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[213] 奨学金 №4 2006.2.19   21:32:15   
18/2/19(日)曇り おだやか

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コメンダドール女史の家で3回目(2006年2月)の訪島時、
まじめに勉強していた頃、崎山氏写す


去年の5月に崎山さんから手紙が来た。
少し長くなるが少々略を入れて原文を写してみよう。

さんごママ、もんちネエネ様
お元気でお過ごしの事と存じ上げます。
大変ご無沙汰をして申し訳ございません。

              略

ジュマール・ラボルデは2004年に、ミッション系のセント・ドミニク・ハイスクールを優秀な成績で卒業いたしました。
そして2004年6月からは、本人の強い希望もあって、セブ地区での最優秀な医科大学「セブ・ドクターズ」に入学する事が出来ました。

              略

ジュマールはハイスクールの時から、マクタン島に住むコメンダドール女史の家に下宿をさせていただいておりました。
コメンダドールさんは文部省に30年以上勤めておられ、その間、小学校から大学まで教鞭をとられた教育の専門家です。

私がカオハガンに渡ったときの「パンガナン/カオハガンの小学校システム」(当時は、カオハガンの教育は2年生までで、それ以降は隣のパンガナンの小学校まで歩いて通っていました。カオハガンの小学校はパンガナンの分校だったのです)の校長をされており、大変お世話になった方です。

コメンダドールさんは、母親のいない、そして父親も酔っ払いのジュマールを、自分の子供のようにかわいがり、面倒を見てくださいました。

6月に大学の授業が始まって、ジュマールは元気に通学していました。そしてコメンダドールさんが文部省を定年退職され、所要もあって7月にアメリカに行かれ、2005年の1月の初めまで家を留守にされたのです。その間にジュマールの様子が変わってきました。

セブ・ドクターズはフィリピン中の最も優秀な学生が集まる大学で、あまりにも学校の環境が変わった事。
全ての授業がジュマールの暮らしの周囲に無かった内容で、とても難しいこと。
母親代わりのコメンダドールさんがおられなかったこと。
そして、悪い仲間と付き合うようになり、授業にも欠席するようになったようです。

結局、3月末に1年の授業が終わった段階で、ジュマールはほとんどの単位を落としてしまったのです。
ジュマール本人、コメンダドールさん、大学と何回も話し合いをいたしました。
最後にはコメンダドールさんが学長とも会って下さいました。
本来ならば、ここで退学になるところなのですが、事情を汲んでくださり、大学はもう一回のチャンスを与えてくださいました。

医学部の中では比較的授業内容が容易なエックス線専門の学部の授業を受ける。
そして一学期目(6月~10月)終了時の成績を見て、本来の医者のコースに戻るか、そのままエックス線の学部を続けるかを決める。
そして又悪い成績の繰り返しだった場合は退学という事になりました。
まさに最後のチャンスというところです。

ジュマール本人も、新しい出発に、新たな決意をしているようです。
私自身、そしてコメンダドールさんに十分なケアーをお願いしながら、この最後のチャンスにかけてみたいと思っています。
皆様の好意に、心よりの感謝をいたします。
そして、残念ながら、これが一年間の報告です。

               略
2005年5月24日 崎山 克彦

続く
2/21~2/25までカオハガンに行ってきます。
続きはその時判るでしょう。

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雲上の日没(フィリピンエアライン機上)
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働くプレド

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歌って昼寝しましょ
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カオハガン島ポントグ(島の西端の砂州)の日没
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ボス犬、目は黄色、この色、日本では珍しい