて、きたないので
私が買ってあげたのです。
私が買ってあげたのです。
布団屋さんは言いました
「長くないから、安いのにするか、長くないから良いのにしてあげるか、そりゃお客さんの考え方一つだよ」と
「良いのにしましたよ」
「良いのにしましたよ」
その他、荷物は増える一方でとうとうそのダブルの布団はしまうところが無くなったのです。出しっぱなしです。
そのダブルの上下も高かったんですが、夢のお告げに従いました。
狭いけどシングルの二組の布団を前後にして敷きました。
そして押し入れにも空間が出来ました。
夢よありがとう。
③
三つ目は外出から帰宅すると娘が引っ越すと言って(後記:このや(この家)を出るわと言った)友人が手伝いに来ていました。
突然の事で私は反対しました。
突然の事で私は反対しました。
そこまででしたが覚めてみると、
それはひょっとして良縁が来るというお告げでしょうか。
良い方に解釈しましょう。
そして私は昨日も今日もふらつきながら仕事しましたよ。
今日は午前、訪問介護の仕事の後、会社に行って新規の利用者の
担当者会議のまとめと1,2,3表の介護計画表を作成しました。
それから大急ぎで帰宅して夕方大事な集会に出席しました。
沖縄戦「集団自決」検定
虚構の「軍命令・強制」説の復活を許さない!国民決起集会
そうそうたる論客ばかりでこれを全国の皆様にも聞いて欲しかった、地方にいる聞きたい人達がお気の毒と思いました。
東京に住んでて良かった。
本当に目から鱗の話ばかりでした。
小田村四郎氏(拓殖大学前総長)
恵忠久氏(沖縄から、国旗国歌推進沖縄県民会議議長)
恵竜之介氏(沖縄から、ジャーナリスト)
渡辺昇一氏(上智大学名誉教授)
田久保忠衛氏(外交評論家)
中村 黎氏(獨協大学名誉教授)
藤岡信勝氏(柘植大学教授)
高池勝彦氏(大江健三郎を追い詰めている弁護士)
大原康男氏(國學院大學教授)
赤池忠久氏(衆議院議員)
秦郁彦氏
他、他多数
今夜の話は本当に価値あるものでしたので得意では無いが明日
書いてみようと思います。