おてんば84歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

靖国神社

シニアナビ過去記事(508)「靖国神社清掃奉仕」


 
[508] 靖国神社清掃奉仕 2007.8.26  23:43:04   
19/8/26(日)晴れ 暑い

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老若男女真面目に清掃します。
我が家も同じようにやりましょうね(私の事です)


今日は始めての「靖国神社清掃奉仕」に参加した。
「維新政党・新風」の東京代表をしている鈴木信行氏が有志の会の代表を務められているので今まで何度か参加する機会はあったんだけど、その気にはならなかった、
実は朝早いのがどうも(8時45分集合)

でも8月15日に靖国神社参拝した時いつもセットで参拝する
「戦没者墓苑」には余力がなくて行けなかったので
今日は良い機会だと思い参加した。

8月15日に靖国神社で「有志の会」でチラシを配っておられたので
それを見て来た人やインターネットで知ったと言う人がかなりいて 総勢60名程の参加であった。
参加費は1500円である(昇殿参拝の玉串料、記念写真代、茶菓代込み)

一同参集殿に参集して宮司の案内でいつも皆様がお賽銭を上げている建物の中で(畳敷き)中庭を通して本殿に向かって宮司が祝詞を申し上げ辞儀をして宮司の案内で左側の渡り廊下を渡り
「本殿」の中に通される。

本殿も畳敷きで正面に大きな鏡があり
(目があまり良くないのではっきりしないが)その周りに茶色の
ひだひだしたものが取り囲んでいた。
簡素な季節の野菜が供えてあった。
そして宮司の先導で「2礼2拍手1礼」をして黙祷する。

私は英霊に感謝し、そして現下の「国難」を払う為に
私達に力を下さいと必死で祈った。
以前だったら「家内安全」我が幸せしか祈らなかったが、
今は純粋に「国内安全」しかお願いしない。
神道の祈りの儀式は簡素である。

それから今度は右側の渡り廊下を渡って、途中で御神酒を頂き、
素焼きの酒杯を頂いて退出した。

9時半頃から本殿の周りを時計回りに清掃する。
ゴミ一つない境内を竹箒で主に枯葉を集める。
今の季節あまり枯葉も沢山はない。

靖国神社には何度も来ているが本殿脇は涼しげな木立の道が
続き、本殿裏には池や滝のある日本庭園や茶室(3カ所も)や
相撲土俵まであるのだ。

途中池の側で小休止し記念写真を撮り又清掃の続きをする。
今日は暑さもぶり返しタオル1本分の汗が出たし疲れはしたが
無事に努められた我が身が誇りである。
参加者は以前は年配の方が多かったそうだが
現在は若者が多くなったそうです。
でも今日も結構年配者が嬉しそうに参加されていた。
11時半頃終了した。

この清掃奉仕は年に4回あるそうですが、
仲良しとおしゃべりしながら森林浴、庭園見物をかねて
参加されると気分も爽快になって大変よろしいかと思います。

皆様もぜひ参加されるようお勧めいたします。
経験者によると11月が季候もよく落ち葉も沢山落ちていて
やりがいがあるそうです。


シニアナビ過去記事(427)「千鳥ヶ淵に夜桜を見に行く」


 [427] 千鳥ヶ淵に夜桜を見に行く 2007.4.1  21:54:42   
19/4/1(日)曇り花冷え
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牛ヶ淵 皇居のお堀で一番海抜の高い濠、
このあたりの水深は歩けるほどだそうです。
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北の丸公園の入り口、菜の花と桜、いいなぁ
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夕暮れの千鳥ヶ淵
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千鳥ヶ淵の夜桜


絶対に行く千鳥ヶ淵の桜を今年も見に行く事が出来た。
まだ「来年はないだろう」なんて思ってはいないが、
千鳥ヶ淵の桜を見に行く事は命をかけているような気がする。
今日の一日を必死で生きたから心おきなく明日が迎えられる思い。

今夜は見事満開で良き桜見物の最後の日と誰もが思っているようで
最高の人出であった。

靖国神社(残念、今夜は7時閉門に間に合わなかった)に
参ってから境内の屋台で飲食してから帰る。
娘と二人 あぁ、良い気分。



靖国神社初詣


令和3年1月8日(金)晴れ 富士山おぼろ

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敬意と節度を持たずに入境する輩がいるのか
簡体字とハングルで提示するべきでしょう
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ソロモンと見ると見逃せない
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縮小朝雄叔父さん
朝雄叔父さん
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父(左陸軍)と朝雄叔父さん(海軍)
朝雄叔父さんの軍歴
朝雄叔父靖国
義父靖国
義父の戦没場所
義父軍歴
義父の部隊は戦後無事に帰還している
父の軍歴
ついでに父の軍歴
父は支那事変で招集されましたが、2年で除隊になっています、
叔父さんは12年に召集されて戦後21年まで一度も除隊になっていません。可哀そうな生まれ合わせです。大正生まれは損な生まれです、私達昭和生まれはまれにみる良い時代を生きました。


今日は午後3時頃靖国神社に参りました。
家から出ても30分位で着く距離ですがさすがに歩く気はしない。

私こう見えても立派な英霊の遺族なんですよ。
昔上京して間もなく高校の同級生に折伏されて創価学会に
入ったばかりに英霊に対して無関心ご無礼で申し訳なかった。

もし入会していなければ靖国神社に縁が出来て様々な戦友会や遺族会につながり、今葛藤を抱えている問題も少しは糸口が見つかったかもしれません。

父方の叔父さんはソロモン諸島のピエズ島で戦後まで生き延びていたのに餓死しましたし、
旦那のお父さんはマラッカ海峡で海の藻屑となっています。

私はこの英霊の軌跡を知りたいと常に思っていますが、
私の力、知識ではどうすることも出来ません。
もう少し若い時だったら頑張って探求できたかもしれません。

遊就館の売店に沢山の戦記が並んでいましたが、
若ければこれら全部を読破したいと悔しい思いです。
もうすべて遅いのです。

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日章旗と軍艦旗のシールとストラップと
航空自衛隊の制服生地のマスクを買いました
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以前大村の航空自衛隊でリュックも買いました
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今日の歩数はどっちをとればいいのか!

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今夜の夕食、お昼抜きなのでお腹空き過ぎて、即食べたかったので
靖国通りのリンコスで銀鱈の西京漬け弁当を買った、旨かった
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新年皇居参賀と靖国神社初詣のお誘い


  二重橋靖国

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叔父さんの死に至る様子を伝えるネットで拾った記事


叔父さんの死に至る様子を伝えるネットで拾った記事

1942年8月、日本軍はナウル島、オーシャン島を占領し、
海軍第67警備隊として前者に4000名、
後者に500名の守備隊を置いた。

1944年から連合軍の封鎖により衰弱死するものが増えたが、
1945年初めまでは何とか現地栽培の南瓜、椰子の樹液で持ち堪えていた。

1945年9月、豪州軍第一軍が両島を再占領することになり、ファウロ群島の常設収容所完成まで、ブーゲンビル島トロキナの仮収容所に捕虜を移送することにした。

9月20日、ナウルからの日本兵約2000名はトロキナで下船し、
仮収容所までの10mile(16km)を徒歩で移動、翌日には同じく、1250名が到着し、徒歩で移動。

但し、彼らは栄養失調と赤痢などの疾病で弱っていた上、
行軍に不慣れな者ばかりであり、
その上、気温は摂氏35~38度もあった.

しかも、各列の後尾には、豪州の警備兵が付いていて、
行軍速度を緩めることを許さず、水も殆ど与えられずにいた。
このため,恐らく50名前後が熱射病で死亡しており、
その上、護衛(!)の豪州兵に時計、万年筆を奪われたものも居た。

例えば、河が流れているのを見つけた先頭集団が「水だ!」と叫ぶと、豪州軍将校等は足で水をかき回して泥水にした上、銃で威嚇して一滴の水も飲ませなかった、とか。

最後のナウルからの700名、オーシャン島からの513名は10月8日に到着。
この組も、12名が死亡している(豪州警備隊第9大隊部隊日誌)

ちなみに、豪州軍第二軍団から発せられた命令は、第一隊の移送はトラックで行なう事になっていたが、翌日には歩行に変更され、
第一隊の惨状があったにも関わらず、
第二隊も同じ方式で行なわれた。

更に、悲劇は続く。
ナウル、オーシャン両島には、マラリア菌は無かったため、
免疫力は無く、抗マラリア薬のアテブリン、キニーネ等の予防薬剤は携行していなかった。

10月末に、常設収容所に移送された際、
この地は既にマラリアが猖獗を極め、しかも,、
一緒に収容されたのがマラリアに感染していたが、
免疫力を持っていた、ブーゲンビルの守備隊であり、
ナウル、オーシャン両島守備隊の生残りは多数感染している。

で、だ。
このマラリアが猖獗を極めた地で、さぞかし、連合軍の将兵は慈愛に満ちた懸命なる看護やら、抗マラリア薬を支給して、
彼らを死の淵から救う…わきゃない。

彼らはそれを持っていたにも関わらず、支給していない。
ものが無かったからではなく、支給しなかった訳。

その結果、豪州陸軍司令部医務局長の報告書に依れば、
 「799名の日本軍捕虜たちは、医療班と共に1945年10月30日と31日に、マラリアのないナウルから、ファウロへと送り込まれた。

トロキナの仮収容所に暫く居てからの移動であった.
最初のマラリア患者は、11月8日に発生、殆ど全員が感染し、
4週間で530名が発病。

ファウロ移動から35日後の12月5日には、212件の死亡(死亡率26.5%)が確認されている」

この報告は4400名のうちの799名だけの数字で尚かつ、
12月5日までの死亡報告であって、豪州軍第七大隊の部隊日誌には、12月9日までの一週間で164名の死亡、12月最終週でも46名が記録されている。
ナウル守備隊で600名以上がこれによって死亡、
オーシャン島守備隊は2ヶ月で78名が死亡している。


この手記はおじさんが67警備隊所属だったことを知ってからネットで検索して見つけたものです。

叔父さんは赤道直下のナウル島にいたものと思っていましたが、
67警備隊はナウル・オーシャンを警備していたので
どちらか不明です。
私はまだ詳細を極めていません。
それを成し遂げるまでは元気でいたい。
朝雄叔父さんの軍歴

朝雄叔父靖国
叔父靖国神社ご祭神
朝雄靖国
義父靖国神社ご祭神
マライタ島
この地図は平尾軍医の戦跡を辿った地図です。
平尾軍医は戦後、第一生命の重役をされていた方で
村田春樹さんが尊敬しているかたです。

ピエズ島

ピエズ島地図

参考書籍
「ソロモン軍医戦記」平尾正治著
「ソロモン戦記」福山孝之著
「ソロモン収容所」大槻巌著(元海軍第67警備隊)


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プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

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