
我が家は物で溢れている、いろんな物がでてくるが、
どう始末したもんか悩む。
昭和12,13年生まれ、78歳前後の姿です。
顔をさらしていますが、文句言う人もいないだろう。
この映像で出てくる情景は私の在学の頃です。
私は昭和28年に入学しましたが、
その年の体育の時間は運動場の整備でした。
なぜか戦前の名残の怖い農業の先生が監督して、
竹で編んだもっこで小石や土を運びました。
排水が悪かったので表土を剥いで砂利を入れ、
その上に土をかぶせる作業でした。
私が入学した頃は男女別クラスでした、
男子1~4組、進学組 5組、就職組
女子6組、進学組
7~9組、進学&就職組
10組家庭科
私は7組だった。迷い組

箕と言うらしい
古い歴史のある高校で私達は誇りに思っていましたが、
所詮田舎の高校ですから偏差値は高くありません。
当時偏差値なんて言葉も無かったな。
私が入学した頃は1年は昔女学校だった西校舎、
2年以上は昔男子中学校だった東校舎で学び、
間に林の小山があり、
ここに小道が通りいろいろ謂れがありましたね、
男女の間ですから、その後西校舎は取り壊され統一されました。
三船山の麓、昔鍋島藩(支藩)の城跡でした。
沿革
*高等女学校
1908年(明治41年)- 「佐賀県立武雄高等女学校」が開校。
この年を創立年とする。
この年を創立年とする。
*旧制中学校
1927年(昭和2年)- 「佐賀県立武雄中学校」(旧制、男子校)が
開校。
開校。
*新制高等学校
1948年(昭和23年)4月 - 学制改革に伴い、武雄高等女学校と
武雄中学校を統合し「佐賀県立武雄高等学校」と改称。
武雄中学校を統合し「佐賀県立武雄高等学校」と改称。
男子を第1部、女子を第2部とする。
1949年(昭和24年)- 完全に男女共学となる
1953年(昭和28年)4月 - 夜間定時制の大町分校を設置。
1959年(昭和34年)9月 - 大町分校を佐賀県立佐賀商業高等学校
へ移管。
へ移管。