[410] デジャヴ 2007.3.1 17:38:13
19/3/1 (木) 晴れ 富士山朝のうち見える
先ごろ「雪うさぎ」さんが書いておられたが
私にもまったく同じような体験がある。
(後記:雪うさぎさんとは誰ぞ)
私の弟は昭和15年11月23日に生まれた。
私は12年5月31日生まれなので3歳5ヶ月23日目の事であった。
その日は日本中一斉に「大掃除の日」であった。
いや、日本中は定かでないが当時わが町では官民上げての
大掃除日だった。
大掃除日だった。
昔はたいした家具も無かったので各戸畳をあげて戸外に天日干し、
外では協力して溝さらい、大人はみんな忙しかった。
出産が始まり私は戸外で1人とぜん(徒然)なくしていた。
何時も遊んでくれる年上の子供達は何処に行っていたのだろう。
私は今でも覚えている、心の声を。
「とぜんなかぁ~」
「とぜんなか」とは方言だ。
とっても味のあるみやびな言葉だ。
先生が教えてくれたなぁ、
「とぜん」とは兼好法師の有名な言葉「徒然なるままに、、、」の徒然の事だよ、この言葉は含蓄のある方言だから自信を持って使いなさい」と
意味はお判りでしょう。
「つまらない」でもなく「さびしい」でもなく「たいくつ」でもなく「やることがない」でもなく、ふか~~い心を表す言葉です。
私は「とぜんなく」立てかけてあった畳の下で過ごしていました。
そしてタタミの下敷きになって泣き叫んでいるところを、
大人が気付いて助けられました。
「やっと私の相手をしてくれる」と自分の心で思った事を覚えて
います。
います。
むか~し、薬師丸ひろ子が売りだしの頃、
角川映画で盛んにテレビコマーシャルを流していた。
帽子が飛んで「とうさん、私の帽子は何処に行ったんでしょうね」
あれはなにを意味していたのでしょうか、私には今でも謎です。
でもそのコマーシャルを見るたびに不思議な懐かしい感慨が
浮かぶのでした。
浮かぶのでした。
帽子を飛ばすことは誰にでもある事でしょうが、
それとは違う感慨です。
それとは違う感慨です。
(後記:つまり既視感です)
私の母は77歳で亡くなりましたが、無くなる1年位前から老人病院に入院していましたが、私は1年のうち8回も佐賀に帰り必死で母の昔がたりを聞きました。
「ほんなごつ、たまげたばい」と話し始めた
私の赤ちゃん時代の話。
私の赤ちゃん時代の話。
私をおんぶしてある場所を通り掛かった時、
私の帽子が飛んで行ったそうです。
私の帽子が飛んで行ったそうです。
母が慌てていると、何方かが拾ってくださったそうです。
風に飛ばされる様な帽子と言う事は夏の日よけの帽子だと
思います。
思います。
多分それは夏から9月頃まででしょうね。
と言う事は、私が生後4ヶ月位までの事だと思います。
数年経ってその場所を通ったら
「かあちゃん、ここで他所のおじさんが帽子を拾ってくれたよね」と
私が言ったそうです。
私が言ったそうです。
「あんときゃぁ たまげたばい あがんこまか赤ちゃんがおぼえとっもんやろか」
「たまげたぁ」
言葉で表現できない赤ちゃんでも心の隅にしまってあるものが
あるんですね。
(後記:この表現ちょっと不適切、つまり赤ちゃんの記憶の問題です、普通赤ちゃんの記憶はどの位が平均でしょうか)
あるんですね。
(後記:この表現ちょっと不適切、つまり赤ちゃんの記憶の問題です、普通赤ちゃんの記憶はどの位が平均でしょうか)