私は我ながら呆れるほど人懐っこいです。
そう思わない方は多分失礼ですが気が合わない方だと
思われます。
思われます。
高校入学したその日のうちに気の合う方を見付けて
その方の郊外にある家まで付いて行きました。
その方(樺島さん)は63歳で癌で亡くなりましたが、
東京在住でずっと親友でした。
樺島さん宅は温泉街で薬局を経営されていました。
戦前は朝鮮で手広く薬局を経営されていて不在地主でした。
戦後不在地主の土地は小作人に開放されましたので
当時樺島家はいかにも地主宅の様な立派な家と山林だけが
残りました。
残りました。
クラス編成はあいうえお順で貝原、加藤、樺島でした。
貝原さん宅は温泉街で手広く宝石時計店を経営され
裕福そうでした。
裕福そうでした。
貝原宅にも直ぐに訪問しました。
店の上が自宅で本棚に本が沢山並んでいるのが印象的でした。
当時我が家には1冊の本も無く、
町にも小中学校にも図書館はありませんでした。
図書館を見たのは武雄高校と武雄町の図書館が始めてでした。
彼女には二人の兄がいて二人とも東大に行って居ると
言っていました。
言っていました。
優秀な家系だったのです。
尤も貝原家のお父さんは大町の貧しい家出身で
上級教育は受けられず、
上級教育は受けられず、
丁稚奉公から身を起して温泉街に店を出し
子供達を最高学府迄行かせて
子供達を最高学府迄行かせて
人生のトップを走る切っ掛けを築いた父親です。
大町から東大出の大坪康雄と言う国会議員が出ていましたが、
貝原父と同級生で貧富の格差があったので
子供の代で並ぼうと奮起なさったのでしょう。
子供の代で並ぼうと奮起なさったのでしょう。
二人の兄の一人は自治省に入り後に阪神淡路大震災時の
兵庫県知事でした。
貝原さんは医者と結婚し、父の援助で立派な病院を建設して
兄の選挙時には何千万単位の支援をしていたそうです。
しかし彼女は脳の病気になり、
阪神震災前に亡くなり、3月17日頃が丁度49日でした。
県知事は最愛の妹を亡くして奮闘されていたのです。
知事の仕事ぶりを罵る人が沢山居ましたが私は心痛みました。
退官後自転車事故で亡くなられました。
もう一人の兄は電通で出世なさいました。
当時テレビラジオ局長をなさっていましたので
芸能関係者の訪問が引きも切らなかったそうです。
同窓会が銀座であった時、同じテーブルだったので
妹さんと同級でしたと挨拶しましたら
「会社がこの近くにありますからお近くにいらした時は寄って下さい」と言われましたが、勿論寄りませんでした。
もうすべてが昔の話になりました。
mamasango672
が
しました