令和4年7月11日(月)晴れ

先日出してあった「ご自由にどうぞ」出品が
あらかた無くなっている。
悪いけど、あんまり欲しくなるような出品ではなかった。
けど捌ける、それで昔言われたことを思い出しました。

昔なんだけど幡ヶ谷で工場を経営していた時同じビルの
昔からやっていた八百屋さんのお言葉!
この八百屋さんは配達を主にしていて配達区域は一応高級住宅地と言われた西原、上原方面と庶民の町、〇町方面だった。
「あっち(高級)とこっち(〇町)じゃ買う品や量が全然違うよ、こっちは(我が町方面を指さして)昔はスラム街だと言ってたんだよ」
そっか!やっぱり我が町は庶民(と言っておく)の住む街なんだわ。
さて今度は何を出そうかな、衣類も捌けるかな、

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もうちょっと整理して出せばいいのにね
黒い帽子とサンバイザみたい、黒い物体は何だ!
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今日の夕方
「かづきれいこの本」貰いっ!
昔、高校時代の家柄もよく頭もよくて
超美人の親友が「かづきれいこ」にスカウトされてメンバーに
なって手伝っていたことがある、
生まれつき美人だからメイクの良しあしは関係ないのよね、
62歳で乳がんから脳に回って壮絶な最後だった。
その時はじめて不謹慎だけと彼女に「勝った」と思ったわ。
(前にも書いたと思うけど彼女は高卒後ミスユニバースの県代表に選ばれた、当時(昭和30年代)他の県は知らないが佐賀県では県知事が若い女性の多い組織に美女を推薦してくれと依頼していたそうだ、だから良家の美女が選ばれていたのだ、私は高校時代彼女は当時イタリア映画界で活躍していたピア・アンジェリによく似ていると思っていました)
かずき本

親友とは月に一度位、京王プラザホテルの樹林で
お茶、食事しながら国の現在、行く末を案ずる話をしていた、
多分50代前半の頃だった、
私が護国に目覚めたのはその頃だったと思う。
彼女に亡くなられて護国の話が出来る人が居なくなり、
とてもさみしかった。其の頃は日本人はバブルに踊って浮かれて
いた、国を憂いていた人は私の周りには皆無だった。