令和7年2月3日(月)曇り

最近テレビで識者が「美人は得だから美人税を掛けるべきだ」と
言う意見を言っているのを聞きました。
なるほどね~

確かに美人は超得ですよね。
私は美人は毎日どんな気持ちで過ごしているのだろうくらいしか
思っていませんでしたけどね、 
芸能界は別にして私が生涯で美人だと思っていた方が二人います。

高校に入学したら小林節子さんと言う超美人がいました。
その方が目に入るとつい見入ってしまいます。
全校生徒が同じ気持ちだったと思う。

背がすらりとして髪はさらさらと美しく、
誰かが美人って髪迄美人なのね~と感嘆していました。
おまけに父上が転勤族なので綺麗な標準語を喋っていました。
100%方言しか喋れない庶民はそれだけでも敬遠ものでした。

常に見つめられる人生ってどんな気持ちでしょうか、
その方には一人だけいつも傍にいる方がいましたが、
他には誰も寄り付きません、腰ぎんちゃくと思われるのが癪で
誰も近寄らないのです。
その美人と夏休みの課題でご一緒したことがありますが、
悪い性格ではなさそうでした。

大町出身の弁護士の息子(山下君)が果敢にもペアになり卒業まで
誰の目も憚らず校内、町内を歩いていました。
山下君は東京の一流大学を出て神奈川県警に就職して同窓会にも
出席していました、誰もがその美人のその後が気になりましたが、 聞きづらい雰囲気でした。
大分経ってから聞きましたらとっくに破局して
小林さんは歳の離れた男性と結婚したようですが、
幸せな人生とは聞こえませんでした。
山下君は小林さんの弟さんとは交流がある様でした
小林さんは関東地区在住なのに只の一度も同窓会に
出席しませんでした。

あの美貌を生かす人生では無かった様です。
高校時代原宿を散策したら数分でスカウトされたかもしれません。

当時、第一回ミス日本の山本富士子さんが評判でしたが、

その山本富士子似のそれよりも柔らかい感じの美人でした。
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山本富士子

話は変わります!
山下君は頭が良くて闊達でした、
私が親しくしていた神社の息子の深川君が神職養成コースの大学を出て神奈川県警採用試験会場に行ったら山下君とばったり会いました。

山下君に「俺は県警で出世するだろう、お前は多分出世しないだろう、そんな格差が付く所に入って腐るよりお前は田舎に帰れ」と
言われてなるほどと納得して佐賀に帰り、

彼は神社の次男だったので無住だった由緒ある神社を紹介して貰い昼間は神主、夜は工業高の夜間教師となりお供えの
お神酒を飲み明かし佐賀県で誰知らぬ一番ののんべい教師、
のんべい神主になりました。

深川君の娘さんが佐賀で教職試験を受けたら試験官との面談は
おやじの話題だけで終始して無事に合格したそうです。
その話を聞いたもう一人の母親である同級生が
「私の娘は不合格になったのよ、そんなことで合否が決まるなんて許せない」と嘆いていました。
その母親は人づきあいの悪い人でした、
同窓会にも一度も行ったことがありません。

コネを悪く言う人がいますがコネを作るのは努力して作る物で、
ある物ではないんだよと出世した同級生が教えてくれました。


もう一人の美人はそれより少し落ちますが、
生涯親友だった樺島(旧姓)さんです。
入学式の日から親友になりました。
彼女は小林節子さん程目立つ存在ではありませんでしたが、
当時イタリア女優のピア・アンジェリの初期の頃に
よく似た美人でした。
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ピア・アンジェリ―

彼女は全然美人ぶったところがありませんでしたが、
高校卒業後ミス日本の佐賀県代表に選ばれました。
当時佐賀県では代表を選ぶのは県知事の要請で
女性在籍の多い洋裁、和裁学校等で学んでいる方が
学校長の推薦で選ばれる方式でした。

彼女はアマチュアカメラマンだった
東京出身の男性と結婚しました。

彼女が62歳で癌で亡くなるまで同窓会や
年に数回新宿の京王プラザホテルの
喫茶店で優雅にお茶するのが楽しみでした。

途中、洗面所で鏡に映る顔にぎょっとしました。
今まで何時間も真正面から見つめていた顔と
天地の差のある醜い顔が映し出されていたのです。
私の脳裏に女の顔とは美人顔とインプットされていたのです。

62歳の頃乳がんから始まり脳に転移して亡くなりましたが、
不遜ですがその時始めて「勝った~」と心で叫びました。

私の人生全て彼女に及びませんでした。
出身は旧家地主で家柄もよく、頭もよく、子供達3人も頭が良くて
全部偏差値の高い大学に行き、一番下の一人娘さんは私の娘と同学年で小学校から名の知れた私学に行き、大学は学習院と聖心女子大を推選され、聖心に行きました。
何もかも私の上でした。
でも私は嫉妬するどころかそんな親友を持ったことが自慢でした。

でも娘の就職で始めて勝ち組になりました。
娘は短大を出ましたので社会に出た時バブルの頂点でした。
たった2年で彼女の娘が社会に出た時は
バブルが弾けていたのです。
何十社と応募して悉く落選したそうです。
勿論航空会社も全て受けたそうです。

なんとか名も知れぬ出版社に就職しましたが、
そこがブラック企業でとうとう身体を壊して
半年で退社しました。
その後の消息は知りません。

その頃から娘の話をすると嫌な顔をするようになりました。
それまではお互いの娘の話題に花が咲きました。
鈍感な私はいつものように娘の話をしましたら
彼女鬼の様な顔して「娘さんの話は聞きたくないっ、貴女ってよっぽど娘さんが自慢なのねっ」と叫びました。
教養のある女性の言葉とは思えませんでした。

今までの人生全て私の上を行って居たので
優越感が満たされていたのでしょうね。
でも私は彼女と親友だったことが嬉しかった。
ご冥福を祈る。


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朝食
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昼食、昨日娘が食べ残したマーボー丼、レトルト味噌汁、
トマト、胡瓜、頂き物の煮物
005
夕食、