おてんば84歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

朝雄叔父さん ピエズ島、オーシャン、ナウル島

南溟の島ソロモン


 令和3年6月4日(金)終日強雨

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8月31日まで延長になっておりました。

ソロモン群島
ファウロ群島の中にピエズ島はある
縮小朝雄叔父さん
朝雄叔父さん
朝雄叔父さんの軍歴

旦那の父親も戦死、生きていれば旦那の境涯も良かっただろうな、
歯科の技工士で従業員を沢山使って手広く営業していたそうだ、
義父の兄弟やその息子達に技工士が多いが旦那の父親に仕込まれて独立したそうだから、昔は徒弟制だったようです。
義父軍歴
義父はどのような戦闘で戦死したのだろうか
義父軍歴
無事に帰還した方もいるわけですが、
義父はどのような死に方だったんだろうか


戦死者の写真が沢山展示してありましたが、
叔父さんの写真も入れて貰おうかなとおもいます。



今日は強雨だったが午後から靖国神社に出かけました。
遊就館で全国ソロモン会主催の写真展が開催されていて
6日までなのでなにがなんでも行かなきゃなんない。

叔父さんは海軍67警備隊所属でネットで検索したらナウル・オーシャン島の警備だったと判りましたが、両島は赤道直下の東西にある小島ですが、叔父さんはどちらの島にいたのか知りたいのです。

両島は川が無いのでマラリア蚊はいなかったが、戦後豪州軍の支配下に置かれてソロモン群島の現地人も住まないマラリヤ猛生息地に抑留されて医薬食料も満足に施されなくて苦しみながら引揚船が来た頃亡くなったのです。
餓死です。

いつも叔父さんの無念が私の脳裏に乗り移っていますよ。
今さら遅いけどソロモン会に入会しようと思います。


ネットで拾った体験者のメモ
ナウル・オーシャン・ピエズメモ

1942年8月、日本軍はナウル島・オーシャン島を占領し、
海軍第67警備隊として、前者に4000名、後者に500名の守備隊を置いた。1944年から連合軍の封鎖により衰弱死するものが増えたが、
1945年初めまでは何とか現地栽培の南瓜、椰子の樹液で持ち堪えていた。

1945年9月、豪州軍第一軍が両島を再占領することになり、ファウロ群島の常設収容所完成まで、ブーゲンビル島トロキナの仮収容所に捕虜を移送することにした.
  
9月20日、ナウルからの日本兵約2000名はトロキナで下船し、仮収容所までの10mile(16km)を徒歩で移動、翌日には同じく、1250名が到着し、徒歩で移動。
  
但し、彼らは栄養失調と赤痢などの疾病で弱っていた上、行軍に不慣れな者ばかりであり、その上、気温は摂氏35~38度もあった。
しかも、各列の後尾には、豪州の警備兵が付いていて、行軍速度を緩めることを許さず、水も殆ど与えられずにいた。
  
このため、恐らく50名前後が熱射病で死亡しており、
その上、護衛(!)の豪州兵に時計、万年筆を奪われたものも居た。
  
例えば、河が流れているのを見つけた先頭集団が「水だ!」と叫ぶと、豪州軍将校等は足で水をかき回して泥水にした上、銃で威嚇して一滴の水も飲ませなかった、とか。
  
最後のナウルからの700名、オーシャン島からの513名は10月8日に到着。
この組も、12名が死亡している(豪州警備隊第9大隊部隊日誌).

ちなみに、豪州軍第二軍団から発せられた命令は、第一隊の移送はトラックで行なう事になっていたが、翌日には歩行に変更され、
第一隊の惨状があったにも関わらず、第二隊も同じ方式で行なわれた。

更に、悲劇は続く。
ナウル、オーシャン両島には、マラリア菌は無かったため、免疫力は無く、抗マラリア薬のアテブリン、キニーネ等の予防薬剤は携行していなかった。
  
10月末に、常設収容所に移送された際、この地は既にマラリアが猖獗を極め、しかも、一緒に収容されたのがマラリアに感染していたが、免疫力を持っていた、ブーゲンビルの守備隊であり、ナウル、オーシャン両島守備隊の生残りは多数感染している。

で、だ。
 このマラリアが猖獗を極めた地で、さぞかし、連合軍の将兵は慈愛に満ちた懸命なる看護やら、抗マラリア薬を支給して、彼らを死の淵から救う…わきゃない.
  
彼らはそれを持っていたにも関わらず、支給していない。
ものが無かったからではなく、支給しなかった訳。
  
その結果、豪州陸軍司令部医務局長の報告書に依れば、
 「799名の日本軍捕虜たちは、医療班と共に1945年10月30日と31日に、マラリアのないナウルから、ファウロへと送り込まれた。
トロキナの仮収容所に暫く居てからの移動であった。
最初のマラリア患者は、11月8日に発生、殆ど全員が感染し、4週間で530名が発病。
ファウロ移動から35日後の12月5日には、212件の死亡(死亡率26.5%)が確認されている」
  
この報告は4400名のうちの799名だけの数字で尚かつ、12月5日までの死亡報告であって、豪州軍第七大隊の部隊日誌には、12月9日までの一週間で164名の死亡、12月最終週でも46名が記録されている。

ナウル守備隊で600名以上がこれによって死亡、オーシャン島守備隊は2ヶ月で78名が死亡している。
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夜は昨日の肉が沢山残っていますのでお隣さんに声をかけて
もう一人副理事長の女性と3人でたらふく食べました。
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レモンと塩で食べました、好評でした
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市ヶ谷のスーパーに台湾パイナップルが580円 お買い上げ~
もう数えきれないほど食べたわ、
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多汁で甘い

副理事長の女性にナショナルベーカーリーを差し上げました。
断捨離!場所が空きました。

今日の歩数は5315歩 3,3㌔



叔父さんの死に至る様子を伝えるネットで拾った記事


叔父さんの死に至る様子を伝えるネットで拾った記事

1942年8月、日本軍はナウル島、オーシャン島を占領し、
海軍第67警備隊として前者に4000名、
後者に500名の守備隊を置いた。

1944年から連合軍の封鎖により衰弱死するものが増えたが、
1945年初めまでは何とか現地栽培の南瓜、椰子の樹液で持ち堪えていた。

1945年9月、豪州軍第一軍が両島を再占領することになり、ファウロ群島の常設収容所完成まで、ブーゲンビル島トロキナの仮収容所に捕虜を移送することにした。

9月20日、ナウルからの日本兵約2000名はトロキナで下船し、
仮収容所までの10mile(16km)を徒歩で移動、翌日には同じく、1250名が到着し、徒歩で移動。

但し、彼らは栄養失調と赤痢などの疾病で弱っていた上、
行軍に不慣れな者ばかりであり、
その上、気温は摂氏35~38度もあった.

しかも、各列の後尾には、豪州の警備兵が付いていて、
行軍速度を緩めることを許さず、水も殆ど与えられずにいた。
このため,恐らく50名前後が熱射病で死亡しており、
その上、護衛(!)の豪州兵に時計、万年筆を奪われたものも居た。

例えば、河が流れているのを見つけた先頭集団が「水だ!」と叫ぶと、豪州軍将校等は足で水をかき回して泥水にした上、銃で威嚇して一滴の水も飲ませなかった、とか。

最後のナウルからの700名、オーシャン島からの513名は10月8日に到着。
この組も、12名が死亡している(豪州警備隊第9大隊部隊日誌)

ちなみに、豪州軍第二軍団から発せられた命令は、第一隊の移送はトラックで行なう事になっていたが、翌日には歩行に変更され、
第一隊の惨状があったにも関わらず、
第二隊も同じ方式で行なわれた。

更に、悲劇は続く。
ナウル、オーシャン両島には、マラリア菌は無かったため、
免疫力は無く、抗マラリア薬のアテブリン、キニーネ等の予防薬剤は携行していなかった。

10月末に、常設収容所に移送された際、
この地は既にマラリアが猖獗を極め、しかも,、
一緒に収容されたのがマラリアに感染していたが、
免疫力を持っていた、ブーゲンビルの守備隊であり、
ナウル、オーシャン両島守備隊の生残りは多数感染している。

で、だ。
このマラリアが猖獗を極めた地で、さぞかし、連合軍の将兵は慈愛に満ちた懸命なる看護やら、抗マラリア薬を支給して、
彼らを死の淵から救う…わきゃない。

彼らはそれを持っていたにも関わらず、支給していない。
ものが無かったからではなく、支給しなかった訳。

その結果、豪州陸軍司令部医務局長の報告書に依れば、
 「799名の日本軍捕虜たちは、医療班と共に1945年10月30日と31日に、マラリアのないナウルから、ファウロへと送り込まれた。

トロキナの仮収容所に暫く居てからの移動であった.
最初のマラリア患者は、11月8日に発生、殆ど全員が感染し、
4週間で530名が発病。

ファウロ移動から35日後の12月5日には、212件の死亡(死亡率26.5%)が確認されている」

この報告は4400名のうちの799名だけの数字で尚かつ、
12月5日までの死亡報告であって、豪州軍第七大隊の部隊日誌には、12月9日までの一週間で164名の死亡、12月最終週でも46名が記録されている。
ナウル守備隊で600名以上がこれによって死亡、
オーシャン島守備隊は2ヶ月で78名が死亡している。


この手記はおじさんが67警備隊所属だったことを知ってからネットで検索して見つけたものです。

叔父さんは赤道直下のナウル島にいたものと思っていましたが、
67警備隊はナウル・オーシャンを警備していたので
どちらか不明です。
私はまだ詳細を極めていません。
それを成し遂げるまでは元気でいたい。
朝雄叔父さんの軍歴

朝雄叔父靖国
叔父靖国神社ご祭神
朝雄靖国
義父靖国神社ご祭神
マライタ島
この地図は平尾軍医の戦跡を辿った地図です。
平尾軍医は戦後、第一生命の重役をされていた方で
村田春樹さんが尊敬しているかたです。

ピエズ島

ピエズ島地図

参考書籍
「ソロモン軍医戦記」平尾正治著
「ソロモン戦記」福山孝之著
「ソロモン収容所」大槻巌著(元海軍第67警備隊)


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プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

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