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u009486キートンの蒸気船

キートンの蒸気船 1928

喜劇王バスター・キートンの名はなぜか知っていましたが、
どんな顔したどんな役者かは知りませんでした。
この映画は95年前に作られた無声映画です。
無声映画の終わり頃らしい。

さてこの映画は無声映画ですが、字幕も無くなんの説明もありませんが大仰な喜劇動作ですから意味は解ります。
やっぱり95年前と同じ笑わせ処では笑ってしまいます。
客は高齢者7名でした。

我が町大町は大手炭坑の城下町でしたから、サーカスも出来る
大劇場と大映画館を経営して安い料金で確か30円位だったと
思う、毎日2回上映していました。
演目は2日毎に代わります。

この映画館では文化の日には文化的な催しがありました。
或る年、火野葦平を頂点とした九州文壇の重鎮だった作家(名は不明これから調べる)を呼びました
私は大人の新聞を愛読していたのでこの作家の事はよく知っていて
興味を持って参加しました。
ところが聴衆はつまらないを表に出してざわざわと騒ぎました。
私は作家に対して気の毒でなりませんでした。
主催者と聴衆の乖離は月とスッポン位の距離でしたね。
以前は大衆受けの演歌みたいなのを呼んでいましたので、
聴衆にすれば期待外れだったんでしょうね。
私が講演会と言うものに参加した初めての経験でした。

私が物心付いた頃はトーキーが主流でしたが、
この映画館は無声映画時代に作られたと思われ、
二階席の右側の前の方に一人分の箱がせり出していました。
この箱の中に弁士が立ち熱弁を奮っていました。
私も何度か見たことがあります。
当時は活弁の仕事は廃れつつあったと思いますが、
まだ弁士は健在でした。
最後まで活躍したのは徳川夢声した。
この方は語りが旨くてテレビ向きだったと思います。

この映画館で爆弾三勇士のお母さんが働いていらっしゃいました。
母が密かに指さしてあの人が爆弾三勇士のお母さんだよと教えて
呉れました。
爆弾三勇士 - Wikipedia

ついでに言うとこの映画館では悲劇もありました。
大きな映画館ですから便所も二階にもあり、上下同じ位置にあり、
落下物は下の大きなプールの様な溜まり場に溜ります。
下の階の方が用を足している時にドスンと落ちてきたものがありました、なんと胎児でした。このニュースは町中で話題になりました。
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