産経新聞主張欄記事
始めて靖国神社の遊就館を見学した時に、
私の前を支那人のグループが進んでいました。
何やら喚いていましたが、支那語は判りません。
最後に感想を書くノートがありました。
彼らは靖国を罵倒する言葉を乱暴に書き殴っていました。
今ほど彼らがのさばっていない時期でした。
そんなに日本が靖国が嫌いなら来るなと心から思いましたね。
父の弟朝雄叔父さん
厚労省から取り寄せ(海軍)
陸軍は県庁です。
戦後朝雄叔父さんの死亡報告が来た時父は叫びました。
内地にいたら餓死だけはさせんじゃったと、、、
そして母に命じて銀シャリ(混ぜ物のないご飯)を炊けと言って
丼に大盛して「ほら、腹一杯喰え」と供えました。
軍では餓死とは絶対に記録しないそうです。
叔父さんはオーストラリア占領下のピエズ島で餓死したんです。
この方のお父さんもピエズ島で捕虜生活されて
無事に帰還されたようです、テレビで放映されました。
義父(旦那の父親)
義父の戦跡も調べましたが、よくわかりません、
只属していた部隊は無事に帰還していました。
義母は旦那兄弟が赤ちゃんの頃に離婚していますから
詳細は判りません、
調べようはあると思いますが、
私の知識範囲では不明です。
もう私も高齢につき気力体力がありませんから
これ以上調査する気力はありません。
残念!
mamasango672
がしました