令和8年9月29日(火)曇り雨
坑内でダイナマイトが不発で責任者である父が部下に呼ばれて
「どれどれ」と右手を出した時破裂したそうです。
右手の指が何本か飛んでカタワになりました。
父はそれを見られるのがとても嫌だったようで、
私たちも父の手指を見ないようにしていました。
父の性格はもともとそうなのか、事故のせいなのかわかりませんが
私は父がとても怖かった、私の下に3人弟がいましたが、
弟達も父に馴染んでいませんでしたね。
父との会話は「うん、うんにゃ(はい、いいえ)」の二言しか言いませんでした。
父は子供たちに「勉強しろ」と絶えず言いました。
だから通知表を貰って成績落ちていたら家に入れないほど怖かった。
長男は成績良くていつもクラスで一・二番で大学は早稲田に行きました、
私はまあまあの成績でしたが、
次男は勉強嫌いで成績悪いので父はくそみそのように貶しました。
成長盛りにあのようにくそみそに言われたらますます勉強がきらいになるでしょう。
性格も歪むと思う。
とうとう中卒で家を出るといいました。
父の性格では息子が中卒なんか許せるわけがありません。
こうなると立場が逆転して頼むからどんな高校でもいいから行ってくれと
哀願しましたが弟は頑固でとうとう学校に来ていた就職情報の東京の町工場に
就職しました。父の弟の叔父さんは父とは正反対の性格でうちの次男の味方でしたが、
いつも長男の自慢ばかりで次男の話は爪先ほどもしなかったそうです。
三男は末っ子の典型で父もあまり期待していなかったようで農業高校に行きました。

朝食

昼食

夕食、のどに入れたらむせって大げさに苦しがっていたら
職員が背中をさすってくれた、その後食べるのやめた、

おやつ、小さな饅頭、10口くらいに小分けして食べる
娘が仕事帰り(ハワイステイ)に来てくれました。
お陰で写真を挿入してもらいました。