[456] 長寿はめでたいか 2007.6.3 00:15:04
19/6/2 (土) 晴れ、風爽やか


我が家の長寿猫「チョロ」平成2年3月3日生まれ(18歳)
さすがに寄る年波には勝てず跳躍に失敗することが多くなりました。我が家のペットは全て病気と言うものをしたことが無い。
今日は長寿に付いて書いてみよう。
私は現在二人の長寿者とお付き合いがある。
(後記:もう一方90代の寝たきりの方がいました)
我が義母(98歳)
明治42年2月11日生まれ(紀元節に生まれたので、きぬと名付けられた)
そしてケアマネとしてご縁のあるYさん
明治41年7月生まれ、まもなく99歳になられる。
この二人には共通の人生がある。
① きわめて健康(だった)でいまだ二足歩行が可能だ
② 超が付く難聴で、耳に口をつけて叫ばないと通じない、
従って会話が成り立たない。
③ 離婚歴がある、しかも幼い子供を婚家に置いて出て行き、
若く元気な時は気ままに暮らした様だ。
(後記:三人とも若い時子供を置いて離婚している)
(後記:三人とも若い時子供を置いて離婚している)
④ そして高齢になってから、一度は捨てた子供に保護される立場になった。
⑤ 常に子供に迷惑は掛けたくないと勝ち気に振る舞う(時として可愛く無い)
⑥ 孤独に強く、人と交わるより気ままが良いと言う人生をおくって来たのに今はとても寂しがっている。
お嫁さんは常に声高に仰る。
「あの人は私達にお世話になれる立場じゃないのよ」
「幼子が一番母親を必要としているときに居なかったんですからね」
「幼子が一番母親を必要としているときに居なかったんですからね」
「だから、私達に面倒は掛けたくないのよ、世話されたくないのよ」と
さて、ここからは我が義母の話に移るが、
義父の女性関係で離婚したらしいが、義兄と旦那が赤ちゃんの時に出て行ったらしくて、旦那は小学高学年の頃まで実母がいることを知らなかったらしい。
義父が戦争に行き、
空襲が激しくなり、東京生まれの継母は三人で義父の実家、
福島の農家の離れ(小屋)に疎開した。
旦那は継母にろくに飯も食べさせて貰えず、いつも空腹だったと恨んでいた。
デモねぇ、あの頃は実の親に育てられていても空腹でしたよね。
因習深い農家に血の繋がらない子供と暮らすその継母の方がよほど辛かったと思うわ。
しかし、私が不審に思うのは、いくら長男に家督を譲っていたとしても農家でありながら血の繋がった孫に空腹な思いをさせる祖父母って、何なんでしょうか。
(後記:ここからは私の系譜)
私の母は戦争末期に両親を亡くし実家も戦災(佐世保)で消失したが、母の叔母の嫁ぎ先が農家で子供心に忘れられない位、食料を頂きました。
母の弟達は5人共戦争に行き帰還してからはその叔母の家で身の立つまでお世話して頂き、両親の葬式もやって頂き、結婚式もやって頂き、葬式、法事等には一家全員で出席してたらふく食べさせて貰い、帰りには幼児の私の背中にまで食料を頂いて帰りました。
4里の道でした。
(後記:多分兵役に服して不自由な暮らしをしている留守家族に尽くす気持ちがあったと思う)
(後記:多分兵役に服して不自由な暮らしをしている留守家族に尽くす気持ちがあったと思う)
農家の親戚は皆そうだと思っていました。
叔母さんは行商の寄り人にも振る舞っていました。
こんな事もありましたっけ、
ある時父が言いつけていた事をまだやっていないと言って、
怒り「出て行け」と言われた母はその叔母の所に行きました。
(後記:父は炭鉱で働いていましたから、幼子三人を抱えてさぞ困ったでしょうね、末の未婚の妹に家事育児を頼みましたが、妹も八幡製鉄で働いていたのでさぞや迷惑だったでしょう)
近所のおばさん二人がみかねて幼い私に道順を聞いて迎えに行ってくれました。
そして3人は沢山の食料を頂いて喜んで帰ってきました。
その夜炊かれた「銀しゃり」の味はいまだ忘れられません。
(後記:ここからは旦那の家族の話)
そんな境遇を不憫に思った親戚のおじさんが
「お前達には東京に実母がいるんだよ」と教え、
実母の所に送り届けてくれたそうです。
明治生まれの義母は律儀によく働き、ケチなくらい節約し、
老後に備えて貯蓄に励んだ。
そして常に子供に迷惑は掛けられないと、気を張り
自分の為にはケチなのに子供や孫やお世話になった人や甥や姪やには常に札びらを切った。
若かった私はおかしいと思った、親子なんだから、
いちいちお金を出さなくても口でお礼を言えばいいのに
すぐ金を出すと。
すぐ金を出すと。
(後記:私が義母を許せないのは息子達に負い目があったのでしょう、借りた金を返すと言う躾をしなかったことです、自分が弁済していました、だから兄嫁も私も旦那の金銭破綻で苦労しました)
そして、現在とても寂しがっています。
今はひたすら私だけが頼りです。
旦那は私に催促されないと母の所に行こうとしません。
やはりね、子供が一番母親を必要としていた時に捨てた人は
老後は覚悟しておくべきだと思いますね。
老後は覚悟しておくべきだと思いますね。
(後記:若い時は人を寄せ付けず孤独をよしとしていました)
(後記:もう一方いました、やはり若い時子供を置いて家を出て行き、キャリヤウーマンとして活躍していた方が老後身体が拘縮して寝たきりでしたが、他区でひとり暮らしをしている息子さんは介護は他人に任せていました、私は何度も母親所有のマンションに同居したらどうですかと助言しましたが、拒否されました)
私も何回離婚しようと思ったかしれないが、辛抱しましたね。
お陰で今はその果実を味わっていますよ。
(後記:離婚しても子供二人を高等教育する力が無いので忍び難きを偲び耐えがたきを耐えて我慢しました、その間自分に力を付けて子供が独り立ちした頃、私は家庭内離婚して自立しました、離婚しようかと思いましたが、私は十分身が立ちますが、多分旦那は老後は橋の下だろうと想像出来ましたので子供の父親がそれでは可哀そうなので思いとどまりました)
(後記:離婚しても子供二人を高等教育する力が無いので忍び難きを偲び耐えがたきを耐えて我慢しました、その間自分に力を付けて子供が独り立ちした頃、私は家庭内離婚して自立しました、離婚しようかと思いましたが、私は十分身が立ちますが、多分旦那は老後は橋の下だろうと想像出来ましたので子供の父親がそれでは可哀そうなので思いとどまりました)
大変僭越ながら、
このお三人の長生きを見ていると何かの罰を与えられているのではないかと思うのです。
長生きが怖いです。