おてんば88歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

平成17年(2005)元旦から令和2年(2020)7月14日までは ケアマネ日記を書いていましたので興味のある方はご覧ください。 これからは余生の日々を綴ります。 過去記事 「83歳いまだ現役!日々録」http://blog.livedoor.jp/monnti3515/

さんごママの状況⑪ 誕生日を迎える


さんごママを応援してくださっている皆さまへ

5/31は母の誕生日でした。
89歳です。


4月に病院に運ばれた時に医師からは
かなり状態が悪く急変する可能性もあると言われ
延命治療の希望も聞かれました。

今年の誕生日はもう迎えられないんだと思いました。


でも母は見事に復活し無事89歳になることが出来ました。
なんという生命力でしょう。
しかし具合が悪くなるのも簡単で何かのキッカケで一気に弱り
あっという間に重症化してしまうという事も今回のことで
よく分りました。
油断は禁物です。

もう1人暮らしする自信は無いと言っていた母ですが、
一度マンションに戻って試してみようかな、と言い始めました。
さて、どうすべきか。

悩みます。。。

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兄夫婦がプレゼントしてくれたお花。


さんごママの状況⑩ 進化を遂げる

さんごママを応援してくださっている皆さまへ


その後のさんごママ、
今のリハビリ施設に移ってはや10日。
すっかり馴染んでいる様子で、1週間が経った頃に1週間経ったね、と言ったら

えっっ!
と本気で驚いていた。1か月位前からここにいたかと思ってたと。 苦笑
施設の従業員の方も皆親切で居心地はいいようだ。
リハビリも順調に進み、すっかり元気になった。
身体は元気になったが、認知は進み出来なくなった事も沢山ある。

まず、あんなに活字中毒だったのに読み書きが駄目になった。
文章を書いても字は乱れるし文面もへんてこ。
文章を読んでても文字が頭に入ってこないようで、同じページを永遠に見ている。
このブログも見れていない。
スマホも操作の仕方が全く分からない。

そんな母だが、ここ3〜4日前から変化が見られた。
暇つぶし用に持って行っていたカタログ雑誌をパラパラめくるようになっていた。
今度は試しに新聞を持って行ってみた。
そしたらだ!
なんと今日はメガネをかけてその新聞を読んでいた。

驚き桃の木さんしょの木、これは進化だ

日記をつけたいから日記帳を買ってきてと言う。
日々の記録を残したいそうだ。
タイトルは「老いぼれ日記」だそうだ 笑笑

母は明らかに回復に向かっている。
日一日と出来ることが増えてきて、まるで赤子の成長を見ているようだ。
次はスマホを使えるように特訓だ。



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さんごママの状況⑨ 退院&施設へ

さんごママを応援してくださる皆へ


ご無沙汰しております、さんごママの娘です。
その後の母の状況、
病状(心不全)はすっかり落ち着き医師からもすっかり元気になりましたね、と感心されるほど。
リハビリも進み支えがなくても歩けるようになりました。

そして昨日(5/14)とうとう病院を退院し、病院が紹介してくれたリハビリ施設に無事移動しました。
病院には約1ヶ月半お世話になりました。
移動先を探してくれ、施設の受け入れがOKになるまで治療の終わっている患者をおいて面倒をみてくれた病院には心からの感謝です。

新しい環境になりせん妄がぶり返さないかを心配していましたが、今のところ特に変わりはない様子。
ただ、認知は進んできていますので今回の施設を「ここは何?病院?」と何十回も聞いてきます。
説明すると「あ、そっか」と理解しますが、次の瞬間には忘れてしまいます。

この施設にいられるのは3か月。
その3か月で自宅に戻るのか、介護付老人ホームに移るのかを決めなくてはなりません。
認知の状況からして自宅での1人暮らしは難しいと感じています。

でも、自宅に戻って今までと同じ生活をする、という僅かな希望がどうしても捨てられません。
母にとって一番最善の選択をしたい。
でも、答えがわかりません。

ニュースで作家の佐藤愛子さんが102歳で亡くなったと知る。
母が好きだった作家だ。
さんごママも102歳まで生きたらあと10年以上あるよ、と言ったら
こんな状態で10年も生きたくないよー、とうんざり顔。
帯状疱疹の痛みと認知が辛いんだと。
母は自分の認知が着実に進んできている事を理解している。

人間の肉体や脳みそが壊れていく様を諦観している。
母を見ていると歳を重ねること、老化を受け入れることが怖くなってしまう。





さんごママの状況⑧ 戻ってきた?さんごママ

いつもさんごママを応援してくださっている皆さまへ


昨日までの2日間の出来事。

◉4/21 入院20日目のメモより

今日は驚いた。
せん妄が完璧になおっている!
まるでボケてない。昔の話から現在の話までよく喋った。
やっと本来の母に会えた。嬉しい。
ぎゅっと苦しかった胸がじんわり緩んでいく。

入院当初の事は何も覚えていないと言う。
救急車で運ばれてから今までの事を話して聞かせる。

日々の事を記録したい。
何か書きたい事があるの?
そうじゃないけど生きている証を残したいのよ
昨日も書こうと思ったけど何故か字が上手く書けないのよ。

メモ帳を見ると解読不明な文章が2行くらい書いてあった。
本人が読み返しても意味がわからない。

今までに来たブログのコメントを全部読んで聞かせた。
皆さんに返事がしたいので今から言うことを代わりにブログに書いて。


以下、母からの返信です。

読者の皆さんお久し振り。
ご心配お掛けしていますが、私は確かにご心配をお掛けする様な状態です。
五体不満足です。
並べたらキリがないので身体崩壊の件については今は述べません。
帯状疱疹についても最悪な状態です。
ただまだ脳は健全といえるか分かりませんが、皆さんからもしお返事を戴けるのであれば
それは理解出来ると思います。楽しみにして待ってます。



途中覗きに来た看護師さんに母のせん妄がすっかり無くなった事を伝えたら、
「午前中はそうでもなかったんですけどね、、、」と。
まだまだ波があるんだろう。
でも間違いなく今目の前にいる母は今までにないクリアな状態だ。
良い傾向に違いない。
23日に介護度を決める認定調査があるからいつも以上に頑張ってシャキシャキしないでよ、と言ったら
それは私がケアマネの時によく言ってたこと、私はプロなんだから上手くやるわよ、と。

ここの病院で上げ膳据え膳で何から何までやってもらうのに慣れちゃったから
もう元の生活には戻れないと思う。
あのマンションは凄く好きだけど、一人暮らしはもう無理だな。
どこか施設に入らないとね。


◉4/22 入院21日目のメモ(昨日)

今日も驚いた!
なんと、昨日私が来たこと、私と喋ったこと、全てキレイに忘れていた。
えぇ! 本当に覚えてないの?!と私がもっと驚いていたら
あぁ、これが認知なんだね。色んな記憶が無くなっちゃうのよ。
切ないよねと寂しそうに呟く。

とはいえ、昨日ほどではないにしても今日も比較的しっかりしていた。
多少ボケが混じるけど全体的にはいい感じ。
♪ 3歩進んで2歩下がるってやつだ。

母は間違いなく体も頭も回復に向かっている。

ただ問題は色々あります。
もうあのマンションで元の生活に戻る事は出来ない事、
新しい環境になったら またせん妄が酷くなる可能性がある事、
スマホ、パソコンの操作や文書の読み書き等、今までの様には出来なくなってしまった事が山ほどある事、

移住先(施設)はまだ決まっておりませんが、恐らくGW明け頃には
退院して新しい場所へ移動となるかと思います。
母の老境生活の第二章が始まります。

久しぶりにチョコレートが食べたいから買ってきてと言うので
買って持っていく。
食べながらこれ何処のチョコ?と何度も聞くので
何で?美味しくないの?
うん
随分と贅沢言うじゃんよ
最後くらい言わせてよ





さんごママの娘より

さんごママの状況⑦ せん妄

いつもさんごママを応援してくださっている皆さまへ

その後のさんごママ、
体(心不全)はほぼ元通りに回復したと思います。
今は帯状疱疹の激痛と筋力低下とせん妄との戦いの日々です。
入院当初に病院から貰った「せん妄に」関しての説明書を改めて読み返してみました。


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まさにこの通りです。
母はこの「せん妄」真っ只中にあります。
以前、義理の叔母が入院した際もせん妄状態になりましたが、
退院して自宅に戻ると症状は消えてすっかり元通りになりました。
そうだ!せん妄なら環境が変われば元に戻る可能性はあるんだ。
今は支離滅裂な話7〜8割、まともな話2〜3割の状態です。


【比較的まともな時の母との会話】

寝てばっかりいるよね➖「寝るより楽は無かりけり」「アンタよく起きてるね」
さんごママはよく寝てるね➖「アンタも寝なさいよ」

「私は認知で色んなことをメモ出来ないからメモしておいて」
認知って分かるの?➖「分かるよ」

伸びてきた爪を切ってあげた時 「私のカッコいい爪を変な風にしないでよ」
私の爪はカッコよくないけど誰に似たの? 「パパでしょ」

「迷惑はかけたくない。精一杯生きたい」
「最後にこの痛みが取れてニッコリ笑って死にたいな」
「この痛みは本当に何とかならないのかね、もっと研究して欲しいよね」


「葬式はしっぽり贅沢にやりたい」 「香典は貰うと面倒だから貰いたくない」

「いつも行ってたベーグル屋さん、急にあのオバサン来なくなったと思ってるよね、2〜3日おきに行ってたからね、そのまま謎にしておいてね」

激しい痛みに大きな声を上げる
看護師さんが飛んできて「大丈夫ですか?もう直ぐご飯ですけどどうしますか?」
「痛みとご飯は別です」➖ご飯完食。
「このお魚凄く美味しいからアンタも食べてごらん」

「私、まだ死なすには惜しいでしょ?」

「あれ!パパは?」➖パパはもう随分前に死んだでしょ
「あ、そっか」
パパに会いたいの?➖「絶対に会いたくない!」

食事中、片手だけで食べてたのでもう片方の手もテーブルに出して!と言ったら
「(手は)無い」

明日は仕事で来れないからまた明後日ね➖「うん、いつもありがとうね」


童心に返ったような母に泣き笑い。



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病院内をお散歩。
外を眺めてます。


さんごママの娘より



さんごママの状況⑥

さんごママを応援してくださっている皆さまへ


昨日で母が緊急入院してから丸2週間が経ちました。
母の人生はこの2週間で激変しました。
2週間前の母の日常からは想像もつかない今があります。
絶望感に襲われたり希望が見えたり途方に暮れたり、
私はまるで母と一緒に先の見えないジェットコースターに乗っているような気がします。

入院3〜4日目頃には、
「ブログには全部赤裸々に書いていいからね」
「私の様にしっかりしてた人間でも最期はこんな風になっちゃうんだって事を皆に知らせたい」と言っていました。
ちゃんと自分の現状を理解していたんです。
でも今はそれも分からなくてなっています。
昨日は「鳥類が、、、」「マッカーサーが、、、」「国長が、、、」「中華人民共和国が、、」と何だか難しいことをぶつぶつと呟いていました。
護国活動を懸命ににやっていた母です。
きっと国のことを憂いてるのかもしれません。
最後には「皆で私の事を騙そうとしてる!」と怒ってしまいました。

これはせん妄なのか、認知なのか、判断がつきませんが
一時的なせん妄であることを祈るばかりです。
近年の母は短期記憶が保てず色んなこと事を覚えていられない、判断力が無くなってしまった等々
自分の認知状況を全て理解しており、老いてあらゆる事が出来なくてなってしまった自分を悲しんでいました。
どんな困難な局面でも いつでも自分で道を切り開いて力強く生きてきた聡明な母です。

いっそのこと完全に訳が分からなくなってしまった方が楽なのかもと思ったりもしましたが、
いざそうなってみると やはり私は本来の母に会いたい。



さんごママの娘


さんごママの状況⑤ 刻々と

いつもさんごママを応援してくださっている皆さまへ


その後の母の状況
母は日々刻々と変化しているように見えます。
4日前の午後(4/10)、母はよく喋りました。
リハビリのお兄さんがとても熱心に対応してくれたことが
母の生きる気力を呼び戻したようで、
もう死んでもいい、から もう一度頑張ってみる、に気持ちが変わったと。
頑張って生きて皆さんの期待に答えましょう!と。
心境の大きな変化があったことを私に何度も伝えてきました。
心なしか表情も少し明るく感じました。
病院からの帰り、私の心がどれほど軽くなったことでしょう。
兄に電話で母の言葉を伝え、私は翌日から仕事へ発ちました。

そして3日後の昨日の夜(4/13)、仕事を終えて病院へ直行しました。
そこにいた母は3日前の母ではありませんでした。
視点が合わず、何か訳のわからないことをぶつぶつ喋っています。
私のことは認識していますが話がまともにできません。
母は重度の認知症患者となっていました。
身体は順調に回復したのに、脳が壊れてしまったんだと思います。
ほんの数日間で人間はここまで変わってしまうものなのでしょうか。

歩けないのも上体をしっかり保てないのもきっと筋力の問題だけではなく
脳がうまく指令を出せなくなっているからじゃないかと思います。



皆さんに良いお知らせが出来ずに申し訳ありません。
今は絶望感に襲われてます。
今日もこれから母に会いに行ってきます。



さんごママの娘

さんごママの状況④

さんごママをご心配くださっている皆さまへ


その後の母の様子。
もう眠くなる薬は服用していないはずなのに、母は一日中ウトウトしており
せん妄状態なのか、ただ寝ぼけているのか、それとも認知が急速に進んでしまったのか
まともな会話が出来ないことが多いです。
昨日はしきりにお金の心配をしていました。
でも食事の時はちゃんと覚醒しており、目もぱっちり開き会話もできます。
ここの食事は美味しいけど量が多すぎるから私に半分食べろと仕切りに言います。
昨日のおかずは蒸し鶏のお料理でしたが、それは何?と聞いたら「ニワトリ」だと。

そして体は日一日と回復傾向にあり、尿の管も外されましたし、
酸素も一応まだ鼻に付けていますが、もう無くても大丈夫な状態と言われました。
リハビリも始まりました。本人はリハビリする意味がないと言って
あまり積極的ではありませんが、一応少しづつやってはおります。
ただここ一週間ちょっとの間、寝たきりだった為 筋力が著しく衰えてしまい
トイレまでのほんの1.5メートルの距離も支えがないと歩けないのです。
入院する3~4日前には近所の公園まで歩いてお花見にいったのが嘘のように感じます。

もう元に戻ることは出来ないのか、退院後一人暮らしはやはり無理なのか
帯状疱疹の痛みはいつまで母を苦しめるのか、
不安なことは山積みです。

私はどこまで母を支えることが出来るのか。
仕事を休職することも視野におきながら後悔だけはすることのないよう
頑張ります。



さんごママの娘

さんごママの状況③ 母の意志

いつもさんごママを応援してくださっている皆さまへ

今日は午前中は兄、午後は私が母を見守りました。
早くも今日から食事を出してもらえるようになりました。
帯状疱疹の激痛は今でも頻繁に母を襲い辛い状況が未だにありますが、
身体は日一日と少しづつ回復しているように見えます。


ですが、母の心は人生の終わりを迎える準備をしています。
もう決めているのです。強い意志を持って。
やけになってる訳でも悲観している訳でもない。

人生こう生きたい、と同じように
私の人生はここでこう終えたい、と
心に固く決めているのです。

何も後悔は無いし、やりたい事は全部やった
もう思い残すことはないんだと。
私がいくら生きててほしいと言っても揺るがないのです。
今日も言われました。
(私がいなくても)アンタが頑張りなさい、と。

私の願いはもはや母の心には届きません。
母の強い意志に太刀打ちできないのです。


このブログの記事をiPadで見せましたが半分も読めず
もういい、と読むのを中断してしまいました。


とにかく母と話がしたい、今の私はただそれだけです。




さんごママの娘


さんごママの状況②

ご心配くださっている皆さまへ

今日の様子をお伝えします。

昨日までは酸素マスクを装着し、手首もマスクを取らないようにベットに固定され
時々苦しそうにうめき声をあげながら体をよじっていた母。
目は固く閉じ、全く会話もできず、このままお別れをすることになるのでは、と
様々な後悔と絶望感に私は打ちのめされていました。

もう一度、

母と話がしたいそれが私の最後の望みでした。



それがそれが なんと言うことでしょうか!
恐る恐る病室に入った私の目に映った母の姿は、、、
酸素マスクも外され(鼻に入れるチューブのみ)
上半身を起こし、目を開けて起きているではありませんか!
昨日とのギャップに我が目を疑いました。
身体の状態は昨日までと比べるとかなり安定してきており
点滴の薬の量も少しずつ減らせているとのこと。

でも混乱状態でもあり夢の世界と現実を行ったり来たり。
支離滅裂なこと言ったかと思うと、現実のまともな話もする。
看護師さん曰くそれは薬の影響だと思います、と。

そんな状態でも今回のことで、自分の死をかなり覚悟している様子が伺えました。
私が「さんごママが生きててくれないと私すごく困るよ」と伝えると
「そりゃあそうかもしれないけど、それはアンタが勉強不足だからだよ」と。

母の強く厳しい言葉に今日は重かった心が少しだけふわりと軽くなりました。
急変の可能性やまだ安心できる状態ではないことは分かってます。

でも
戻ってきてくれたさんごママ、
本当にありがとう。


さんごママの娘より



さんごママの状況

いつもさんごママを応援してくださっている皆さまへ


さんごママの娘です。
母は昨夜、緊急入院を致しました。

帯状疱疹による激痛に襲われ辛く苦しい日々を送っていましたが、
薬と毎日通っている鍼灸治療のお陰もありほんの少しずつですが
症状が緩和されてきているな、と思って安堵した矢先でした。

患っていた心臓の病気が突然悪化しました。
二日前、私が仕事先の地から電話した際に今日はとにかく具合が悪い、
だから一日中寝てる、と言っておりその時は帯状疱疹の痛みなのかそれ以外の不調なのかは
母も混乱していてよく分からないようでした。
そして昨日の夕方、仕事帰りに母のところに直行したところ
母はベットではなく何故かリビングの床に寝ていました。
そして朦朧としていて呼吸も荒く明らかに様子がおかしかったのです。
食事もこの二日間何も食べていませんでした。

どうしていいのか分からず、翌日に来てもらう予定になっていた心臓の訪問医に
連絡をし、急遽来てもらい診て貰ったところ体中に水分が溜まっている状態と言われました。
そして母は以前お世話になった心臓の病院に救急車で搬送されそのまま入院となりました。

今日は長い時間、病院の母のもとにいましたが薬で眠らされている為、会話ができません。
母の急変に心が追いつかず、どうしていいのか途方に暮れてしまっています。
明日も病院に行ってきます。


さんごママの娘より

パンごときでこの騒ぎなんなのさ

令和8年3月30日(月)晴れ

今日の起床は10時20分、
アレー大急ぎ、なぜなら今日はエレベーターの点検日、
14時から16時に停止する。と大急ぎで針灸施療に支度、食事して駆け付けた、
ところがそれは明日のことだった、娘が来てここにちゃんと書いてあるでしょと言う。

夕方近くそうだ今年は玉川上水の桜も見ようと思った、
玉川上水の桜も見事だったよな~
身体はだるいけどこれが見納めだと意を決して出か掛けた。

ところが玉川上水の初台側は改良(改悪とも言われている)
工事でほとんどの木が倒されていた。
仕方ない幡ヶ谷方面に足を延ばそうと思う。しかし私の心臓足腰が持たない。
そうだいつも貰いっぱなしのUさんにママのパンを買って行こうと思ったが 
もう疲れてしまった。 帰ろう!
6号通り商店街で「銀座にしかわ」の食パン(1斤1000円)を2斤買った。
これはUさんも喜んでくれるだろうと私の心も喜んだ。

ところがUさん見るなりがみがみがみ、
(こんな大きなパン冷凍庫に入りきらないわよ)と言う。
冷凍庫に入らないんだったら友達にでも上げればいいでしょと言って
その場で帰宅した。

そのあと娘が来たので経緯を話す、このパン私欲しいよと言う、
じゃさっきのパン半分返してと言いに行かせたが出なかったそうだ、 
その後パン切道具できれいにカットしたのを交換して上げようと行ってみたら
もうすでに友達にあげたそうだ、 この行き違いなんなのさ。 

私もうブログアップも困難です、
写真を取り込み加工も出来ないし、文章だけで行きます。

          

生きてるよ②


令和8年3月29日(日)晴れ、花見日和

今日も遅く起きたけど、また寝ようと寝た。
朝食食べないと沢山の薬を飲めないので
食べてから薬のむ、寝る。
痛み止め飲んでからまた寝る、薬飲んでいるせいかいくらでも眠れる。

娘が誘いに来たので15時15分に花見に行く、よろよろしていく、
さてどこ行こう、ここら辺桜はどこでも咲いているな、
でも中央公園か玉川上水道路公園だな、まず行きなれた中央公園を先にと、
木造ベンチ階段が設置してあるあたりにびっしりと人がいたが二人分開いていたので
ぐりぐりと、そこでは老ミージシャンがかわるがわるに演奏しているベストベンチ。

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そこで楽しんでいたら程よい男が話しかけてきた、
近所の方?と問えば大江戸の方だって。
話付きで有名な男らしくて周りの男達も巻き込んで輪が広がる。
1時間以上も相手しましたよ、
まっ暇人だし、とことん付き合いましょう。
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この男、見た目も稼ぎもいいらしいけど結婚してないそうだ、最近そんな男が多いよね、

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良い花見日和だった。
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朝食
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昼食、
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夕食、カレーレトルト、これは美味しくない、ライスに対してカレーが多すぎる




生きてるよ


今日は書きたいことが沢山ありましたが、激痛が度々押し寄せて
それどころではありません。
今日は生存証明だけにしておきます。
明日は書けるでしょう。
又激痛が襲ってきました。
それでは

いよいよ佳境に入る。

令和8年3月23日(月)曇りのち晴れ

今日は一日中痛い痛いと過ごす。
帯状疱疹の痛みが時折があ~と来ます。
娘が針灸が良いのではと言う。
そうだね、週に2回かかっているから相談してみよう、
いつも行く治療院にいつて見る。
今日は幸い空いていたので丁寧に施療してくれる、
主に首筋周りをやってくださる。施療代は1300円だった。
保険でやってくださっているのかな、
帰宅後入浴したら、首回りがしきりに痛い、

私本当にぼけてしまいました。
写真の取り込みが出来ません、健康になったら秩父の先生に
習おうと思います。
私本当に寂しいです。
息子や娘や友人はいますが、父や母のような存在が欲しいのです。
私を躾けてくれる存在が欲しいのです。キリキリする痛みが耳回りにきます。
ひじょうに痛いです。
痛くてこれ以上続けられません、
今夜はこれにて。


激痛に泣く

令和8年3月22日(日)曇り

今日は一日中激痛と戦っていた。
き~~んとなるのやぎゅうとなるのやどか~~んとなるのや
多彩だった、
9時15分に起きて身体じゅうに軟膏を塗り、10時50分に寝る、
13時25分頃起きる、

お昼食べてから入浴する、あちこち痛い、
入浴終わってから軟膏を傷中に塗る、
娘来る、あちこち痛い現状を驚いている、
敵は不意にが~~っと来る。たまには巨大な奴もくる。
いくら親孝行な娘でも手の出しようがない。

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歩行器押しながらふらふらしながら買いに行きました。ベーグル、

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朝食
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昼食。ベーグル
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夕食。混ぜご飯をUさんが娘の分までもってきました。
日曜日は弁当来ないので困るだろうと娘の分までいただきました。
具がたくさん入っていますのでこれだけですませます。

認知がかなり進んでいますのでブログ書くのも大変になりました。
今日はこれまでにします。



息子と墓参り


令和8年3月21日(土)晴れ

今日は午前息子夫婦と墓参りの予定だった、
しかしそれぞれ用があり息子1人来た。

お寺の樹木園だった庭を伐採して今はやりのお墓にしたようだ
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 庭の樹木を切り払い、今はやりの花壇墓にしたようだ
以前パンフレットを貰ったけど失念した。

墓参が終わってから、お昼を食べて今日は笹塚のクリニックに行く。
娘がネットで見つけたペインクリニックに連れて行ってもらう。
ペインクリニックはブロック注射をしてくれるクリニックだそうだ。
行ったら、何のことはない普通の整形外科だった。
毎日入浴して体を温めるとよいと言う。
今日から毎日風呂に入って温まろう。

そういえばUさんは毎日シャワーを浴びている。
浴槽が追い炊きできない浴槽なのでシャワーにしているそうだ。
一人暮らしだからそれでいいんだろうけどね

数日家に籠っていたせいで足腰がふらついて支えて貰わないと不安で歩けない。
人間の足腰ってちょっと休んでいると萎えてしまうのね、
私は自力で歩けなくて息子に縋り付いて歩いた。
もう私長くないなと自覚しました。

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朝食
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昼食、デニーズで うまかった
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夕食、右上はUさんが持って来た茶わん蒸し、



足の筋力が衰える。


令和8年3月20日(春分の日)曇り
 

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起床10時20分弁当配達員に起こされた。
今日も痛い痛いですごす、
娘が笹塚にペインクリニックがあるから行ってみたらとメール送ってきた。
早速電話したけど通じない、そうか今日は祭日だわ、
土曜日はやってるようなので墓参の後に行ってみよう。

たった今強烈な痛さが襲ってきた、
ほんの少しビールを飲んだからいけなかったのかしら。
入院したいよ、こんなつらいことを孤独で耐えるのは辛い。

今日はUさんが来ている時に同志の鈴木さんから電話があった、
久しぶりに話の合う同士と話せて嬉しかった、Uさんが居ると言うと
話たいとおっしゃるので電話をかわった、鈴木さんも物好きです。

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朝食 買ったパン

昼はベーグルを食べたけど画像なし

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夕食

今日も一歩も外に出なかった、そうすると足腰は急速に衰えるんですね。
よろよろします、一日も早く筋力を強化したいです




痛みとの戦い


令和8年3月19日晴れ 

今日の一日は痛みとの闘いだった。
寝てる時も敵は襲ってきたけど、昼間でも容赦なく襲ってくる、
前から後ろから攻撃してくる、
もうどうすればいいの人生投げ出したくなるよ。
傷がかゆくなったのでちょっとさわったら、飛び上がるほど痛かった。

今日はシルバーセンターの男性ヘルパーさんの訪問だった、
まず浴室、トイレを掃除して二つある部屋を丁寧に掃除機かけて
フローリングの居間と廊下はワイパーで拭き掃除してくれます
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部屋中ぴかぴか!、
こういう制度があって老人は助かるわ、一か月に一回だけど、
老人の家はそんなに散らかり汚れないのでそれで充分です、
Uさんにも紹介したので利用しています、
お互い助かると感謝しています。

午後からUさんが来て一時間半ほどいておしゃべりしました。
敵がジャンジャン攻撃してきますので今夜はこれにて、
これから傷口を清潔にして薬をたっぷり塗って奴らを攻めます。


今すごい攻撃があります、どうしよう、今までにない攻撃です。

痛みと戦う日々


令和8年3月18日(水)晴れ

相変わらず首回りが痛い!
前ほどではないかもしれないが痛い、
首筋にき~~と痛さが来る。

認知が顕著だ生活には支障がないがパソコン生活には困る。
ただ文字を入力することは何でもないが、
画像等の処理が難しくなった。
そのうちにブログアップも難しくなるだろうな。

朝食の画像なし

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昼食、ベーグル(美味しくないベーグル、半分残す)スープ
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夕食、美味しくはないけど完食する


帯状疱疹で七転八倒


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帯状疱疹


青天の霹靂でした。
帯状疱疹なんて私の身の回りには一人も居ませんでした。
だからうかつでした、最初の兆候赤い斑点に気づかず、
関係ない転倒による打撲の跡と思い湿布薬を貼り冷やしていたのです、
帯状疱疹の対処法は温めるです↓。

一刻も早く医者の治療を受けるべきでした。
皮膚に違和感があったらすぐに受診しましょう。
私はいろんな病気を経験したわけではありませんが、
帯状疱疹の手遅れは、二度と掛かりたくない病気です。
痛くて七転八倒しますよ。
私は退役老婆ですからいくらでものたうっていられますが、
現役の方が罹患したらどうしますか、痛いから仕事休みますで通りますか。



久しぶりの林真理子さん登場


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これらの新聞記事をここに乗せるのにどれほどさまよったことでしょう。
認知と戦いました。2枚目は継ぎ合わせなければなりません。
昔はサクサクと出来た作業でした。
これからだんだん出来なくなるでしょう。
最後まで戦います。

痛み、いつまで続くつもりだっ!


令和8年3月17日(火)晴れ

今日は書くこともないので一日の行動を並べてみる。
今夜も痛くて熟睡できなかった。
矢が飛んでくるような痛さだ。
飛んで来た時ドキッとする。

寝られる時に寝る、これが現在の私の行動だ。
暇さえあれば寝る、
寝るについて最近訪問者がいくらベルを押しても出て来ないと
言う言葉を聞いたので玄関ベルを押してみたら一度きりしか鳴らない。
我が家の玄関ベルなんて押すことないからな。
だから叩いて下さいと書いたチラシを貼った。
私も我が家の設備ももう耐用年数が過ぎたのよね、
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14時半頃Uさんが来る、
Uさんが帰ったら娘が来た。
今日は支援センターのケアマネが3か月に一度訪問する日だ。
娘も同席して話す。
担当のケアマネ移動するそうで交代で来るケアマネが
私の担当になるそうだ。
終わってから娘も帰り、また寝た。
21時頃夕食を食べた。
定期的にピカッート痛みが襲う。
いつまで続くんだろう!
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朝食、不味いパン、今日作ろうと思っていたがそれどころじゃない、
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昼食、ベーグル、リンゴ、お茶 ベーグルは堅いのでハサミで切って食べる
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夕食、



辛い一日


令和8年3月16日(月)晴れ

昨夜帯状疱疹の痛みで一睡も出来なかった。
間欠的に痛みが襲う、

今朝は早めに起きて新しい皮膚科に行く。
東京医大卒の女医さん、美人さん、やさしい。

結局今まで私が受けている医療行為は同じであった。
薬も大体同じものを出すようだ。
帯状疱疹の治療ってどこも同じのようだ。
痛くて辛い、けど時が解決してくれるまで待つしかないようだ。

お昼を食べてから寝た、13時30分から16時まで寝た。
6時頃娘が来る、薬を管理してくれる、重複して飲みそうだ。
私はすっかりボケ老人になってしまった。
娘がカイロを買ってきて首筋に充ててくれる。
温めるとよいそうだ。
21時に娘帰る。

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朝食、変なパン
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お昼、カボチャベーグル、シチュー
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夕食、


痛さが降ってくる


令和8年3月15日(日)晴れ

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雪解けているのかな
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昨夜痛い矢が次から次と落下してきて一睡も出来なかった。
こんな眠れない夜が続くと私の人生どうなるのだろうと不安だった。
朝8時半頃起きて朝食後思いきって寝た。
なんと起きたのは12時46分、幾分かすっきりする。

でも絶えず痛い矢は飛んでくる。
何とか現代医学で治らないのだろうか。

明日はUさんおすすめの皮膚科に行く。
説明しなければならないが最近私は完璧なボケ状態になっているので
5分前のことも思い出せないので説明文を書いた。
 IMG_20260315_0001
何とかこの痛みだけでも即取ってもらいたい。

夕方5時頃散歩にでる、
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都庁あたりから西の空を見る、
明日行く、皮膚科を見てくる、中央公園の北すぐ近くだ。

絶えず痛みが襲ってくる、叫びたいほどだ。
市販の頭痛薬を飲んだが効かないようだ。


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朝食、
昼食は食べなかった。

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しめ鯖、半生牡蠣、サラダ、ビール

もうだめだ、いた~~~い!


激痛に耐えて


令和8年3月14日(土)快晴

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今日は帯状疱疹の痛さが顔に来て辛い、右耳から顔にかけてキリキリと痛い。

お昼ごろいつものコースを散歩する。

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都庁の一本これは銀杏の木だろうか、

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いつものベンチで一休み
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公園では何やら催しがあるようだ

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入口

今日はなぜか、帯状疱疹の激痛が度々襲った。
週が明けたらUさんがすすめる皮膚科に行こうと思う。
痛くて痛くてつらい。
Uさんが来て2時間ほどおしゃべりする。
私は時々来る激痛に耐えながら相手する。

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横浜の同志が毎年贈ってくださる、四国の銘菓、ありがとうございます。

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今日のパン、なぜだ!!

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朝食
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昼食、代々木八幡のベーグル
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夕食

痛くて痛くてつらい、うっ!






帯状疱疹の傷がキリキリ痛む


令和8年3月13日(金)曇り

今朝はなんと8時50分に起きた。
明け方近くちょこちょこおしっこで起きるけどね、たぶん熟睡はしてないと思う。
今日は傷口がチクチクキリキリ痛む、癇に障る痛さです。
今ブログ書きながらキリキリ痛むのに腹を立てながら書いています。
ぶっ叩きながら書いています。
散歩から帰宅後入浴してから痛むようになりました。

2時半頃散歩に出る。
いつものコース、

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都庁本庁舎前で必ず座って休憩します、日の丸を観るのが好きです。
他にホテルも掲揚しています。
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ハイアットリージェンシー東京の日章旗
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ヒルトンホテルの日の丸

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いつものベンチで一休み

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朝食
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昼食、代々木八幡のベーグル、カボチャのタネが散らばって生地が黄色いから
カボチャが混ぜてあるのかな シチュー
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夕食、

帯状疱疹の傷がキリキリ痛んで耐えられないので今夜はこれにて。







告知


20260404修)久野潤氏出版記念講演会

20260411訂2) 久保田氏

20260418 訂) ムガール氏
 


ボケ明瞭なり

令和8年3月12日(木)快晴


今日は10時にシルバーセンターのヘルパーさんが来る日、
居間で待機して待っていた、然し時間過ぎても来ないので電話したら、
なんと来て玄関のベルを押したが反応ないので電話もしたが出なかったと言う。
後で玄関のベルを押してみたが、1回目は反応するが2回目は反応しない、
玄関ベルなど押したことがなかったけど設備が古いので半分壊れているのかな、
電話もUさんにかけて貰ったが異常なし、
それより、居間にいたのにわからないなんてぞっとしました、
実は昨夜は何度も目を覚ました時に不吉な思いをしていたのです、
ぼけて死ぬ幻覚です。
でも最近ぼけているのでその幻覚は詳細には覚えていません。
私もう長くないな、こんな状態で長生きしたくないなと常に思っています。

Uさんと話したら、じゃ午後からお茶しようよとなりました、
中食後、散歩してからおいでと誘いました。

Uさんの白内障の手術うまくいかなかったようです。
手術前より見えないそうです、これからよくなるのか受診日に聞くと言ってます。
経験者の話を聞くと自分の手術は時間が長く掛ったので未経験な学生に
やらせたのではないかと言ってます。
大学病院は誰が担当するのか教えてくれないようですね。
まっ!学生も経験積まなきゃ成長しないでしょうしね、
Uさん期待していたのに気の毒です。
いつものように2時間ほど居て帰りました。

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散歩に行く、エレベーターの前に時計があるので便利です、
これはお隣さんが内装工事した時不要になったのを付けたのです。


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いつものコースをめぐります、今日はすぐに息切れして何度も休みました
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いつもこの景色の見えるベンチで休みます。目の前に池があって
亀さんが人をひきつけます。

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この辺は新しく工事をしたあたりです
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中ぐらいの鳥の群れが何か漁っています



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毎朝毎晩熱くしたタオルで傷を抑えてさっぱりしてから軟膏を塗ります、
まだぞっとする首ですが多少かゆくなってきました。

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朝食
昼食は撮り忘れ
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夕食


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帯状疱疹だいぶ楽になった(追記あり)

令和8年3月11日(水)快晴

今日も引きこもり(否) 安静にして過ごす、然し買い物に行かないと
食料欠乏しているし、買い物がてら散歩に行く。
いつのもコースを行く、
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公園入口
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都庁正面半旗が掲げてある、今日は東日本大震災の日だから

当時私は自宅にいたがマンションの高層階なのでかなり揺れました。
私はテーブルの下に潜りましたが、旦那はなぜか椅子の下に潜ろうとして
潜れませんでした、犬も非常に恐怖を感じていたようです。
あらゆるものが落下して敷きっぱなしの布団の上にパソコンが落ちて
おかげで無事でした。壁に打ち付けてある書棚も移動し冷蔵庫、
本棚も動いていました。
ところが西原に住んでいた息子、
上原に住んでいる娘宅はテーブルの上の花瓶一つ落ちてなかったそうです。
両方とも台地なので地盤がしっかりしているのでしょうね。
私宅も台地なので地盤がしっかりしているようです。

犠牲者に黙とうをささげます。

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消防所の前の半旗、都庁と消防署と出張所はいつも国旗を掲げているけど、
現在出張所は工事中なので掲げていない、昔はホテルも掲げていたが
最近はホテルも掲げない、どうなってるんだこの国は!!

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買い物して帰る

遅いお昼を食べてしばらくしたら、U さんが来た、
Uさん片目の白内障手術をしたけど、よく見えないそうだ。
私がしたときは確かよく見えて感激した覚えがあるけどな。
Uさんがっかりしている今度の受診の時によく聴くと言う。

私最近かなり認知が進んでいると思う、
ブログを更新しようとパソコンを開いてもどうしていいか
俄かには判らないことが多い、
やっとの思いで書くページに辿り着く、いつまで更新できるかな~
でも意地でもやります。おかしいところがあるかもしれませんがご放念下さい。

Uさんが帰ってから間もなく娘が来た。
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本家本元の代々木八幡店から買ってきた、↑
今日はあまり行列が長くなかったので入ったそうだ。

私も今日は近所の店で買った↓
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朝食
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昼食、巻き寿司
026
夕食、

娘昨日、焼いたパン半分を持ち帰る


040

プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

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