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[176] 恒例の餅つき①    2005.12.30   16:00:36   
17/12/31 (金) 重たい晴れ 富士山見えず

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餅を搗く息子

28日から休み、でも正月2日から仕事だ。

今日は恒例の「餅つき」をした。
この2,3年は旦那が大連に行っていたので、3人でやっていたが
今日はいつもはバラバラ家族が久しぶりに揃ってやった。
私の夢は二人の子供が家族を引き連れて来てにぎやかに「餅つき」する事だ。
(後記:当時大連出身の満州族の学生をアルバイトで使っていた、その後、私と娘もその学生に案内させて大連とその対岸にある昔住んでいた秦皇島に行ったことがある)

いつもは10キロ搗いていたが、今年は7キロにした。
小豆は1キロ、私得意の漉し餡を作る。
この臼は特注だ、7キロのもち米を6回で搗いたので、
1回1キロちょっと。

この餅つき行事には、懐かしい子供時代の思い出と、
侘しさと、苦しさと、悲しさの思い出が交錯している。

昭和60年の暮れだったと思う。
その年のゴールデンウイークに相模地方の持ち家を差し押さえられ、弁護士さんの奮闘のおかげで賃貸のマンションを借りられるだけの残金で東京に帰って来た。

そして莫大な借金返済の暮らしが始まった。
私の意地で住まいだけは、今のマンションの富士山の見える下階にしたが節約、節約の侘しい暮らし。
ベランダから眺める富士山だけが私の唯一の贅沢だった。
電話は無し、食料品は一番安いものばかり、ビール1缶買うのさえ考え込んだ。
でもストレスが溜まる日々でそれだけは飲まずにはいられない。

その年の暮れは心身共に貧しかった。
何か気の晴れる事したいなぁ~~。

ちょうどその頃マスコミが世田谷のボロ市の事を報道していた。
主に「杵と臼」などを商っていると。

そうだ、子供の頃、物好きな父が近所の家族と共同でにぎやかに
餅つきしていたっけ。
あれは楽しかったなぁ~~。
よしっ、あれをやろう。

ボロ市に行ったら
「杵と臼」で2万円と私の希望にぴったりのものが見つかった。
当時は「電気餅つき機」の方がもっと高かったような気がする。

それからは最高の贅沢、ベランダで餅つきだ~~。
でも、私の無知である年、今年はとても綺麗に洗ったからとビニール袋に入れて保存していたら、いざ餅つきしようと出したら、ぼろぼろに腐っていた。

又、ボロ市に行った。
もうあんな小さな臼はどこにも無かった。
それで出店していたおじさんに相談したら、
俺が作ってあげようと引き受けて下さった。

4万円だったがその頃はもうそんなに貧乏では無かった。
平成5年3月9日の事だった(臼の底に書いていた)

[177] 恒例の餅つき②    2005.12.30   16:39:08   

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私の自慢の漉し餡大福を召し上がれ

私は漉し餡が好きだ、あのむらさき色した漉し餡。
母がよく作っていたのをいつも見ていたので、なんなく再現出来た。
きめこまかくするために2度漉しするのだ。

そして、欲しいとも言われないのに、誰彼に食べて貰いたがる。
おいしいよ。

餅つきも子供の頃見ていたのを再現しているけど、
これがなかなか難しいの。
昔、広辞苑で調べたこともある。
今だったら、インターネットね。
やはり、羽二重のような餅肌にするにはコツは「水」でした。