おてんば84歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

同窓会、同郷会

シニアナビ過去記事(544)「私はご機嫌」

[544] 私はご機嫌 2007.12.1  23:30:02   
19/12/1(土)晴れ

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さすが佐賀市のマンホール、ムツゴロウさんです

ムツゴロウの蒲焼き、もう何十年も食べていないなぁ、
子供の頃は庶民的な食べ物でした、
私の骨密度が120%(同年代の)もあって丈夫なのは
ムツゴロウさんのおかげかな


今日は休みなんだけど例の腰痛ちゃんの事で昼から振り回された。
その件は又後ほど書くとして、
続き

6年ぶりの中学の同窓会だ、前回は大阪であった。
皆元気だ、でも少数は病気上がりだとか、癌で抗ガン剤治療中と
言う人もいたが、ここに集える人はそれなりの勝者だと思う。

9組460名の同窓生も判明者は230名で、出席者は89名で、
物故者は54名だそうだ、やはり男性の方が多い。

私が日頃接するお年寄りは心身薄弱な方ばかりなので、
70才がこんなに元気な集団とは驚いたわ。
女性はおおむね若々しいが男性は、
ぇっ、この人も私達と同じ年なのと言いたくなるような
爺さんがいて驚いたわ。
どうしてこうも違うのでしょうか、病気でもして出遅れたのかな。

私も気分はすこぶる元気で積極的に全テーブルをまわって
言葉を交わしたし、
今まではあまりこちらから声をかけることもしないで、
人から見たら多分取っつきの悪い女に見えていたのかも知れない。

でももうここまで来ると残りはそんなに沢山は無いのだ
悔いのない人生をおくりたいと思う気持ちが強くなっている。
皆さんも同じ気持ちだろういつになく盛会であったし、
皆機嫌がよかった。

我らが出世頭の東証一部上場企業のS社(後記:セコム)
元会長S氏も顧問になってゆとりが出来たのだろう、
墓参をかねて奥様と来佐なさっていた。

不幸な事件に巻き込まれた人も居た、
武雄市の整形外科病院でヤクザに誤射された
30代の若い男性の事件はまだ耳新しい事件だが、

同窓同士で結婚しているご夫婦で奥様はバリバリの共産党の
町会議員で旦那も共産党の音楽事務所の理事長をしている方の
娘婿だったそうだ。
その話は後で聞いたからよかったわ。

会場を別の部屋に移しての二次会ではそれぞれ芸達者が披露して
話はいつまでも尽きなかった。
嬉しいことに多分これが最後の同窓会という話が出るかと
思っていたが、又元気で逢いましょうと異口同音に言い合って
いた。

終わってから又マッサージを呼んだがこれが又上手なの、
地方のマッサージは当たり外れがないような気がします。
指示もしないのに一番辛い頭と首筋をよくもんで呉れて、
こんな事を言うの「あぁ、昨日はよく寝た」と頭の皮膚が
言っています。
確かに昨日はいつになくよく寝たわ。

耳鳴りに悩んでいることを言ったら耳の上の方を良く揉んでくれて
ここが耳鳴りのツボだから自分でももんで下さいと言う、
今でも揉んだ後が痛いな。

明日は唐津見物だから又睡眠剤を飲んで寝た。
唐津見物はちょっとがっかり、
28名が参加したが予定によると鏡山、曳き山展示場、だったが、
なんと観光バスではなくて料理屋さんの送迎バスで
鏡山は曇りなので登りませんと言って饅頭屋さんでみやげを買って
「曳き山展示場」と虹ノ松原を往復しただけで目の前に
唐津城もあるのに行かずに、料理を2時間以上食べさせられた、
それも大半残すほどの量だ、

私達料理を食べるために来たのでは無いようと
皆不満を持っていたが、
まぁ、幹事のご苦労を思えば我慢するしかないだろう。

曳き山と言うのは唐津神社の秋祭りで町内ごとの曳き山があり
町を練り歩くそうですが、その曳き山がこんなに立派だとは知りませんでした、
全部で14台あり古くは文政2年(1819年)から明治は2年(1869年)から9年まで5台ありますが、みんな今日作ったばかりのようにきれいです、
毎年塗り直すのでしょう、町内の財産なんですね。
重さ2~4トンもあり制作費は現代の価値で5,6千万もして
2年程掛掛かったそうです。
元々は15台あったそうですが明治中期に損滅したそうで、
再度は作らないのですね。
一度くらい見物してみたいと思いました。

唐津から福岡空港まで直通があって便利でした、
JR筑肥線なんてローカル線に乗ることはもう二度と無いだろう。

飛行機はT君と隣あわせで帰宅した。
この旅で一番嬉しかった事は私がとても機嫌良く過ごせたこと。


 

シニアナビ過去記事(543)「佐賀にて」

[543] 佐賀にて 2007.11.29  23:54:02   

19/11/29(木)晴れ 寒気
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武家屋敷街の掘り割り


博多からJRで1時間半ほどで佐賀に着いた。
佐賀県出身とは言え佐賀市内はそんなに用のあるところでは
無いので不案内である。
観光案内所でまず聞いた事は丁度昼時だったので
美味しいチャンポンを食べられるところ。
チャンポンは好きな食べ物である、九州に来ると必ず食べる、
豪華な具ではなかったが美味しかった。

タクシーでお壕端にある「ホテルニューオオタニ佐賀」に
1時頃着いた。
日曜日だというのに何だか静かな街である、ドライバーに聞いたら
「何しろ人が居ませんからねぇ、最近町村合併して22万人になりましたが、それまでは17万人でした」との事。

佐賀は空が広いと言われている。
(後記:つまり空を遮る高い建物がない)
チェックインは2時からなので荷物を預けて散策マップを貰い
お壕端の周辺を散策に出かけた。

見所は結構あったが時間が足りなさそうなのでお堀端を中心に
「大隈記念館・旧宅」と「佐賀城本丸歴史館」を見物した。
城内の東側、武家屋敷があった「会所小路」にある大隈重信記念館に行く、今に掘り割りなどが随所にあり、他に「枳小路、中ノ橋小路、花房小路、椎小路、通小路」等がある。
出来たらそんな小路を制覇したかったが、
おそらく疲れ果てるだろうな。

大隈記念館は日曜日だというのに閑散として
私1人で黙々と見物した。
佐賀は幕末から維新にかけて日本の近代化に活躍した人材が
輩出したのね。

「佐賀の七賢人」と言う。
①大隈重信「日本初の政党内閣を組閣、早稲田大学の創始者」
②鍋島直正「反射炉による大砲の鋳造で全国に名をはせる名君」
③副島種臣「政治家、書家としても才能を発揮した多才の人」
④江藤新平「司法制度の基礎を作った初代司法卿」
⑤島 義勇「札幌を中心に開拓した北海道開拓の父」ヨシタケと読む
⑥大木喬任「文部卿として教育体制の整備に尽くした元東京府知事」
⑦佐野常民「日本赤十字事業の生みの親、博愛の父」

重信のお母さんは人寄せが好きな人で重信の友達が来るとご馳走して歓待したそうで、長じて重信も屋敷に人を寄せてご馳走するのが好きだったそうです。

重信が字を書かなかったのは有名だそうで、自筆の書は現存するのは一点だけだそうで、代筆する人が何人か居たそうです。

お堀の中、城内を歩き、平成16年に完成した本丸御殿の歴史館を
見物しました。
佐賀10代藩主鍋島直正が天保期(1838年)に再建した本丸御殿を忠実に再建されたそうです。
とても広い屋敷でしたが一部だそうです。

それから又お壕端を歩きホテルに4時に到着しましたが、
3時間の散策です。もう疲れは頂点に達していました。

幹事が受付をしていましたが、私に割り振られていたのは相部屋でしたので無理を言ってシングルにして貰いました。
1時間でお風呂にどっぷり浸って疲れを取りドレスアップして、
しゃっきりとして会場に入りました。

続く



シニアナビ過去記事(515)「桐タンス再生」


[515] 桐タンス再生 2007.9.8  23:05:42   
19/9/8(土)晴れ
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70~80年前の桐タンス


ケアハウスからいきなり1週間以内に撤去してくれと電話があった。
そんなぁ無茶な、98年間の精算がそう簡単に出来ますか。

私の被害妄想かもしれないが、義母が退院してからこっち表面は
笑顔でしかし真綿でしめるような言葉の数々に傷ついているのだ。
でもお世話になっているからひたすら笑顔で感謝の言葉を返して
いたが、もう我慢できない。
私の本来の姿を見せてやるわ。

意地でも1週間で退去してやろうじゃないの。
大工さんに撤去と掃除を頼んでいたんだけど日取りが合わないので、電話があった木曜日からひたすら片づけている。
その日は娘と二人で70L袋に20袋も地下のゴミ置き場まで運んだ。

自分の母が死んだ時、義妹が母の遺品を私に断りもなく庭で燃やしていたのが無性に腹が立って思わずそれは私がやりますと言ったことがあったっけ。
実母の物はいと惜しく、義母の物は惜しげもなく捨てられる。
私は冷たい人間かもしれない、全てなんの感傷もなく捨てた。

今日も又午前中から1人で片付けに行き16畳程の部屋に敷き詰めていた絨毯をちゃちなハサミで細かく裁断した。
月曜日に旦那に手伝わせて粗大ゴミとして家具類を地下に運ぶ。
それで一気に終わりにしよう。

ただ一つ懸念がある。それは7,80年昔の桐タンス。
捨てるには惜しい、でも部屋も狭いし、古いので再生したいが
15万以上はするらしい。
それでネットで調べて48,000円からというのがあったので
見積もりに来て貰った。

48,000円なんてとんでもはっぷん、
24万~35万~45万~58万まであるそうだ。
話を聞いてみるとなるほどとは思うが48,000円なんて
あり得ない価格でつるなんてその営業方針が信用出来ない。

やはり義母の大事にしていたタンス、再生して受け継ごうじゃないの。もう一度調べてどうせお金を掛けるんだったら納得のいく所に お願いしようと思う。
でも時間の猶予がないのだ、水曜日までに出さなければならない。

後片付けは2時頃で終わりにして、今夜は高校の同窓会(同期)が
銀座であるので4時過ぎに出かけた。
古稀の連中が30名程集まった。

昨夜も疲れがピークで肩こり、頭痛、眉の上の三叉神経が痛んで
今日も辛かった。
疲れが頂点に達するとイライラして悲観的な感情に襲われる。



シニアナビ過去記事(464)「ショック、ショック」


 [464] ショック、ショック 2007.6.16  23:53:35   
19/6/16(土)晴れ、青空

【ショック1】
今日は高校の東京支部同窓会が京王プラザホテルで
開催されたので出席した。
東京支部は41回目の総会だ。

我が母校武雄高校は明治41年に創立され、
来年100周年を迎えるが、
今年から二つの高校が再編統合されて中高一貫教育がスタート
する。
(後記:あまりにもマンモスになるので新設校が設置されていたが、新設校は心情的には後輩とは認められていなかった)
元々途中で二つに分かれていたのが元の鞘に収まるわけ。
戦後一貫して同じ制服だったのが、制服も新しくなり全てが
変更される予定だったらしいが、校歌だけは現校長や教員の
多くが武雄高校出身なので頑張ってくれて保持する事になった
そうだ。
校名も武雄高校となるが新設1年目が今年から始まるが
私達先輩との繋がりは続くのだろうか。

200名ほどの出席であった。
写真を沢山撮ったのに取り込みに失敗して全て削除されて
しまった。

今まで自己流でいい加減に取り込んでいたが、
最近なぜか知らないが「期限が切れます、更新しますか」と
言う画面が出るようになっていたので不安定だったのだ。

パソコン教室でワードを学んでいたが奥が深くて
切りがないので今週から写真加工を学ぼうと思い、
まず写真の取り込みを1時間3,800円払ってパーソナルレッスンを
受けたのにそのメモも見ないで今まで通りにやっちゃったわけ。

くやしい。

来週から「フォトショップエレメンッ5.0」を学ぶので
ヨドバシカメラでソフトを買ってきた。
14,480円であった。

【ショック2】
夕方、義母の病院に行ったら、
「あんた、どこから来たの」と言う
「うちからよ」とそこまでは気が付かなかったが、
「あんた、誰?2階の人?」
「えっ、私が誰か判らないの」
「うん、思い出さないよ、誰なの」
「○○子よ」と名前を言う
「知らないよ~」

帰る頃少し思い出したようなので、
「思い出した?」と聞いたら
「うん、思い出したよ、嫁だろう」
今までいつも○○子さんと名前でしか呼んだことがないのに
名前も忘れてしまったようだ。

どうしよう。

新米ケアマネは打つ手を知らないよ。


シニアナビ過去記事(329)「69歳は老人ではなかった」


 [329] 69歳は老人ではなかった 2006.11.5  22:37:24   
18/11/5(日)晴れ 暖

329_picture

3日(金曜日)の2時23分離陸の福岡行き
3時55分福岡空港着

Mさんが予約しておいて下さった博多駅前のビジネスホテルに
チェックイン、
朝食付き(私の普段の朝食と同じ、コーヒー、牛乳、パン、それで充分)で驚きの4900円です。
部屋の広さも清潔さも感じよさも満足です。
そのホテルは「サンビジネスホテル」

このところの多忙で疲れきっていましたので「絶不調」
背中はバリバリ、首筋は鉄筋入り。

早速マッサージをお願いしました。
やって来たのは昭和8年生まれのこの道40年のベテランおばさん。
博多弁でおしゃべりしながら丁寧に揉み解してくださいました。

あぁ 楽チン楽チン 料金は1時間で5200円
思わずチップを1000円差し上げましたら
「これは、初っ端から縁起が良い」と、とても喜ばれました。
私も嬉しくなりました、ハワイ帰りなのでチップは慣れていたのでした。

夜はMさんと遅くまで居酒屋で語り合いました。
話は尽きなくて、Mさん最終列車を逃してしまいました。
Mさんごめんなさいね。

4日(土)武雄市の会場「武雄センチュリーホテル」に投宿
1時30分から皆同じ年の男女が集いました。
久しぶりでした。

幹事の挨拶から数字を少々、
昭和31年3月卒業した生徒474名(入学時、男女半々の定員500名)
物故者66名(男性43名 女性23名)
今日の出席者142名
当時の県立高校の月謝420円
その頃から大学受検戦争が厳しくなって受験者延べ463名(後記:この数字不明)
合格者167名(37%)

69歳は決して老人ではないですね。
勿論元気な人しか出席出来ないのでしょうが、皆さんはつらつとして背筋がぴんとして、まだまだ現役をはれそうな方々ばかりでした。
当時は就職難でしたので、田舎に残った人は教職に付いた人が多く
皆さん本当に弁の立つ方ばかりでした。

思うに、老後豊かに暮らしている方達は教職等公務員の方が多いですね。
退職金も5000万近く貰っているようです。
聞いた話では、ある人に「退職金5000万位出た?」と聞いたら
「5000万までは出なかった」と言ったそうですから。

私が昔から親しくしていたOさんは自営でとうの昔にその商売も駄目になり住まいは都営住宅ですから、負担は軽いと思いますが、
建設現場のガードマンをしています。
以前聞いた時日給は7200円位と言っていました。
(後記:彼は高卒で叔父さん経営の有田焼販売の店に就職して、その後を継いでいました、料亭、旅館等から注文を受けて有田地方の窯元で仕入れて売る)

同窓会の常連でしたがある頃から来なくなりました。
故郷(後記:有田出身)で中学の同窓会があった時、息子が金を出してくれたので出席出来たと泣ける話も聞いています。
今回彼も出席していたので嬉しくなりました。

一方神奈川県警の幹部だったYさんは定年後も天下りして稼ぎ
今はゴルフ三昧、月に8回は行くそうです。
誘われればグアムでもサイパンでも済州島でも行くそうです。
ゴルフ会員権も三箇所持っているそうです。

今朝、朝食している時、そのOさんとYさんが話をしていました。
Y「えっ、仕事休んで来た、まだ働いているのか、いつまで働くつもりだ」
O「そりゃ死ぬまでよ」
Y「かわいそう、なぁ かわいそうだよな」と周りの人間に問いかけました。
冗談でなくかわいそうなOさんです。
彼は糖尿病で往時の面影も無く痩せて、歯も不具合で、それでも働かなければならないのです。
そんな境遇、公務員上がりにはわかんねぇだろうなぁ。



プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

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