令和6年1月10日(水)晴れ


森永牛乳の通販で注文したクジラ肉が届いた。3890円
鯨肉と言えば私の育ち盛りは毎日のように
クジラ肉が夕食に出ました。
鯨の刺身は安くて美味しくて家族みんなが好きでした。
戦後20年代日本全国でクジラ肉が食べられていたんだと思って
いましたが、そうではなくて九州だけだったようです。
上京してから周りを見渡せばクジラ肉は食べられていないし、
周りの人々に聞いてもクジラ肉は食べたことが無いと言う人が
多かった。
当時は冷凍物流がいまだ発達してなかったので上陸地に近い土地でだけしか消費されていなかったんでしょうね。
なぜ港の或る一大消費地の東京や大阪で鯨食が盛んではなかったんだろうか。
冷凍物流革命が起きた年は何年だったんだろう、
新聞にそんな記事が載っていたのを覚えています。
これからは遠隔地の産品が全国くまなく食べられますと
喧伝していました。
捕鯨もそろそろ禁じられる前頃、高校の同窓生が捕鯨会社の極洋に務めていた方がいます。
捕鯨船が千葉の港に着岸しますので新鮮なクジラ肉を腹一杯食べさせてあげますから是非船まで来て下さいと言われたことがあります。つい面倒で行かなかったけど、
どうして戦後食糧難の時に千葉に荷揚げしなかったんだろうと
思いました。
私は20代始めに結核を患い6か月入院して
その後自宅療養していました。
父が私を黴菌の様に嫌い家族と接触させない様にしていました。
だから食事は個食していました。市場から20円分の鯨肉を買って
きて中皿山もり一杯、トマトを中皿山もり一杯で食べていました。
それがとても印象に残っています。
我が町の炭鉱経営の市場は景気の良い一大消費地で
クジラ肉は各部位が揃っていました。
その中で一番高価だった天然の腸詰の様な部位は高いので一度も
食べさせてもらえませんでした。
食べたこと無いので何とも言えませんが多分鯨が餌を丸のみした
未消化の内容物が入ってる胃だったと思う。内容物は多分当時
「アミ」と言っていた集団で生息している海老の仲間だったかと
思う。
冷凍物流と言えば昔はその土地でしか食べられないものが
沢山ありましたね。
上京して福島出身の方が我が町では秋刀魚は生(刺身)で食べると言っていましたので東京でも食べられないのでおどろきましたし、
九州では秋刀魚は塩焼きでしか食べられませんでした。
九州で寿司屋にはいり「マグロ」握って下さいと言ったら、
九州では「ブリ」しか握れません、博多までは何とか生で食べられる物流がありますが佐世保では無理ですねと言われました。
博多からワンクッションありますから鮮度が落ちるんですと
ワンクッションなんて新しい言葉を知りました。
正月と言えば各家で大きいぶりを一匹買いして台所に
吊るして、その都度切って調理していました。
冷蔵庫も暖房もない寒い時代でした。
或る年の暮れ九州に車で帰る時日本で一番長い岬、四国の佐多岬の先端まで行きましたが、途中の漁港に下ると(すべて下る)どの漁港でもブリを正月用に準備していました。1匹でかいのを買いました。
昨日即作ったチラシ今日OKが出ました。
今朝印刷所に送信しました。
依頼者えらく気に入ってくれて喜んでくれました。
明日掲載します。
今日は午後3時予約でMRI撮影するクリニックに行きました。
午前中に電話したら今日でもいいですよと言われたので
即行きました。
しかしペースメーカー装着しているので当院では対処できないのでとあれこれ交渉してCT撮影になりました。
ペースメーカーしているといろいろ支障があります。
1時間程で終わり、新宿西口に出て京王の上階のレストラン街で
夕食食べました。お気に入りの清月堂で蟹雑炊を食しました。
味が良くて満足です。
完食したら苦しい。

京王上階で有名駅弁と旨い物大会と言う催しをやっていて賑って
いました、実演していた饅頭をつい買ってしまいました。
饅頭はつい手が出ます。

2585円、ここビールが高い。

今日の歩数は5694歩
食べられるうちが花。
mamasango672
が
しました