令和6年3月30日(土)晴れ
今日、明日は土日なのでイベントはない。
ぎっくり腰の後遺症が薬を切らして数日たつので出現した。
看護師さんに薬を出してもらった。
腰も治ってないんだ~
昨日パソコン操作をしていて、
たった今さっき操作したのが迷いに迷って
すぐにはできなかった。
何度も。
うちに帰って家のデスクトップでもそうだと絶望的です。
ケアマネ時代、利用者のお家族からよく聞いたのは
「母を1週間入院させたらすっかりぼけ老人になって帰って来た」
ということだった。
私もその穴に落ち込みつつあるのだろうか。
担当主治医のお言葉通り、
介護認定申請してみようかと思ったりした。
医者は主治医意見書を程よく書いてくれるというけど、
私自身が口は達者で足腰は自立しているし、
これで介護老人を演ずるのはむつかしいとおもうんだ。
ここの食事も飽きました。
薄味で美味しいとは思いますが、いつも同じ味で飽きます。
そうかと言って家に帰って好き勝手には食べられません。
何しろ塩は1日に6gしか摂取できないということは
加工食品はすべてダメだということです。
だからご飯以外はすべて素材を煮るか焼くかする
料理にしようと思います。
それが一番面倒でない方法だと思う。

やっと読み終わりました。
太平洋戦争については私が幼児の頃(3歳~小学2年迄)開戦して
多少は記憶がありますのでその全容を知りたいと
熱望しておりました。
この本はいつの頃私の手元に来たのか記憶がありませんが、
字が小さいことと、面白い内容ではないので
中々読み進められませんでした。
著者の奥宮正武氏は父と同じ明治42年生まれで、
親近感を持ちました。
氏は第一線の海軍航空部隊で現地でも勤務されたそうだ。
父は支那事変には出征しましたが、
大東亜、太平洋戦争には招集されませんでした。
当時北支(北支那、秦皇島)の日系炭鉱で働いていました。
鉱山技師でしたので召集をまぬがれたのでしょう。
今回この本1冊とノートパソコンだけ持って入院しましたので
他ににやることがなくて暇暇に読み進めました。
読み進めただけでこまかい内容は頭に入っていませんが
大まかなことは理解しました。
日本人は昔も今も変わらないな、
先の見通しが出来ない人種だなと痛感しました。
変わったのは気概がなくなったことでしょうか。

グランドハイアットホテルの窓が全部こっち向いているけど
あっちから、こっちが見えるのかな

結構客入ってるじゃないの、さすが都心

今朝の朝食
パン、ジャム、サラダ、ヨーグルト

昼食
ご飯、カレイの甘酢あんかけ、豆腐の田楽、キノコのオクラ和え、フルーツ

夕食、
ご飯、手作りポテトコロッケ、こんにゃくの炒り煮、塩もみ、
フルーツ
コロッケ楽しみにしてたのに塩気がないのでおいしくない、
残念
mamasango672
が
しました