令和6年8月31日(土)晴れ

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数えてみたら15,6個あった、上の枝が垂れて塊りになっているので
熟し過ぎるまで見つからない
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娘が喜ぶので味噌炒めを作る、婿さんの弁当に入れるらしい、
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娘、ゴーヤをあてにしてビールを飲む
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座間で台風が来るたびにハラハラして暮らした10年弱、
私は災害に遭う土地をあちこち歩いて研究しました。
そしてもう二度と同じ災害に遭わないと決心しました。 
実地に歩いたり古老に話を聞いたりして知識を深めました。

「神社と本家は災害に遭わない」と言う言い伝えを実感しました。
一度災害に遭った土地は必ず同じ災害に遭うのです。
100年に一度位と言う人もいましたが、
それが明日かもしれないのです。

土地台帳はその土地の古名を表わしています。
座間のその土地は相模川第二段丘のすぐ傍泉の湧く土地の
底なし沼を埋め立てた土地で座間入谷字作り道根付と言います、
土地の性格を表わしています。

相模地方には他にも大沼小沼と言う古い地名の住宅地もありましたが、そこも水害常襲地でした。後からおしゃれな地名を付けた土地が沢山ありました。

その団地の北の方に市役所と道一つ隔てて鈴鹿神社がありました。
市役所側はズブズブの土地でしたが、神社側は長い年月相模川が溢れる度に運んで来たこぶし大の石が数十メートルも深く敷き詰められていてそこを掘り進むのは至難の業だったのでビルを建てるのをあきらめて二階建てにしたそうです。

今住んで居る土地は23区内で二番目に海抜の高い所に
建っています。
一番目は神楽坂だそうです。
ビルを建てるには普通は岩盤迄数十メートル
穿(ウガ)かなければならないのに
ここはすぐそこに岩盤があるので
それはそれで建設業社は苦労したと土地の古老から聞きました。

そんな土地ですから地震にも水害にも強い土地です。
ここが建設中は息子の妊娠中ですぐ近くに住んで居ましたので
憧れていました。
当時は新宿の先まで高い建物が無くて聳えていました。
完成してオープンルームがありましたので見に行きました。
とても庶民の買える物件ではありませんでした。
売値500数十万円
頭金320万円でした、周りの人が320万出せば郊外に一軒家が買えると言っていました。
完成したらエリートばかりが入居していました。
都の外郭団体が建てたので都の役人関係者と
地権者の三菱関係者で占められ、
住んでいる方に話を聞いたら周りは一流大学出ばかりで
私の旦那は二流大学出なので肩身の狭い思いをしていると
言っていました。

さて東京に借家を探している時に賃貸情報誌に
なんとこのマンションが出ていました。
大家さんは旦那さんが都庁に務めていた方で亡くなられたので
奥さんが地方に越して賃貸に出していたのです。

直ぐに不動産屋に鍵を借りて見に行きました。
西方向に富士山が見えました。
ベランダが広いのでここで富士山を見ながら
ビールを飲もうと夢想しました。
直ぐに不動産屋に電話して「借ります」と言いました。
家賃18万円、当時の私達には高値でしたが、決めました。

なぜなら多感な年頃の娘は中学3年でした。
学校の近くに住むのに分相応の惨めアパートに住んだら
娘の為に良くないと思ったのです。
電話も入れない、食事は最低、納豆や豚こまだけを
食べても住まいだけは羨ましがられる部屋にしようと
硬く決心しました。

約10年位住んでバブルが弾けて安くなったところで
同じ位置の上階を買いました。
不燃建築公社が建てたマンションなので上下燐家の影響も無く、
過去に数度の火事がありましたが、絶対に延焼はしませんでした。
その上理事会がしっかり機能していて耐震補強も施されました。

日本全国様々な災害に遭っていますが、
おかげで私は安心して暮らしています。