おてんば87歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

2024年07月

酷暑は辛い


令和6年7月31日(水)猛暑

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お昼
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夕食

変わり映えしない酷暑の一日、
おまけにパソコンがなかなか立ち上がらなくて
今日はアップ止めようかと思いましたが
辛抱強く立ち向かったら何とか動きました。


寝たり起きたり、テレビ見たり、つまらない一日です。
でも私は恵まれているのじゃないかと思う。
この炎天下に外仕事している方々は命がけですね、
弁当を配達してくれる方も真っ黒に日焼けして気の毒になります。
配達員が確保できないから配達中止と言われたら困ります、
その点心身は言う事を聞きませんが仕事しなくても
なんとか暮らしていけるんですから
恵まれていると感謝しなければなりません。
それに私は親孝行な子供もいるし、
世の高齢独居老人はどのように過ごされているのでしょうか、
自分が心身不自由になって始めて
そのような方々の境遇に思い至ります



娘は育てておくもんだ


令和6年7月30日(火)酷暑

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食欲はないけど必死で3回食べる

新たな腰痛が始まった、圧迫骨折は連鎖反応を起こすと
言われていたので連鎖したのかな、
寝ていればいいんだけど歩く事や立ち仕事をすると
長く続けられない。
病院のリハビリ職員が近いうちに
整形外科に車椅子で連れて行ってくれると言う。

ニューヨークに行って居た娘が沢山の買い物をして来てくれた。
買い物は全部娘がしてくれる、娘宅は子供がいないし
婿さんは仕事が忙しく夜の帰宅が遅いので
気兼ねなく母親宅に来てくれる、
娘がいなかったら私の在宅療養は成り立たなかっただろう。
つくづくと娘がいて良かったと感謝する。

娘に現在の財政状況を話した、
大丈夫よ十分間に合うよと言ってくれた。

なんとかそれ以内でおさらばしたいもんだわ。

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娘に押し入れの下の方にあった敷布団を出して貰った、
むさくるしいけど臨戦態勢だからこれでいいのだ。
寝室にエアコンを入れるのを止めたので
10万円消費しないで済んだ。

もっと早くから準備しておくべきだった


令和6年7月29日(月)酷暑

脱水症で入院する前の様な午前中気が滅入る症状がある、
水分は努めて摂っているんだけど足りないのか、
いろんな不安が殺到する、
腰も又重くなって半病人の状態になった。

最近思い悩んでいることは老後資金が足りないのじゃないかと
不安になった。
子供達に迷惑を掛けないで人生を全うするつもりだったので
落ち込んでしまった、
それに判断力も衰えている、
今のうちに出来る事をすまして置こうと思い立った。

まず株を2銘柄持っているのを売ろうと思った、
最近株の売買はしていないのでこの炎天下に店頭まで行くのかと
不安になったので電話したら全て電話で済ませることが
可能であったのでいつでも売って口座に入れて貰える、
よかった、
もうこうなったら高値、底値なんて言ってられないわ、

今、寝室にエアコンを入れるように工事屋さんと
話を進めているが、お隣さんが反対している、
今ニューヨークに行って居る娘にまでラインで忠告している、
現在は居間に薄い敷物を敷いて寝ているのだ、
お隣さんはベッドを運んでやるからそうしなと
言ってくれるけど、
そうするとソファーを隣の部屋に移して、
そこにある大きな電動マッサージ機をどこに置くのだとなる、
我が家は物が多すぎるのだ、今さら後悔しても遅い。

かなりのところまで進めている電気屋さんに
お断りするのは気が重いな。

たった今電気屋さんから打ち合わせの電話があったの
お断りした。
ほっ!!!


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 完食
粗食でも3食食べるよう努力している。

暗い毎日


令和6年7月28日(日)晴れ、猛暑

 毎日閉じこもっているので書くこともないけど
生存証明のために書きます。
毎日暗い気持ちです、生きている意味があるのだろうか、
下手に長生きして老後資金が無くなったらどうしようと
暗い気持ちになります。
老後資金はこれ位あるから大丈夫とは言えませんね、
どんな老後を迎えるか全然わかりませんからね、
長患いして死んだらどうしようと不安になります。
私は最後まで元気で過ごすものと信じていましたからね。
一寸先は闇ですね。
せめて外に出かけられれば少しは気が晴れるんですけどね。


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同志からチーズケーキが贈られてきました、
去年も頂きました。
とても美味しいケーキです。
娘が来たら食べましょう。
ありがとうございます。
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今日の昼食

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今夜の夕食、必死で食べます。

こんなことしか書けませんがご訪問嬉しく思います。


酷暑の過ごし方


令和6年7月27日(土)晴れ猛暑

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 今夜の夕食、レトルトカレー、
食欲ないけど少しでも食べることにする

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息子が水を持って来てくれた、
そう言えば去年も一箱もって来たな、
ありがとうよ。


パリオリンピック始まる、



脱水症


令和6年7月26日(金)晴れ

24日から今日まで脱水症で心臓専門病院に入院しておりました。
その前から朝起きてから午前中、具合が悪かった。
 24日もゴロゴロしながら、これって心不全が悪化したのかもと思い、急遽電話してからタクシーで行きました。
いろいろ検査した結果、
脱水症だったので、すぐに点滴して貰い、
ひたすら寝ておりました。

担当は主治医ではなかったけど心臓や他の原因はありませんでした。
脱水症位では長居はさせて貰えませんので
今日午前中の主治医に診察して貰ってから退院しました。
思い当たることは毎朝全身に汗ビッショリかいていました。
栄養も不足しているらしい。

病院にいる間に懇意の電気工事屋さんに電話してエアコンの
大きいのを設置して貰いたいとお願いしておりましたので、
見に来られました。

食べる楽しみゼロ


令和6年7月23日(火)晴れ、猛暑

午前11時に病院のリハビリ要員が訪問された。
いつものリハビリをやって頂く、
新しい技を習っても覚えられないな。

今日も午前は死んだような塩梅だ、
暑さのせいばかりではないよね、

いつもだと午後からは多少元気になるんだけど、変わりなかった。
この状態はいつまで続くのだろう。
つらいな。

jyaga
同志からじゃが芋が贈られてきた、2種類あるようだ、
当分料理はしないので娘宅に半分あげて
お昼にチンして食べようと思う、ありがとうございます。

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 はっきり言って美味しくはない、
でも義務の様に一粒も残さず食べる、
生存証明の様な行いだ、
食べる楽しみ〇!




読書三昧続き


 令和6年7月22日(月)猛暑


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腰の痛みは痛み止めを飲んでいるし、
この不調は何だろうか、
ぐずぐずしていても切りがないので
心臓の専門病院の予約を取った、
この不調は心臓から来ているのかもしれないので
相談しようと思う、
それと整形外科にも近いうちに行こうと思う、

暇さえあれば宮本輝の年代記第9部を読んでいる、
最終章だ、ここで宮本輝の来た道がはっきりするだろう。
目がしょぼしょぼする、

はなみづき ポスター (1)_page-0001 (1)
このチラシは私が作った物ではない、はなみづきのスタッフが作ったらしい。


読書三昧


令和6年7月21日(日)晴れ 猛暑

入院中は寝ていれば痛くなかったので読書三昧で過ごした。
娘に軽い内容の文庫本があったら持って来てと頼みましたら
ドサッと持って来ましたので
1日で文庫本2冊読んだこともあったし大体1冊は読みました。

赤川、西村 本
読書1

宮本輝の親子二代にわたる年代記を夢中で読みました。
 宮本本4冊

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娘が持って来たのは4部までしかなくて5部以降はありませんでしたので続きはどうしたと催促していたら、
5,7,8,9部を買って来ました。
娘も何十年か前に読んで忘れていたようです。

この本は宮本輝親子の家族記です。
書き終わるまで何十年も掛かっています。
父親は破天荒な親父で息子の伸仁が宮本輝本人の様です。
成功も手にしますが騙されやすく女にだらしなく、
お節介で大抵裏切られます。
家族や他人にも情け容赦もなく暴力をふるい、
私的には嫌いな男です、そんな男が他人に尊敬されるなんて
信じられませんね、でもつい引き込まれて読み進めます。
登場人物が多くて混乱します。
後8部と9部で終わります。
さて息子伸仁はどんな大人になるのでしょうか、楽しみです。

舞台は大阪ですが、私は大阪には馴染が無いし
あの騒がしい雰囲気は好きではありません。
中学校の同窓会や愛国ツアーで
数回位しか行ったことがありませんし、
行ってもほとんど街も歩きません。

同窓会は関東から10名以上の参加者がありました、
関東勢はそれなりの恰好して参加しましたが、
一流ホテルで開催されるのに関西勢は
「あんたその格好で電車乗って来たの」と言える洗いざらしの
シャツなんか着ている人もいて関東とはちょっと考え方が違うなと思いました。

どうでもいいことですが、同級生に朝鮮人の男がいました。
その男「あんたんとこの子供はどこの大学に行っているか」と
しつこく聞きました。
自慢できるような大学ではないと言いましたら「俺んちの息子は大阪大学で娘は早稲田に行っているよ」と言います。
それが言いたかったんだね、嫌味な感情です。

そいつは中学卒業して関西に出て、
差別や酷使されたと恨みつらみを述べます。
なんと彼をだましたリ酷使したのは殆ど同じ朝鮮人同志なのです。
卒業して何十年も経ち成功しても恨み続ける
この根性は好きにはなれませんね。

今日も午前中は意気消沈していました、
でも頭髪が酷いので自分で染めました。

娘が電話寄越して何か買って行くものはあるかと聞きます。
美味しい食パンが欲しいと言いましたら、
ジャムハウスで買って来てくれました。

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今夜の夕食、必死で食べます。


娘テレビ観て、掃除して帰りました。
ありがとう。



生きる意欲が湧かない


令和6年7月20日(土)晴れ

最近午前中がすぐれない。
気分も落ち込み悲観的になる、
食パンも切れたので作りたいと思うんだけど
どうもその気にならない。

これは圧迫骨折のせいか、
心不全のせいか、
歳のせいか、
引き籠っているせいか、
生きる意欲がわかない。 

寝ていると楽なので読書している。


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美味しい物を食べたいと言う意欲も湧かない。

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始めての外出


令和6年7月19日(金)どんより 黒富士見える

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昼食、昨日娘がおはぎを買って来たので
冷蔵庫に入れておいたが硬くはなって居なかった。
桃も1個500円もするのをうっかり買ったと言う、うん甘かったわ。
夕食
夕食
へアカット2枚
夕方、近所の美容院に行く、思いっきり短くして貰った、
遅かったのでヘヤダイはして貰えなかった、
これを機会に染めるの止めようかな、
娘、男の子みたいと笑っていたわ、
あ~さっぱりした、でもまだ歩くの覚束ない、



 

美女には生まれなかったけど良しとしよう、


令和6年7月18日(木)どんより

今日の午前中も心身不調、
本当に身体が不調なのか、
心が不調なのか自分でも判らない、

腰痛ばかり気にしていたが私の主な不調は心不全なのだ。
今朝はなぜか心臓が不調だった。
もうどん詰まりかなと気が滅入るけど、
心不全で長年息災で生きている人もいる。

一歩も外に出ないのはよくないのかもしれないが、
この猛暑下では外に出る気がしない。
廊下を歩いたり、リハビリはしているが
そんなものでは大した効果はないだろうな。

でもこれでは本当の老婆になってしまうな。
元気で過ごせたのは85歳までだったな。
でも心臓悪いのは私のせいではないが
その他の部位は今回の圧迫骨折以外は
本当に丈夫な身体に生まれ付いたものだとつくづく思う。

内部だけではなくて外見も当時としては背が高く手足が長く
いつもスタイルが良いと羨ましがられていたし、
これ以上顔まで美女に生まれなかったことは許そう。
1966,29歳房総
20代
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夕
労働しないのでお腹空かないが3度必ず食べる。

夕食時娘が来て頼んでいた買い物を持って来た。
親孝行な子供に恵まれて幸せである。
髪が伸びて美容院に行きたいのだが、
3時間も座って居られるか不安だ。





暗証番号で始まり暗証番号で終わる世の中


令和6年7月17日(水)曇り後晴れ

今日は朝から心身不調、
やっぱり私ってもうそろそろかなと悲観的になる。
退院以来一歩も外に出ない軟禁状態が心身不調の原因だとは
思うが、他にどうすることも出来ない。
そんな事は今までの生涯ではなかったことだからね。

歩行練習にしても平らな廊下で何度も突っかかる、
足が上がってない証拠だと思う。
昔、歩行練習のレッスンに通っていたこともあるけど
それは恰好よく歩くためのレッスンだった。

仕方無いのでベッドに寝るが眠れるわけではないので本を読む。
目も段々悪くなっている。やっぱり終末時期が来ているんだな。
 終活準備も冗談でなくやらねばならないね。

まず遺言状、このマンションは息子にあげると
皆の前で言ってある、
なぜならお嫁さんに比べて実家が貧しいので
これと言って遺産も残せないのでそんな事はないとは思うが、
せめて老後貧困老人にはならないようにと親心、

娘はすでに自力で2件の物件を所有しているし、
婿さんが仕事一筋で地道に稼ぎ蓄財を心得ている人だから
大丈夫だと思うのだ。

まず、今や当然になっている各種の暗証番号、
これが現に生きている私でも困難な事第一番だ。
バラバラにある各種の暗証番号を拾い集めなければならないな。
これを目立つ所に表示しておかなければならないと思う!!
ってこれじゃ暗証ではないな。

1
2
3


パンが無くなったので今日はパン作りしようと思っていたけど
気が乗らなかった。





気が滅入る


令和6年7月16日(火)雨

昨日から今日に掛けて心身不調、
昨日動き過ぎた気がしたので、寐る。
腰も少し元に戻った感じがする。

11時に病院からリハビリ師が来て病院でやっていた
プログラムをやって頂く、
退院後1か月訪問リハビリが算定されるそうだ。
私が払うのは580円と仰っていたので
全額は5800円だと思う。
心臓の病院でもリハビリして貰ったのでどこの病院でも
リハビリに力を入れているようだ、両病院ともリハビリ職員が
認知症検査もしていた。

寝ながら読書する




1

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3
夕食、完食



親不孝な娘と老親


令和6年7月15日(月)海の日 

 日の丸

明日、リハビリ担当者が来る日だけど、
その方がいる時シャワーを浴びると話し合っていたが、
頭が痒いので一人で浴びました。
一人の時は入らないでと言われていたのです。

二人部屋の同室の方は(83歳)私と同じ症状らしかったが、
もっと重傷で上向きに寝た切りだった。
社交的な方と見受けたがあまり話はしなかった。
なぜならその方ベットで寝たきりだし、
ぼそぼそと喋られるので聞き取れなかったので
面倒で会話が弾まなかった。

退院する時挨拶したらちょっと話が弾みました。
娘さんがいると伺ったが一度も見舞に見えなかったので
都内にいるのか、知らせたのかと聞きましたら、
知らせてあるし都内に住んで居ると言う。

随分な親不孝な娘だな、それでも財産は狙っているらしかった、
介護保険も近いうちに認定調査があるとのことだったので、
多分介護度も上がると思うのでケアマネの懐に飛び込んで
なんでも相談してご覧とアドバイスした。

娘とは決して喧嘩をしないように、そして娘には1銭も残さず
自分の老後の為だけに使いなさいと力説しました。
なにか相談したいことがあったら電話してくださいと
名刺を渡しました。
(おせっかい)
村八分ではありませんが、転倒して寝たきりと言う状態は
一時停戦すべきではないでしょうかね。

娘と断絶しているのは多分この方にも原因があると思う。
しかしこんな状態でも一度も来ないと言うのは
並大抵の断絶ではありませんね。

1周60数歩の廊下歩行を10回、暇さえあればやっていますが、
課題は突っかかることです。
600歩突っかからないで歩くことが課題です。

朝
朝食
003
昼食、お腹空かないので一日2食にしようかなと思わぬでもないが、
中途半端にお腹空いたら乱れるので軽く食べる
夕
夕食.





男の子の育て方(画像追加)


令和6年7月14日(日)雨模様

リハビリを担当してくれた職員さんが
中学生の息子が反抗して手を焼いていると
悩みを打ち明けられました。
私、男の子の育て方については持論があります。
「男の子はね、小学生まではおんぶにだっこ舐めまわして育てなさい」と
只貴女もその様に育てたかと問われれば、
忸怩たるものがあります。
しかし真剣に対峙したことは自信を持ってそうだと言えます。

中学生になると途端に親の言う事に悉く反抗します。
放射線を描いて遠くに飛んで行きます。
それが正常な成長だと思う。
戻って来てくれるのか判りませんが小学生まで十分可愛がって
育てたのでそれ以上は望まないこと、

 当時私の周りの母親は言っても聞かないので
何も言わないことにしたと言っていました。
そうじゃない!
親として言うべきことは聞こうと聞かなかろうと言うべきだと。

反応は無くても親の云ったことは骨身にしみているはずです。
我が息子も多感な年頃に家庭内が大混乱していましたので
親として何も期待はしませんでした。

只他人に迷惑を掛けず、金銭問題を起こさなければいいと
それだけを願っていました。
40代までは割と疎遠でしたが、
結婚して落ち着いてからは近づいてきました。

ある時息子と一献傾けた時、息子しみじみと言いました。
「俺は実家があると言うことがとてもありがたい、○○子(娘)も同じ考えだと思うよ」と言われた時は
しみじみと子育て成功だと嬉しかった。
当時離婚してもおかしくない状態でした。

それと縁談があった時「俺が高卒だったらこの縁談は無かったと思う」とも言われました。

と言うのは息子は小学2年生から野球をやっていましたので
大学入学の時監督さんに無理なお願いをして寮に入れて貰いたい、そうでなければこれから東京で暮らすには3部屋の部屋は借りられないしアルバイトしなければ大学生活は不能だと無理な
お願いをしました。

いろんな方のお力添えで寮生活に入りました。
しかし野球の名門大学だったので全国から甲子園級が
沢山居て挫折して2年時にとうとう退部して我が家に戻りました。

寝る部屋も無かったので私達夫婦の部屋で過ごしました。
当時私は少しでも稼ぎたいと思い家業が終って家族の夕食の支度を終わってからスカイラークでパートしていました。
しかし当時娘は高校受験を控えているのに
私の留守をいいことに勉強を一切していないことに気が付き、
止めました。

代りに息子を12時までと言う条件で入れて貰いました、
しかし朝起きてみると息子は終夜働いていたのです。
私は無慈悲に叩き起こして学校に行かせました。

店長に可愛がられて頼みを聞いて終夜働いていたのです。
すれすれでもいい、成績はびりでもいい、
大卒の資格さえあればいいと考えていました。

幾ら名門の高校を出ても高卒は高卒、
程度の低い大学でも大卒でなければ
スタートラインに並べないと言うのが私の持論でした。

無事に卒業しましたので親としての責務は果たしたと思いました。
その後母が亡くなり遺産が少々貰えましたので、
スラムみたいなマンションでしたが、
幡ヶ谷駅4分のぼろマンションを買い結婚するまで何十年も
住んで居ました。
月々3万円入れさせましたし、
地権者に損のない価格で買って貰えました。

私の子育ての信条は人に迷惑をかけない、
金銭問題を起こさないと言う事でした。
子供達はその点親よりしっかりしていますので
親としてとても嬉しいです。
只一つ、幸せであればいいと願っていました。


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朝食 生ゴーヤ
003
昼食、玉蜀黍、メロン
夕食
夕食、





歩行訓練


令和6年7月13日(土)晴れ

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今日のお昼、中華マン、サラダ、野菜ジュース

お昼を食べてからベッドで寝ました。
眠れはしませんが身体を休めます。

私と入れ違いに乳がんと大腸がんの同時手術をした
同フロアーの方と我が家でお互いの消息を話合いました。
乳がんは全摘出したそうですが、
腸がんの方はこれから抗がん剤治療をするそうです。

彼女は腰に金属が入っているので毎日フロアーを歩いています。
私も真似して歩くことにしました、
約60歩ありますが10回歩きます。
よく突っかかります、
踵から着地して突っかからないように歩くのが課題です。

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1周約60歩あります。

015
今夜の夕食、お腹減らないのでご飯抜き、
トマト、ゴーヤの生、毎日3食ゴーヤの生を食べよう

夕方娘が来て頼んであった電球を買って来てくれました、
ビールを飲んでテレビを観て帰る。






大豊作


令和7年7月13日(土)晴れ


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昨夜はベッドインしてから結局12時頃まで寝付けなかったし
夜中に4回も起きましたけど7時に目が覚めたので
即起床しました。

涼しいうちに農作業しました。
大きなゴーヤが7,8個ぶら下がっています。
入院中にお隣さんや娘が収穫したんですけどね、
昨年より大きいので娘曰く「去年はママがあんまり弄っていたので大きくならなかったんじゃない?」と申します。
去年と同じアバシゴーヤですけどね、
入院中はお隣さんが面倒見てくれました。
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柵も増設しました。


朝食を食べてこの後寝ます。

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今朝の朝食

今、息子が安否を気遣う電話を呉れました。






 

退院


6年7月12日(金)雨模様

午後に息子が迎えに来てくれて無事に退院致しました。
皆様にご心配お掛けし、申し訳ございませんでした。

一か月近く寝て過ごしましたので、動くと疲れて 腰かけていることも腰に体重が掛かりますのでパソコンに向かうのも大儀です。
書きたいことは山ほどありますが、今日はこれで寝ます。

娘が後から来てテレビ(録画)を観てから帰りました。
089
今夜の夕食、ワタミの配食弁当(減塩)、
病院にいる時に今夜からの夕食を注文しておきました。
元同僚に評判のいい配食弁当はどこかと聞いてワタミにしました。
入院する前から一人前の減塩料理の調理に困難を感じていました、買い物、調理はもう無理です。

味は病院の食事を一粒も残さず食べて鍛えてありましたので
大丈夫だろうと思っていましたが、
大丈夫、病院の食事の何倍も美味しいと思いました。
ご飯はスーパーのご飯です。
ビールは久しぶりです。
今日はいつもより涼しいので助かります。


もう限界です、腰が痛くなりました。




明日、退院。

さんごママブログを楽しみにしてくださっている皆さまへ

もうこのまま一生治らないのではないかと心配していた腰の痛みも
徐々に回復し全快ではないもののようやく明日12日に退院できることになりました。

冷房のきいた病室で、日に2回のリハビリと3度のご飯以外は
ベットでひたすら読書をする生活を長らく続けていましたので
今はこの酷暑のシャバへ戻ることへの恐怖が大きいようです。

病院のリハビリスタッフの方が暫くは週に1回様子を見に家にきてくださるそうですし
娘(私)や息子もおります。
さんごママは皆に支えられて また元気なおてんば87歳となって復活いたします!

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


さんごママの娘より

元気にしております

ご心配くださっている皆さまへ

6月17日に入院しましてから早いもので約2週間近くが経ちました。
現在のさんごママの様子ですが、腰の痛みがなかなか思うようには回復せず
入院生活が思いのほか長引いております。

今回の病院ではWIFIが利用できないため、持って行ったノートパソコンも役に立たず
ブログの更新も滞り…、

さんごママ、とうとうくたばったのか?!

と思われた方もいらっしゃるかと思います。
安心してください!
まだ生きています (笑)
美味しくない病院食を残さず必死で日に三度食べ、リハビリにも励み
腰痛以外は健康そのものです。
デジタルデトックスもたまには良いでしょう。
お陰様で読書が進むようです。

おそらくあと1週間から10日程で退院できるのではないかと思われます。

暑い日が続いております。
皆さまもどうぞお体大切にお過ごしください。


さんごママの娘より



プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

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