国葬賛成

安倍元総理が銃撃されて以来マスコミは旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の献金問題を大報道していますが、
どこも黙して語りませんが創価学会にも同じ問題があります。

私は上京して(昭和35年8月)間もなく高校の同級生に
無理やり折伏されました。
父親が外国航路の機関長だった親友は当時横浜に住んでいて
その母親と一緒にある寒い冬の日に突然押しかけて来て
朝から晩まで渋る私を強引に説得しました。

高校時代彼女の家にはお父さんが世界中を巡った珍しい写真や物がありましたので外国に憧れていた私は学校帰りに彼女の家にお邪魔してそのお母さんに歓待されていましたのでむげに断れなかったのです。
確かその前年に池田大作が会長に就任して大躍進していた時期だったと思う。

確かに上京して貧しい底辺の暮らしでしたので寄る辺はありませんでしたのでどこかに頼る気持ちもありました。
以来つかず離れずの学会員をかなり長く続けておりました。

入信した頃富士の大石寺に正本堂を建設するために学会員に寄付を強要しておりました。正本堂 (大石寺) - Wikipedia
私は入信する時に友にしつこく宗教は金をむしり取る仕組みだろうと何度も確かめましたので友は寄付しろとは言えなかったようです。 そして貯金箱を持って来てこれに5円10円でいいから毎日入れたらと言いました。

寄付を持ち寄る日にその当時は縦線、横線と言う組織図がありましたので彼女繋がりの縦線の横須賀迄行きました。
正直に5円10円を溜めた数百円(500円以内)を持って行きました。
横須賀迄の運賃より少なかった。

彼女はいくらしたのと聞きましたら、彼女は出来るだけ沢山寄付するために朝牛乳配達していると白状しました、
数万円したそうです。
私は何か騙されたような屈辱感に襲われました。

私は入信したばかりなので知らなかったと思うんですが、
これを集める為に組織をあげてかなり強引な勧誘があったと
思います。

その後財務と言う強制的な寄付が毎年秋になると鳴り物入りで
集められました。
座談会に行く度に体験談として功徳を頂くためにこれこれこうして お金を溜めているとか、こんな功徳を頂いたとか語っていました。

其の寄付は最低1万円でしたので
私はいつも最低を寄付していました。
私は無理して高額の献金をしてまで功徳を頂こうとは
思っていませんでした。
福徳は自分で努力して獲得するものだと信じていましたからね。

ところで義母も入信しておりました。
熱心ではありませんが真面目なので毎日お経をあげて
座談会に誘われれば出席していました。
義母の処にため口が同じ学会員として訪問していましたので
知り合いました。

義母!この財務の事で小さな体で戦っておりましたよ。
「私はわずかな年金で暮らしているんだ、たった1万円と言えども
私には大金だ、どうしてこんな貧しい老人から迄むしり取るんだ」と
抗議していましたね。
そうしたらやっぱり幹部が貯金箱を持ってきましたよ。

組織や幹部にはノルマがあったようです。
沢山集めると表彰される様でした。
それは彼らにとっては名誉だったと思う。

そしてその総額は数千億円だったと思いますが、
末端の会員にはその総額は知らされませんでした。
どんな組織でも金を集めたら会計報告と言うものがあると
思うのですが、学会にはそんな常識はありませんでした。

その他に新聞の拡販が強引で気の弱い学会員は一人で何部も
とっていましたし、
潤沢な無税の金がだぶだぶあるので大事にはされなかったようで、学会の会館から出たごみの中に多額のお金入りの袋が捨てられて
集積場で発見され大問題になったこともありましたね。
横浜捨て金庫事件 - Wikipedia

選挙がこれが又すごかった、遠くの親戚が都知事の選挙の為に上京してきて説得しますし、組織をあげて選挙活動しますから、
ノンポリが大半の一般人は負けますね。

選挙になると俄かに愛想よくなる幹部もいました、
脱会してからある幹部とすれ違いましたが、
わざわざあと戻って来て選挙を頼みます。
嫌味な私は「貴女は選挙になると目が見えるようですね、普段は
すれ違っても挨拶もして頂けないので目が見えないのかと思っていましたよ」と言ってあげました。

その後学会と大石寺との喧嘩になり、座談会では大石寺やその僧侶の悪行と言うものを穿り出し口汚く罵り、聖教新聞には毎日毎日これが宗教人のする事かと言う記事が溢れ、座談会に行けば時の総理を田中が田中がと呼び捨てにする姿にとても違和感を覚え脱会を決意しました。
  
普通脱会を申し出ても幹部が入れ替わりに来て説得するものですが私は多分あいつは絶対に変わらない奴だと思われていたと思いますのですんなりと認めてくれました。
正本堂
正本堂
破壊される正本堂
破壊される正本堂