令和5年6月11日(日)雨

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と言うわけで今朝の体操はお休みでした。

今日は胸ドキドキの人生はじめての大衆の前で挨拶する日です。
私の役割は乾杯の挨拶でした。
挨拶文は得意な分野なので数分で作成しました。
それからこの手の権威の村田さんに送信して修正補足して
貰いました。
さすが手慣れたものです、下段は殆ど村田さん作。
武雄高校挨拶_page-0001
大好評でした、笑いも取りました、会場で沢山の方が共感の言葉を述べてくれました。
ひょっと思いついてスタッフに動画撮影して頂きました。
この動画を(声)を私の葬式の時に流せば皆様の印象に残る葬式が出来ると考えたのです。
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かんぱ~い
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司会の男性がとても感じいい
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特別講演:大曲貴夫氏(高42回卒) 国立国際医療研究センター病院、国際感染症センター長
コロナについての講釈をされました、私は殆どテレビを見ないので
知りませんがコロナ関係で頻繁にテレビで講釈されたそうです。
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若者を紹介される、若者は無料で参加できる。我々年寄は10000円
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チロリン節

校歌

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総勢199人参加、武雄高校は明治41年創立、115年になります。
以前は旧制高等女学校、旧制中学校卒の方々も出席なさっていましたが、現在は我々新制高7,8回卒世代が一番古いです。時は巡る。
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同学年(高8回卒)
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現在は中高一貫校になっているそうです、
頑張って居ますと後輩は言っていました。

挨拶のことが気に掛かり始めは緊張していましたが
自分の役が終ったら楽しみました。
数十年ご無沙汰していましたがこれからは歩けるうちは
参加しようと思いました。
また来月は佐賀県人会にも出席します。
当番役員の方々ご苦労様でした。
お陰で楽しく過しました。

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終了後銀座ライオン新橋店で二次会が行われるとのことでしたが、私は参加しませんでした。

所で今思い出したことですが、
私は人生で一番勉強したのは高校受験の勉強でした。
何しろ父が私立はやらない決心なので締め付けがきつかった、
毎日毎日勉強勉強と追いやられ、
夜は遅くまで父の枕元で勉強させられました。
よくノイローゼにならなかったもんです、
尤も当時はノイローゼなんて言葉は知られて無かったな。

お陰かどうか判りませんが、
試験は超易しくてなんだ小学生の試験かと思いました。
多分百点満点だったと思う。
あんまり易しかったので試験期間中に日本始めての総天然色映画
高峰秀子主演の「カルメン故郷に帰る」を観に行きました、
試験期間中に映画を観に行かせるなんてとんでもないと
祖父が母を叱りましたね。
(ちなみに映画館は炭坑経営で毎日2回上映していて料金は30円でした)

結果私は多分トップクラスの成績だったと思う。
一学期の級長は入学試験のトップ成績者が指名されましたが
私は一学期だけ級長を務めました。
私の成績が良かったのはそこまででした。
大学には行けないことが判りましたので
小学生の頃から父は4人の子供全員受けたいだけの教育を受けさせてやると豪語していましたが、当時父の事業が衰退していたのです
だから本ばかり読んでほとんど勉強しませんでした。
武雄には町と学校に図書館がありましたので籠りきりでした。

なぜなら、私は小遣いをもらっていませんでした。
だから友達付き合いが出来ないのです。
当時アルバイトするなんて認識はありませんでした。
高校生で汽車通学している高校生に小遣いもくれない父です。
父はいつも豪語していました、
欲しい物は言えば何でも買ってやると、
私は父におねだりはしたくなかったし、
母もその日その日必要なお金しか貰って無かったので
子供にやる余分なお金は持ってなかったのです。
暗い~~い高校生活でした。
1日も早く家を出たかった。
姉弟4人とも学校を卒業すると家を出て2度と町には
戻りませんでした。
叔父さん(父の弟)家と正反対で両親は寂しい老後でした。

父の子育て方針は自分たちの老後より
子供の自立だったのでしょうか、
それなら大成功、だたの一人も親、世間に迷惑を掛けない人生を
歩みました。

今日の歩数は5138歩