おてんば85歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

同窓会、同郷会

無題!


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我が家は物で溢れている、いろんな物がでてくるが、
どう始末したもんか悩む。
昭和12,13年生まれ、78歳前後の姿です。
顔をさらしていますが、文句言う人もいないだろう。


この映像で出てくる情景は私の在学の頃です。

私は昭和28年に入学しましたが、
その年の体育の時間は運動場の整備でした。
なぜか戦前の名残の怖い農業の先生が監督して、
竹で編んだもっこで小石や土を運びました。
排水が悪かったので表土を剥いで砂利を入れ、
その上に土をかぶせる作業でした。

私が入学した頃は男女別クラスでした、
男子1~4組、進学組 5組、就職組
女子6組、進学組
7~9組、進学&就職組
10組家庭科
私は7組だった。迷い組

mi
箕と言うらしい

古い歴史のある高校で私達は誇りに思っていましたが、
所詮田舎の高校ですから偏差値は高くありません。
当時偏差値なんて言葉も無かったな。

私が入学した頃は1年は昔女学校だった西校舎、
2年以上は昔男子中学校だった東校舎で学び、
間に林の小山があり、
ここに小道が通りいろいろ謂れがありましたね、
男女の間ですから、その後西校舎は取り壊され統一されました。
三船山の麓、昔鍋島藩(支藩)の城跡でした。

沿革
*高等女学校
 1908年(明治41年)- 「佐賀県立武雄高等女学校」が開校。
 この年を創立年とする。
*旧制中学校
 1927年(昭和2年)- 「佐賀県立武雄中学校」(旧制、男子校)が
 開校。
*新制高等学校
 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革に伴い、武雄高等女学校と
 武雄中学校を統合し「佐賀県立武雄高等学校」と改称。
 男子を第1部、女子を第2部とする。
 1949年(昭和24年)- 完全に男女共学となる
 1953年(昭和28年)4月 - 夜間定時制の大町分校を設置。
 1959年(昭和34年)9月 - 大町分校を佐賀県立佐賀商業高等学校
 へ移管。



シニアナビ過去記事(708)「東京ふるさと大町会」

[708] 「東京ふるさと大町会」 2008.9.28  16:16:24   
20/9/28(日)曇り肌寒い

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〆は必ず炭坑節です、私も憂さを晴らすべく輪に加わりました。



恒例の「東京ふるさと大町会」に出席してきた。
例年「グランドプリンスホテル赤坂」で開催されているが
年々寂しくなっている。

元々は同級生が一部上場企業(後記:セコム)の社長に就任した時に開いた祝賀会が発端で「ふるさとの大町」からも町長始め町議会議員も大勢出席して盛大だったが、新規に入る人は居なくて何処も高齢化している。
幹事も、もう来年からは居酒屋位に落としてやるしかないだろうと  挨拶していた。

故郷から出席した方の挨拶では明るい話はひとつもないそうだ、
役場に行ったら町長から「ふるさと納税」してくれるように
話してくれと頼まれたそうです。
佐賀や唐津などの出世組の多い市は結構多いらしいが、
大町は0だそうです。

1万円の会費としては「しけた料理」でしたのでホテルでやるには
もう無理があるのでしょうね。
70名程の出席でした。

余興に「東京ボーイズ」の仲八郎の歌謡漫談が有り結構楽しめましたが、物まねで昭和天皇のマネは頂けませんでした、
ボケ老人の話しぶりでしたが、誰でも年を取ればぼけるもんです、 それをお笑いのネタにするのは不愉快ですね。

途中で例の被害妄想のお方から電話が入りました。
何故私の携帯番号を知っているのでしょうか。
利用者、特に認知症の方には個人番号は絶対に教えない事にして
いるのですが。
それは常識です。

どうしてかお判りでしょう。
 

シニアナビ過去記事(647)「高校同窓会」


 [647] 高校同窓会 2008.6.14  23:48:22   
20/6/14(土)晴れ


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旧制高女、旧制中学のおねぇ様、おにぃ様方の校歌斉唱、
皆様80才以上ですね。


今日は高校の同窓会に出席した。
会場は多分私が一番近いだろう「京王プラザホテル」

今年は同期が10名も出席したがいつもは
私1人だったことも何度かある、
私は余程の事がない限り出席するのだ。

わが母校も今年で100周年になる。
記念事業で古くなった同窓会館を建て替えるそうで多額(1億だったかな)の寄付を募っている。
70%程集まっているようだ。

あっ、私、まだ、寄付してなかったわ。

我が母校は旧制高等女学校、旧制中学校、新制高校と歴史は連なっているが、始めて出席した頃は父が生まれた頃(明治42年)に入学した方が何人かいらしたが、だんだんと少なくなり、
旧制派は今や少数派、

以前同窓会のために活躍なさった旧制中学の方が今週は忙しかった、海軍兵学校の同窓会に、何とかの会に、この同窓会が続いたと仰っていたが、たしか新聞の報道によると海軍兵学校の同窓会も
全国大会は今年で終わりにすると書かれていたっけ。

我が母校も今や中高一貫校になったので、
私達もそのうち少数派になるんですね。

所で私も実は今週は忙しかったんですよ、

月曜日の稲田朋美議員を励ます会(赤坂プリンスホテル)
水曜日の県人会(グランドホテル新高輪)
土曜日の高校同窓会(京王プラザホテル)

県人会は夜だったので欠席しました。
主婦だから夜はなるべく出たくないんですよ。
あぁ自由が欲しいな~~。
何を仰る「さんごママ」貴女自由気ままにしているじゃありませんか、と仰るそこのあなた私はどれほど闘っていると思います?
(後記:友人知人にお宅の旦那は寛大で羨ましいわと言われます、私のお答え・私は死ぬとき旦那が無理解でやりたいことをあきらめた人生だったと後悔しない為に戦っていますよ、女とか金とかetc、etcでしっぺ返しを散々貰ってます、貴女もやってごらんなさいよ、私がどれほどのおつりを旦那から貰っているか、それでも後悔しない人生の為にやりたいことはやるんです)

同窓会では地元の物産も販売していましたので、麦焼酎と麦味噌と
米餅を買ってきました。
そしてくじで深川製磁の皿が当たりました。



シニアナビ過去記事(548)「死ぬまで「せいこちゃん」路線で行く「ひと」

[548] 死ぬまで「せいこちゃん」路線で行く「ひと」 2007.12.7 23:23:59   
19/12/7(金)晴れ、穏やか小秋日和

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左2枚はせい子ちゃん、
右の空港でのミニスカートの女性は「せいこちゃん」の仲の良い同級生でこの方も違った意味で「ど派手」です、其の右の白いコートは勿論せいこちゃんです。
(後記:ちゃんとした画像もありますが、あえてプライバシーに考慮して)


私がひそかに「せいこちゃん」と呼んでいる同級生がいる。
私と「せいこちゃん」はゴキブリの如く何処にでも出没する。
昔、私が相模地方に住んでいた時も隣の市だった。
だから同級生の中では一番遭遇する人だ。

去年の佐賀県武雄市の高校同窓会に出席する為に前日に博多駅の雑踏を歩いていた時、なにやら見覚えのある後ろ姿が目に入った。

そして今回も又前日飛行機を降りて到着廊下を歩いていたら特徴のある後ろ姿が目に入った。なんと同じ飛行機だったのだ。

そうなんです、彼女は何万人の雑踏のなかでもすぐ判る格好をしているのです。

つまり「松田聖子」顔負けのふりふり、ぶりっ子、なんです。
何時もレースか可愛いプリントで超ロングドレス、ヘアスタイルは
茶髪で巻き毛、必ずリボンをつけているか、派手な帽子を被っています。

40代の時はそれでも可愛かった、でも老婆になった時はどうだろうと他人事ながら心配したもんだわ。確かに顔はデヴィ婦人とは大違いでそれなりのふけ方ですが、相変わらずの格好をしています。

つまりそれは彼女のポリシーなんですね。別に無理しているわけではないのでしょう。多分死ぬまでそれで通すのでしょう。
彼女から見ると私なんて代わり映えのしないオーソドックス路線ですからね。

以前娘さんといる所を見たのですが離れて見るとどちらが親か娘か
判断つきません。娘さんは地味なオーソドックス路線でしたから。

彼女とはそんなによく遭遇するのに友達ではありません。
多分、パリかハワイで遭っても「じゃぁね」と分かれるでしょうね。

彼女は子供の時は小っちゃくって、可愛い女の子でしたが、
私はのっぽで可愛くないしね、間に50人分の距離がありましたね。

最近はしませんが、以前は男性に囲まれてゴルフの話で盛り上がっていましたし、
得意そうに「今度ね、フランスのお城に泊まるゴルフツアーに行くのよ」なんて言っていましたが、私はゴルフのルールも知らないし、いや知りたくも無い人ですからね。
合うわけないでしょう。

私をしらけさせるのは簡単です。
ゴルフの話を延々とすればいいのです。

話違いますが、今日パソコンの先生に来てもらってリカバリーして
もらいました、最近、作動が遅くて、何か不吉な動きをしていましたので、初代のMEの悪夢を思わせられました。
それで「外付けハードディスク」を取り付けてもらいました。

昨日、ヨドバシカメラに行きましたら、下は9,900円~上は99,000円まで沢山あるのですね。でも店員が言うには、これも消耗品で耐用年数は5年位なのでそんなに高価な機器でなくても良いですよと言っていました。

バッファローハードディスク、   15,810円
先生の出張料(出張料+2時間分) 12,450円
計              28,260円也



シニアナビ過去記事(547)「デビ夫人をこえる「ひと」


 [547] デビ夫人をこえる「ひと」 2007.12.4  23:18:32   
19/12/4(火)晴れ

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同級生にとても70才には見えない美しい人がいる。
高校に入ってから特に親しくなり、毎日一緒に汽車通学した。

その人は純日本人には見えない美しさ。
髪は亜麻色で目は薄茶色、肌はピンクがかった白。
つまり白人の様だった。

当時田舎で白人を間近に見ることは無かった。
彼女の両親は普通の日本人、妹さんはブスに近い普通の日本人。
どうして、との思いはあったけど聞くわけにはいかない。
彼女も何だか変とは思っていたようだけど
それはタブーの様だった。
私の想像だけど満州からの引き揚げ者だったので、
もしかして、、、

一緒に汽車通学していると彼女がいかに男にもてるか、
まじまじと見た。
ベンチに座っていると横に来て言い寄る、ラブレターは寄越す。
嫌な男だと私に助けてと言う。
でも彼女も魅惑している節もあったけどね。
(後記:私は目撃しました、混んでいる汽車の中でちょっとイケメンの男子生徒が前を通ったら流し目をしたのです、私は目を伏せていましたけどね、その男オッ俺に気があるのかと思ったことでしょう)

今だったら、こんなにもてる友達といたら
「それに引き替え、私はどうしてもてないの」と
ひがんで私の根性は曲がってしまったかも知れない。

でも幸いなるかな、当時の親の教えは
「男に言い寄られる女は隙があるからだ、隙を見せるな」と
言うものだった。
私は素直に男に隙を見せないように「寄るな、寄るな」と
オーラを発していた。

でも真実はもてない女の子だったのだろう。
良い時代に思春期を過ごせて良かったわ。

高校を卒業してからはすっかり疎遠になって、かすかな噂だと
大変年の離れた人と結婚したような、あまり芳しいものでは
なかった、
6年前にも大阪であったけど今回ほど懐かしくは感じなかった。
当時糖尿病で食を控えていると言う事と、
美容関係の仕事をしていると言うことだけ聞いた。

今回、糖尿の他にも病気を持っていると言っていたが、
とてもそんな風には見えなくて、
上品でますます美しさが冴え渡っていた。
名前も旧姓になっていた。

70才ともなるとどんなに努力しても肌の衰えは隠しようが無いが、
彼女は目の下も口角も一切たるんで無くて、
だからと言っていかにも整形したような無理も無い。

まるでちょっと前のデビ夫人のような美貌なの。
デビ夫人も最近はアップに耐えられないようだが、
デビ夫人をこえていると思った。

私など平気ですっぴんでいたけど、彼女は子供の時からおしゃれで
並々ならぬ美しさへの努力をしていたとおもう。
とにかく全身すっきりとして若い、とても70才には見えません。
その若さの秘密を知りたい所だけど、
それはそっとしておきましょう。

娘に写真を見せたらこんな70才見たことがない、
どうしたらこんなに美しく年が取れるのか聞いてよと言う。
でもねぇ、土台が違うのよね。

ちなみにデビ夫人だけど。
私の知り合いが仕事でデビ夫人の指定の日時に
お宅を訪問したそうです。
そうしたら、ノーブラでTシャツを着て乳首がにょっきり見えて
目のやりばに困ったそうです。
おまけにノーメーキャップで
「ふつ~~のおばさんだった」そうです。

商談は「訳わからん事ばかり、言うので」
こちらからお断りしたそうです。



プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

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