おてんば88歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

2026年04月

さんごママの状況⑧ 戻ってきた?さんごママ

いつもさんごママを応援してくださっている皆さまへ


昨日までの2日間の出来事。

◉4/21 入院20日目のメモより

今日は驚いた。
せん妄が完璧になおっている!
まるでボケてない。昔の話から現在の話までよく喋った。
やっと本来の母に会えた。嬉しい。
ぎゅっと苦しかった胸がじんわり緩んでいく。

入院当初の事は何も覚えていないと言う。
救急車で運ばれてから今までの事を話して聞かせる。

日々の事を記録したい。
何か書きたい事があるの?
そうじゃないけど生きている証を残したいのよ
昨日も書こうと思ったけど何故か字が上手く書けないのよ。

メモ帳を見ると解読不明な文章が2行くらい書いてあった。
本人が読み返しても意味がわからない。

今までに来たブログのコメントを全部読んで聞かせた。
皆さんに返事がしたいので今から言うことを代わりにブログに書いて。


以下、母からの返信です。

読者の皆さんお久し振り。
ご心配お掛けしていますが、私は確かにご心配をお掛けする様な状態です。
五体不満足です。
並べたらキリがないので身体崩壊の件については今は述べません。
帯状疱疹についても最悪な状態です。
ただまだ脳は健全といえるか分かりませんが、皆さんからもしお返事を戴けるのであれば
それは理解出来ると思います。楽しみにして待ってます。



途中覗きに来た看護師さんに母のせん妄がすっかり無くなった事を伝えたら、
「午前中はそうでもなかったんですけどね、、、」と。
まだまだ波があるんだろう。
でも間違いなく今目の前にいる母は今までにないクリアな状態だ。
良い傾向に違いない。
23日に介護度を決める認定調査があるからいつも以上に頑張ってシャキシャキしないでよ、と言ったら
それは私がケアマネの時によく言ってたこと、私はプロなんだから上手くやるわよ、と。

ここの病院で上げ膳据え膳で何から何までやってもらうのに慣れちゃったから
もう元の生活には戻れないと思う。
あのマンションは凄く好きだけど、一人暮らしはもう無理だな。
どこか施設に入らないとね。


◉4/22 入院21日目のメモ(昨日)

今日も驚いた!
なんと、昨日私が来たこと、私と喋ったこと、全てキレイに忘れていた。
えぇ! 本当に覚えてないの?!と私がもっと驚いていたら
あぁ、これが認知なんだね。色んな記憶が無くなっちゃうのよ。
切ないよねと寂しそうに呟く。

とはいえ、昨日ほどではないにしても今日も比較的しっかりしていた。
多少ボケが混じるけど全体的にはいい感じ。
♪ 3歩進んで2歩下がるってやつだ。

母は間違いなく体も頭も回復に向かっている。

ただ問題は色々あります。
もうあのマンションで元の生活に戻る事は出来ない事、
新しい環境になったら またせん妄が酷くなる可能性がある事、
スマホ、パソコンの操作や文書の読み書き等、今までの様には出来なくなってしまった事が山ほどある事、

移住先(施設)はまだ決まっておりませんが、恐らくGW明け頃には
退院して新しい場所へ移動となるかと思います。
母の老境生活の第二章が始まります。

久しぶりにチョコレートが食べたいから買ってきてと言うので
買って持っていく。
食べながらこれ何処のチョコ?と何度も聞くので
何で?美味しくないの?
うん
随分と贅沢言うじゃんよ
最後くらい言わせてよ




さんごママの娘より

さんごママの状況⑦ せん妄

いつもさんごママを応援してくださっている皆さまへ

その後のさんごママ、
体(心不全)はほぼ元通りに回復したと思います。
今は帯状疱疹の激痛と筋力低下とせん妄との戦いの日々です。
入院当初に病院から貰った「せん妄に」関しての説明書を改めて読み返してみました。

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まさにこの通りです。
母はこの「せん妄」真っ只中にあります。
以前、義理の叔母が入院した際もせん妄状態になりましたが、
退院して自宅に戻ると症状は消えてすっかり元通りになりました。
そうだ!せん妄なら環境が変われば元に戻る可能性はあるんだ。
今は支離滅裂な話7〜8割、まともな話2〜3割の状態です。


【比較的まともな時の母との会話】

寝てばっかりいるよね➖「寝るより楽は無かりけり」「アンタよく起きてるね」
さんごママはよく寝てるね➖「アンタも寝なさいよ」

「私は認知で色んなことをメモ出来ないからメモしておいて」
認知って分かるの?➖「分かるよ」

伸びてきた爪を切ってあげた時 「私のカッコいい爪を変な風にしないでよ」
私の爪はカッコよくないけど誰に似たの? 「パパでしょ」

「迷惑はかけたくない。精一杯生きたい」
「最後にこの痛みが取れてニッコリ笑って死にたいな」
「この痛みは本当に何とかならないのかね、もっと研究して欲しいよね」


「葬式はしっぽり贅沢にやりたい」 「香典は貰うと面倒だから貰いたくない」

「いつも行ってたベーグル屋さん、急にあのオバサン来なくなったと思ってるよね、2〜3日おきに行ってたからね、そのまま謎にしておいてね」

激しい痛みに大きな声を上げる
看護師さんが飛んできて「大丈夫ですか?もう直ぐご飯ですけどどうしますか?」
「痛みとご飯は別です」➖ご飯完食。
「このお魚凄く美味しいからアンタも食べてごらん」

「私、まだ死なすには惜しいでしょ?」

「あれ!パパは?」➖パパはもう随分前に死んだでしょ
「あ、そっか」
パパに会いたいの?➖「絶対に会いたくない!」

食事中、片手だけで食べてたのでもう片方の手もテーブルに出して!と言ったら
「(手は)無い」

明日は仕事で来れないからまた明後日ね➖「うん、いつもありがとうね」


童心に返ったような母に泣き笑い。


IMG_2488

病院内をお散歩。
外を眺めてます。


さんごママの娘より


さんごママの状況⑥

さんごママを応援してくださっている皆さまへ


昨日で母が緊急入院してから丸2週間が経ちました。
母の人生はこの2週間で激変しました。
2週間前の母の日常からは想像もつかない今があります。
絶望感に襲われたり希望が見えたり途方に暮れたり、
私はまるで母と一緒に先の見えないジェットコースターに乗っているような気がします。

入院3〜4日目頃には、
「ブログには全部赤裸々に書いていいからね」
「私の様にしっかりしてた人間でも最期はこんな風になっちゃうんだって事を皆に知らせたい」と言っていました。
ちゃんと自分の現状を理解していたんです。
でも今はそれも分からなくてなっています。
昨日は「鳥類が、、、」「マッカーサーが、、、」「国長が、、、」「中華人民共和国が、、」と何だか難しいことをぶつぶつと呟いていました。
護国活動を懸命ににやっていた母です。
きっと国のことを憂いてるのかもしれません。
最後には「皆で私の事を騙そうとしてる!」と怒ってしまいました。

これはせん妄なのか、認知なのか、判断がつきませんが
一時的なせん妄であることを祈るばかりです。
近年の母は短期記憶が保てず色んなこと事を覚えていられない、判断力が無くなってしまった等々
自分の認知状況を全て理解しており、老いてあらゆる事が出来なくてなってしまった自分を悲しんでいました。
どんな困難な局面でも いつでも自分で道を切り開いて力強く生きてきた聡明な母です。

いっそのこと完全に訳が分からなくなってしまった方が楽なのかもと思ったりもしましたが、
いざそうなってみると やはり私は本来の母に会いたい。



さんごママの娘


さんごママの状況⑤ 刻々と

いつもさんごママを応援してくださっている皆さまへ


その後の母の状況
母は日々刻々と変化しているように見えます。
4日前の午後(4/10)、母はよく喋りました。
リハビリのお兄さんがとても熱心に対応してくれたことが
母の生きる気力を呼び戻したようで、
もう死んでもいい、から もう一度頑張ってみる、に気持ちが変わったと。
頑張って生きて皆さんの期待に答えましょう!と。
心境の大きな変化があったことを私に何度も伝えてきました。
心なしか表情も少し明るく感じました。
病院からの帰り、私の心がどれほど軽くなったことでしょう。
兄に電話で母の言葉を伝え、私は翌日から仕事へ発ちました。

そして3日後の昨日の夜(4/13)、仕事を終えて病院へ直行しました。
そこにいた母は3日前の母ではありませんでした。
視点が合わず、何か訳のわからないことをぶつぶつ喋っています。
私のことは認識していますが話がまともにできません。
母は重度の認知症患者となっていました。
身体は順調に回復したのに、脳が壊れてしまったんだと思います。
ほんの数日間で人間はここまで変わってしまうものなのでしょうか。

歩けないのも上体をしっかり保てないのもきっと筋力の問題だけではなく
脳がうまく指令を出せなくなっているからじゃないかと思います。



皆さんに良いお知らせが出来ずに申し訳ありません。
今は絶望感に襲われてます。
今日もこれから母に会いに行ってきます。



さんごママの娘

さんごママの状況④

さんごママをご心配くださっている皆さまへ


その後の母の様子。
もう眠くなる薬は服用していないはずなのに、母は一日中ウトウトしており
せん妄状態なのか、ただ寝ぼけているのか、それとも認知が急速に進んでしまったのか
まともな会話が出来ないことが多いです。
昨日はしきりにお金の心配をしていました。
でも食事の時はちゃんと覚醒しており、目もぱっちり開き会話もできます。
ここの食事は美味しいけど量が多すぎるから私に半分食べろと仕切りに言います。
昨日のおかずは蒸し鶏のお料理でしたが、それは何?と聞いたら「ニワトリ」だと。

そして体は日一日と回復傾向にあり、尿の管も外されましたし、
酸素も一応まだ鼻に付けていますが、もう無くても大丈夫な状態と言われました。
リハビリも始まりました。本人はリハビリする意味がないと言って
あまり積極的ではありませんが、一応少しづつやってはおります。
ただここ一週間ちょっとの間、寝たきりだった為 筋力が著しく衰えてしまい
トイレまでのほんの1.5メートルの距離も支えがないと歩けないのです。
入院する3~4日前には近所の公園まで歩いてお花見にいったのが嘘のように感じます。

もう元に戻ることは出来ないのか、退院後一人暮らしはやはり無理なのか
帯状疱疹の痛みはいつまで母を苦しめるのか、
不安なことは山積みです。

私はどこまで母を支えることが出来るのか。
仕事を休職することも視野におきながら後悔だけはすることのないよう
頑張ります。



さんごママの娘

さんごママの状況③ 母の意志

いつもさんごママを応援してくださっている皆さまへ

今日は午前中は兄、午後は私が母を見守りました。
早くも今日から食事を出してもらえるようになりました。
帯状疱疹の激痛は今でも頻繁に母を襲い辛い状況が未だにありますが、
身体は日一日と少しづつ回復しているように見えます。


ですが、母の心は人生の終わりを迎える準備をしています。
もう決めているのです。強い意志を持って。
やけになってる訳でも悲観している訳でもない。

人生こう生きたい、と同じように
私の人生はここでこう終えたい、と
心に固く決めているのです。

何も後悔は無いし、やりたい事は全部やった
もう思い残すことはないんだと。
私がいくら生きててほしいと言っても揺るがないのです。
今日も言われました。
(私がいなくても)アンタが頑張りなさい、と。

私の願いはもはや母の心には届きません。
母の強い意志に太刀打ちできないのです。


このブログの記事をiPadで見せましたが半分も読めず
もういい、と読むのを中断してしまいました。


とにかく母と話がしたい、今の私はただそれだけです。




さんごママの娘


さんごママの状況②

ご心配くださっている皆さまへ

今日の様子をお伝えします。

昨日までは酸素マスクを装着し、手首もマスクを取らないようにベットに固定され
時々苦しそうにうめき声をあげながら体をよじっていた母。
目は固く閉じ、全く会話もできず、このままお別れをすることになるのでは、と
様々な後悔と絶望感に私は打ちのめされていました。

もう一度、
母と話がしたい、それが私の最後の望みでした。



それがそれが なんと言うことでしょうか!
恐る恐る病室に入った私の目に映った母の姿は、、、
酸素マスクも外され(鼻に入れるチューブのみ)
上半身を起こし、目を開けて起きているではありませんか!
昨日とのギャップに我が目を疑いました。
身体の状態は昨日までと比べるとかなり安定してきており
点滴の薬の量も少しずつ減らせているとのこと。

でも混乱状態でもあり夢の世界と現実を行ったり来たり。
支離滅裂なこと言ったかと思うと、現実のまともな話もする。
看護師さん曰くそれは薬の影響だと思います、と。

そんな状態でも今回のことで、自分の死をかなり覚悟している様子が伺えました。
私が「さんごママが生きててくれないと私すごく困るよ」と伝えると
「そりゃあそうかもしれないけど、それはアンタが勉強不足だからだよ」と。

母の強く厳しい言葉に今日は重かった心が少しだけふわりと軽くなりました。
急変の可能性やまだ安心できる状態ではないことは分かってます。

でも
戻ってきてくれたさんごママ、
本当にありがとう。


さんごママの娘より



さんごママの状況

いつもさんごママを応援してくださっている皆さまへ


さんごママの娘です。
母は昨夜、緊急入院を致しました。

帯状疱疹による激痛に襲われ辛く苦しい日々を送っていましたが、
薬と毎日通っている鍼灸治療のお陰もありほんの少しずつですが
症状が緩和されてきているな、と思って安堵した矢先でした。

患っていた心臓の病気が突然悪化しました。
二日前、私が仕事先の地から電話した際に今日はとにかく具合が悪い、
だから一日中寝てる、と言っておりその時は帯状疱疹の痛みなのかそれ以外の不調なのかは
母も混乱していてよく分からないようでした。
そして昨日の夕方、仕事帰りに母のところに直行したところ
母はベットではなく何故かリビングの床に寝ていました。
そして朦朧としていて呼吸も荒く明らかに様子がおかしかったのです。
食事もこの二日間何も食べていませんでした。

どうしていいのか分からず、翌日に来てもらう予定になっていた心臓の訪問医に
連絡をし、急遽来てもらい診て貰ったところ体中に水分が溜まっている状態と言われました。
そして母は以前お世話になった心臓の病院に救急車で搬送されそのまま入院となりました。

今日は長い時間、病院の母のもとにいましたが薬で眠らされている為、会話ができません。
母の急変に心が追いつかず、どうしていいのか途方に暮れてしまっています。
明日も病院に行ってきます。


さんごママの娘より

プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

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