おてんば87歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

2020年09月

みえる景色


①西方


西方②

西方の写真を2枚繋ぎ合わせてここに掲載しようとしたら
容量オーバーで掲載出来ませんでした。
上をカットしたらできました。
別にどう~ってこともないお遊びです。
本当はこの2枚を更につなぎ合わせたかったんですけどね。



シニアナビ過去記事(279~283)「カオハガンキルト」


[279] カオハガンキルト① 2006.7.29  23:52:03   
18/7/29 (土)うす曇(一日中缶詰になって研修を受けていたので分からない)

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我が家のカオハガンキルト、オランゴ環礁の海の魚達
どんなに小さな魚にも丁寧に目が縫いつけてある。ボニィの作品



2月にカオハガン島に行った時注文していたカオハガンキルトがやっと到着。

カオハガンキルトは島の所有者、崎山氏のパートナー
吉川順子さんが島に住むようになってから島民に指導していまや、島の収入の30%を稼ぐ地場産業に育った。

順子さんは日本にいた時キルトスクールの校長だった。
順子さんが来る前の島の収入は、
① 島の宿泊施設の従業員、
② 島の村長、議員、小学校の先生(わずか2名ほど)などの公務員
③ アイランドホッピングで島に来た観光客に売るみやげ物売り、
④ 零細漁業で稼ぐわずかな収入、
フイリッピン一の貧しい島だった。

最初は子供に教えていたのが大人もやるようになり、
それが日本から来た観光客に良い土産として売れるようになり、
それまではおしゃべりで過ごしていた日常をキルト作りで過ごすようになった。今では男性もやる。

日本人には格安だがフイリッピン人には高価な作品なのだ。
セブのデパートで展示即売した時、いかにも金持ちそうなご婦人が
欲しくてたまらないが、高いと言って買えなかったそうです。

だから、順子さんが日本で精力的に展示会などに参加して売り込んでいる。
フイリッピンでは通用しない日本人あってのいびつな産業なのだ。
それが順子さんの憂いでもあるのだ。
何とか島民だけでやっていける体制にしたいようだ。

お値段は
ダブルサイズ(210×210)26,000円
シングルサイズ(210×150)18,000円
ストーリーキルト(100×80)6,000円

我が家のはシングルサイズだが、とても広い。
居間に敷いたらパァ~ッと明るくなった。
寝転んでテレビを見ると気持ちいいもんだ。

注文してから半年程掛かるが代金は前払いしておく。
出来上がると、その時帰国する客に頼んで成田で宅配便(着払い)で送ってもらう。
私達もメッセンジャーをやった。
[280] カオハガンキルト②  2006.7.30   00:50:00   

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居間に広げたら「さんご」が早速寝転ぶ、
「もんち」は頓着しない、
やはり「さんご」は生後4ヶ月過ごしたカオハガンの匂いを覚えているのだろうか。
「さんご」の夜中の様子。
[281] カオハガンキルト③  2006.7.30   00:57:01   

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島のいたるところでキルト作業をしているが、やはり島民の家は狭い、去年、キルトの売り上げから拠出したお金で「キルトの家」が造られた。
島民は風通しの良い涼しい家で気ままにキルト作りに励む。

[282] カオハガンキルト④ 2006.7.30  00:59:35   

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数ヶ月掛けて出来上がるので、やはり汚れている。
出来上がると洗う。

[283] カオハガンキルト⑤    2006.7.30   01:09:06   

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人気作家エルニン、
彼は元々大工だった、崎山さんが母屋を建築した時、作業員として島に来て島の女性と恋に落ち、結婚して島に住むようになった。
そしてトゥバ(椰子酒)作りで生計を立てていたが、
いち早くキルト作りに目をつけて今や流行作家である。
やはり彼は芸術家である、その作品は素晴らしいそうで、
彼に作ってもらうには数年の辛抱がいるらしい、そうだ私も頼んでみようかな。
おかげで、島の住民は椰子酒を飲めなくなった。

(後記:その後、訪問した時にもう一枚買いました、
過去記事
掃除が出来ないお年頃になりました
73b988c0-s[1]
2枚目、現在居間に敷いています。

清話政策研究会との懇親の集い


令和2年9月28日(月)晴れ

清話会 安倍晋三元首相、菅首相挨拶令和2年9月28日
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政治家も皆さん小粒で頼りないですね、個性がありません。
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東京プリンスホテル
昔、赤プリ、品プリと愛称していたプリンスホテルは
今はどうなっているのでしょうか、
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十年以上前に息子に貰った5万円で買ってドレス
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爪の手入れをして行きました。
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午前中プルマンを焼きました、出来としては95%位かな、
一個はまあまあですが、片方はもう少し発酵したほうがよかったかも

今日は東京プリンスホテルで開催された清話会のパーテイに同志と参加しました。
例年は御馳走が沢山いただけたので楽しみに参加しましたが、時節柄とは言え、飲食は提供されませんでした。

会費は2万円です。
篤志家が沢山買って同志に配って頂けるので只で参加できますが、わざわざ行って政治家の挨拶だけではつまらないです。
今日のパーテイは政治資金集めだとおもいますが、9月13日の日経に政治資金パーテイの終始決算の記事が掲載されていましたが、
その記事見つからないのでここに書けませんが利益率はとても良いとあったような気がします、

今夜のパーテイはまさにコスパがいいでしょうね、尤も三密を避けるために部屋を12室も用意されたそうです。
私達は第二会場でしたがかなり広い部屋でした。
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ホテルの引き出物袋に入って居た物は、 
乾杯用のビールと水と1000円のクオカードでした。

第三会場にいた村田さんから電話があり、始まって2分したら出ようと指令が来ました。
有楽町の高架下の焼き鳥屋で懇親しました。
話題沸騰して愉快な懇親でした。
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シニアナビ過去記事(278)「市原悦子さん」


[278] 市原悦子さん  2006.7.23  01:12:37   
18/7/22(日)曇り 数日間梅雨空、肌寒い
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16輪目のうらなり君、葉影でけなげに咲きました

私、市原悦子さんが好きだ、同年代だし親近感を持っている。
最近、最新のドラマを観たが、芸能人必須の顔をいじってないのね。年相応と言うか顔の弛みが増えていて驚いた。

「家政婦は見た」「バスガイドの愛子さん」役等好きだったなぁ。
私が家政婦まがいのヘルパーに躊躇なく入れたのも彼女のおかげかな。

私も好奇心旺盛だから他所のお宅を覗けるのは彼女に負けずに面白い。天職だと思えた。
役柄とは言え彼女が演じると「そうそう、そうなのよ」って同感する。

この度のドラマでも1個の卵で3人がご飯を食べる場面で私と同じ事を言っていた。
今でも卵かけご飯を食べる時「私の子供の頃はねぇって、、、」娘に言うの。

子供の頃、卵かけご飯はご馳走だったし、大好きだった。
卵は貴重だったので1個を2人で食べる事が多かった。
「よーーく」混ぜないと不公平になるので、
このドラマの悦子さんのセリフ同様必死で混ぜたもんだ。

それから又、家政婦の秋子さんが、2階の窓で歌う演歌にも共感する。

♪ひとーりで 生きてくなんて でーきなーい~~と♪

♪あすのこと~さえ~~ わかりわ~~しないー チャラ~らん♪
なぁ~んてね。

秋子さんや悦子さんが私とおんなじ苦労をしたとは思われないが、
私の40代後半は悲惨だった。

「不信と経済苦」

でも私は子育が一番大事な正念場だったので、投げ出すわけには行かずぐっと我慢して下手な演歌をカラオケでがなり散らして耐えていた。

毎日歌った、息子の大事な高校受験勉強に差支えるほどに。
息子が言った「俺が落ちたら、ママのせいだからな」って。
(後記:当時ホームパーテイ出来るように高級カラオケ機器を設置していたのでやけっぱちの大音量でがなり近隣に迷惑かけていたと思う)
隣家の大学の先生にお礼を言われた(皮肉かな)
先生はカラオケの持ち歌が一つしかなくて、馬鹿の一つ覚えを歌おうとしたら仲間にたまには違う歌を歌えよと言われ、

「じゃお隣の奥さんに習った歌を歌います」と言って、
♪捨てられても 捨てられても あなたがすーきよ~~♪とやったら
「お前に似合わない歌を知ってるな」と好評だったそうだ。

インテリを自認する女性は演歌を嫌うが音痴の私は演歌しか
歌えないが演歌にはどれほど慰められた事だろう。
だから役柄とはいえ演歌を歌う悦子さんが好きなんだ。

50代前後頃かなぁ。
私はよく市原悦子に似ていると言われた。
それまでは「家政婦」も観なかったし、市原悦子ってあまり興味なかった。
でもあまりにもちょくちょく言われるので気にしだしたんだ。
ある時など、公園で友人と話していたら、若者がつかつかと来て、
「貴女は市原悦子に似ていると言われませんか」と言うの。

娘に今日も言われたよと言ったら、
「市原悦子に似ていると言われて嬉しいの」と馬鹿にした言い草。
「うん、うれしい」
美人じゃないからって、馬鹿にするんじゃないよ、
筋は忘れたが銀座のママをやった時の悦子さんは絶品の女っぷりだったんだから。

だから、いまから年相応の婆役などやらないで、
人並みにフエースリフトも少々やって色香のある役をやって下さいよ。
でも自然のままに年取るんならお付き合いしましょうかね。

ところが、最近はとんと言われなくなった。
いつあたりから私と悦子さんは路線が離れたのだろうか。

影響されやすい私は悦子さんがドラマで着ていた藍色のワンピースに紺のベストのスタイルが気に入ったのでおんなじ格好してみたくなった。

昨日、京王デパートで探してみたけど似たようなのは見つからないなぁ。



三島由紀夫のからっ風野郎


令和2年9月27日(日)晴れ

今日は午後から表記の映画を鑑賞してきました。
三島由紀夫が主演する映画想像できるでしょうか。

当然演技は下手見ていられませんが、
周りを本職の俳優で固めてその下手さが際立つのですが
見ているうちにこれは多分三島由紀夫の
お遊びだなと思うようになりました。
大作家だからこそ許されたお遊びでしょうね。
必見の映画です。

周りの俳優たちがすべて後に有名になる俳優ばかりですが、
当時すでに有名だったかもしれません。
よく知る俳優たちの若き日の姿が見られて得した気分です。

この映画は1960年、昭和35年製作ですから
私が上京した年(当時23歳)の作です。

当時底辺で暮らしていた私はこの映画の事を何も知りませんし、
私は生意気にも洋画しか見ませんでしたから風景が懐かしいです。
当時の日本映画の背景がよく判らないのです。

背景が見覚えのあるものばかりで今の人たちが見ると汚い背景でしょうが、当時は皆貧しかったのです。
三愛(服屋、ここでコートを買ったことがある)とかトルコ風呂とか
○○マーケットとか懐かしいです。
当時の街の風景が作りものでなく見られて貴重でした。

終ってから少し感想等述べあいましたが、
皆さんよい映画だったと異口同音でした。

その後10人ほどで近所の居酒屋で懇親しました。
私、最近引っ込み思案を捨てて積極的に周りに合わせて会話するようになりました。
引っ込み思案と言うのは無口でおとなしいと言う意味ではなくて何となく人と合わせるのが得意ではなかったんですが、
最近吹っ切れたような気持です。

難聴なので騒がしい居酒屋で会話が難しいこともありますが、
最近は何とか会話が楽しめるようになりました。
今夜も突っ込んだ話が出来て楽しかったです。

からっ風野郎(1960年製作の映画)
上映時間:97分
監督:増村保造
脚本:菊島隆三 安藤日出男
出演者
三島由紀夫
若尾文子
船越英二
川崎敬三
根上淳
小野道子
水谷八重子(良重)
志村喬
潮万太郎
倉田マユミ

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プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

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