おてんば84歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

皇室・皇居

万歳三唱&靖国神社昇殿参拝


令和4年1月2日(日)晴れ

なぜか昨夜から下痢が止まらない。
昨夜は12時前に就寝したんだけど昼寝がたたってなかなか
寝付けなかった。
しかも下痢になり4度も飛び起きました。
しかし5時にはすんなり起きられて普段通りの活動が出来た。
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東京駅前にて

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二重橋前にも定刻に到着、
皆様と共に皇居に向かって万歳三唱し君が代を斉唱しました。
それからタクシー券を使い靖国神社に向かいました。
地下鉄で向かった方々はかなり遅く到着しました。
無事に昇殿参拝致しました。
靖国神社には大勢の参拝客が詰めかけていました。
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寅歳
寅年
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和紙に上の桜のマークと下の花枝は刺繍されています
正月限りの御朱印です

その後同志7人で市ヶ谷に出てお店を探しお堀端で営業している
食堂で楽しい会食を致しました。

うちに帰った頃から眠気がしてかったるいので寝ました。
また何度も下痢で起こされました。
これから又寝ます。
寝正月だ。
今日の歩数は9379歩






令和四年一月二日は皇居前にて万歳三唱!


二重橋DSC05543
 
令和3年もあと僅かとなりました。
さて、残念ながら、令和4年1月2日の一般参賀は、
取りやめとなりました(宮内庁発表)。

そよ風は、二重橋の前で、
日本国民党の皆様と一緒に万歳三唱を行います。
その後、一旦解散となりますが、ご希望の方々と靖国神社参拝も
予定しております。
そよ風会員の方も、又会員以外の方も、皇室の弥栄を願って、
共に万歳三唱致しましょう。

集合場所:二重橋前(皇居前広場の皇居正門前)
集合日時:令和4年1月2日9時45分(10時に万歳三唱)
主  催:そよ風 
問い合わせ先 si-suzuki@nifty.com

現地集合、現地解散です。
マスク着用でお願いいたします。
日の丸は当方でもご用意しますが各自ご持参自由です。

二重橋前
天長節祝賀万歳の時の写真。
同じ場所で集合です。






秋篠宮眞子内親王殿下御結婚


 各位

眞子殿下の御結婚に関して、
テレビでは煩く無礼な意見が蔓延っています。
私の思いを添付しますので、よろしくご賢察の程お願いします。
                                                                               川久保勲

秋篠宮眞子内親王殿下御結婚

昨日(令和3年10月26日)
小室圭・眞子両氏の御成婚の会見が行われた。
それに先立つ、赤坂御所の玄関前での秋篠宮両殿下及び佳子殿下と眞子殿下のお別れの場面をテレビで見た。

秋篠宮殿下の慈しみを込めた眼差し、
紀子殿下の悲しげで心配そうな眼差し、
佳子殿下の姉を励ますような抱擁、
その後、眞子殿下が車に乗られて少し窓を開けられると、
秋篠宮殿下は覗き込むようにしてずっと手を振っておられた。
娘の結婚をどんなにかきちんとお祝いされたかったことか、
それを考えると涙を禁じえなかった。

秋篠宮殿下は昨年11月の御会見で
「結婚は認める、但し納采の儀は行わない」おっしゃられた。
これには、二つの重要な意味が込められていると拝察した。

一つは、万が一「女性宮家創設」が決まった後に結婚されると、
小室氏が皇族になり、ひいては女系天皇への道を開いてしまう。
それを避けるために、今のうちに結婚させる。

もう一つは、納采の儀をしないことによって、
小室家とは親戚づきあいをしない。
これによって、皇族と小室家との縁を断ち切ることができる。
何れも、皇室を守るための方策である。
(注、皇室を守るということは日本を守ることと同義語である)

昨日の小室ご夫妻の会見で分かったことは、いかに眞子殿下が誹謗中傷に心を傷つけられておられたことかということだ。
即ち、俗悪なる週刊誌やテレビ等の影響を受けたであろう国民の
多くがこの御結婚に数々の非難を加えていたということだ。

秋篠宮殿下はこの心ない国民の声に配慮されて、賢所の儀や朝見の儀も行わず、更に、税金を使うことになる一時金の支給も取りやめるように計らい、その上、可愛いお嬢様の結婚式さへ諦めて、
眞子殿下と決別される姿を国民に示されたのではなかろうか、
娘を祝いたいという私情は一切抑えて、万感の思いを持って愛娘(まなむすめ)との永遠(とわ)の別れをなされたのではないか。
これも皇室、ひいては日本を守るためであろう。

このような素晴らしい皇室を懐いていることに、
我々国民は満腔の感謝をすべきではないか。
眞子殿下は皇族としてのお勤めを立派に果たしてこられた。
この上は、我々国民はそっと小室眞子さんの
お幸せをお祈りしたいものである。
最後に、拙作を一首。
三年(みつとせ)も離れて愛をはぐくみし尊きひとの幸を祈らむ

川久保②
川久保勲氏


「保守」の軽佻浮薄な皇室批判に異議あり 眞子内親王殿下ご成婚万歳!(村田春樹)


 令和2年12月23日
「保守」の軽佻浮薄な皇室批判に異議あり 眞子内親王殿下ご成婚万歳!(村田春樹)
 
明治26年5月、皇太子(13歳)の婚約が決まった。
お相手は伏見宮禎子女王(7歳)である。
家柄美貌性格知性すべて他の候補の姫君たちを圧倒していた。
32年3月、女王の肺に異音ありとの診断があり、宮中の元老重臣侍医団激論の末、侍医団の強い主張を容れ、天皇は破談と言う苦渋の決断を伏見宮に伝えた。
伏見宮父娘の胸中はいかばかりだったろうか。
天皇は失意の女王にいたく同情し、金五万円(時価一億円か)を
下賜された。

その年8月、九条家の節子姫に皇太子妃が決定し、
翌33年ご成婚、34年4月29日に皇子が誕生したことは周知のとおりである。この間、天皇は禎子女王の縁談に心を砕き、女王は山内豊景侯爵に降嫁した。

35年皇太子妃節子殿下は二人目の皇子(後の秩父宮)をご出産。その祝いに、侍医の岡玄卿が天皇に拝謁、祝辞を述べた。その際、岡は「山内家に嫁した禎子女王はいまだに孕まない。(岡の主張の通り)皇太子妃内定を取り消して本当によかったですね。」と
述べた。
しかるに天皇は岡の言を遮って「禎子嫁して一年余、なお孕むこと無きも、これ禎子一人の責任とは言えまい。汝の言うところ甚だでたらめである。」と天機ことのほか斜めであった。(明治天皇紀より村田意訳)
天皇は失意の禎子女王にここまで同情していたのであり、
私はこのやさしさに感銘を受ける。(余談だが禎子女王は長命だったが一子も産まなかった)

大正10年、皇太子妃に内定していた久邇宮家の良子女王(17歳)の家系に色盲遺伝子ありとして、山縣有朋等が婚約破棄を言い出した。所謂宮中某重大事件である。しかし皇太子と良子女王の教育係だった杉浦重剛らは、良子女王に深く同情し「婚約破棄したら年少の女王は自死を選ぶかもしれぬ。」と、破棄に強く反対した。
結果的に婚約は破棄されず、色盲の遺伝もなかったのである。
この明治と大正の二度にわたる婚約破棄騒動を、一般の国民は全く知ることはなかった。

翻ってこんにちの眞子内親王殿下の御婚約についてはどうだろうか。ワイドショーの格好の話題となってしまっている。
皇室は「開かれる」どころか、開かれ過ぎて天から転げ落ち、反日メディアによって愚民の蹴り弄ぶボールになってしまっている。
私は不遜極まりないが、眞子内親王殿下に禎子女王や良子女王と同様に深く同情申し上げる。
同じ年頃の娘を持つ親の心境はいかばかりであろうか。
仮に親戚知人にこのようなことがあれば、同情し見て見ぬふりをし、静かに解決を祈るだろう。

ところが愚民ばかりか、尊皇家と自他ともに認める方々が、恰も皇室参与にでもなったかの如く、そろって婚約反対を叫んで居酒屋で口角泡をとばし、若い二人を居丈高に批判し恍惚となっている。
あろうことかお相手の男性を朝鮮人認定して喜んでいる始末である。

今は静観こそ尊皇家のたしなみではないのか。
もとより憎むべきは「スクープ」であり、私はできれば不敬罪の復活、最低でも「貴」人情報保護法の制定を心から望む。
しかし不敬罪が復活したら、共産党より先にわが業界人が逮捕されるだろう。それほどひどい皇室、特に秋篠宮家批判が業界内を奔流しているのだ。

眞子内親王殿下は令和2年11月に「結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択」と
おっしゃっている。要は「死んでも結婚したい」ということだ。
今時珍しいこの一途な恋を、私は貴重なものとして尊びたい。
御降嫁の際は、私は二重橋前に一人佇立して、喉も裂けよと叫ぶ「ご成婚万歳万歳万歳」。

(今さら聞けない皇室研究会顧問 村田春樹)

村田
村田春樹氏


真子内親王殿下ご結婚


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私はこの件に関しては一切言及しないつもりでしたが、
昨日この手の報道としては始めて
テレビで記者会見の模様を拝見しました。

感じたことは真子内親王殿下は想像以上に
聡明で美人で気品に満ちたお方だと思いました。

対して小室圭氏は今は若いから見られる顔貌ですが、
成長具合によっては醜悪な中年男になるだろうなと言うことです。 成長を祈る!
お幸せに!


プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

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