おてんば83歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

同窓会、同郷会

シニアナビ過去記事(329)「69歳は老人ではなかった」


 [329] 69歳は老人ではなかった 2006.11.5  22:37:24   
18/11/5(日)晴れ 暖

329_picture

3日(金曜日)の2時23分離陸の福岡行き
3時55分福岡空港着

Mさんが予約しておいて下さった博多駅前のビジネスホテルに
チェックイン、
朝食付き(私の普段の朝食と同じ、コーヒー、牛乳、パン、それで充分)で驚きの4900円です。
部屋の広さも清潔さも感じよさも満足です。
そのホテルは「サンビジネスホテル」

このところの多忙で疲れきっていましたので「絶不調」
背中はバリバリ、首筋は鉄筋入り。

早速マッサージをお願いしました。
やって来たのは昭和8年生まれのこの道40年のベテランおばさん。
博多弁でおしゃべりしながら丁寧に揉み解してくださいました。

あぁ 楽チン楽チン 料金は1時間で5200円
思わずチップを1000円差し上げましたら
「これは、初っ端から縁起が良い」と、とても喜ばれました。
私も嬉しくなりました、ハワイ帰りなのでチップは慣れていたのでした。

夜はMさんと遅くまで居酒屋で語り合いました。
話は尽きなくて、Mさん最終列車を逃してしまいました。
Mさんごめんなさいね。

4日(土)武雄市の会場「武雄センチュリーホテル」に投宿
1時30分から皆同じ年の男女が集いました。
久しぶりでした。

幹事の挨拶から数字を少々、
昭和31年3月卒業した生徒474名(入学時、男女半々の定員500名)
物故者66名(男性43名 女性23名)
今日の出席者142名
当時の県立高校の月謝420円
その頃から大学受検戦争が厳しくなって受験者延べ463名(後記:この数字不明)
合格者167名(37%)

69歳は決して老人ではないですね。
勿論元気な人しか出席出来ないのでしょうが、皆さんはつらつとして背筋がぴんとして、まだまだ現役をはれそうな方々ばかりでした。
当時は就職難でしたので、田舎に残った人は教職に付いた人が多く
皆さん本当に弁の立つ方ばかりでした。

思うに、老後豊かに暮らしている方達は教職等公務員の方が多いですね。
退職金も5000万近く貰っているようです。
聞いた話では、ある人に「退職金5000万位出た?」と聞いたら
「5000万までは出なかった」と言ったそうですから。

私が昔から親しくしていたOさんは自営でとうの昔にその商売も駄目になり住まいは都営住宅ですから、負担は軽いと思いますが、
建設現場のガードマンをしています。
以前聞いた時日給は7200円位と言っていました。
(後記:彼は高卒で叔父さん経営の有田焼販売の店に就職して、その後を継いでいました、料亭、旅館等から注文を受けて有田地方の窯元で仕入れて売る)

同窓会の常連でしたがある頃から来なくなりました。
故郷(後記:有田出身)で中学の同窓会があった時、息子が金を出してくれたので出席出来たと泣ける話も聞いています。
今回彼も出席していたので嬉しくなりました。

一方神奈川県警の幹部だったYさんは定年後も天下りして稼ぎ
今はゴルフ三昧、月に8回は行くそうです。
誘われればグアムでもサイパンでも済州島でも行くそうです。
ゴルフ会員権も三箇所持っているそうです。

今朝、朝食している時、そのOさんとYさんが話をしていました。
Y「えっ、仕事休んで来た、まだ働いているのか、いつまで働くつもりだ」
O「そりゃ死ぬまでよ」
Y「かわいそう、なぁ かわいそうだよな」と周りの人間に問いかけました。
冗談でなくかわいそうなOさんです。
彼は糖尿病で往時の面影も無く痩せて、歯も不具合で、それでも働かなければならないのです。
そんな境遇、公務員上がりにはわかんねぇだろうなぁ。



シニアナビ過去記事(328)「50周年記念同窓会」


 [328] 50周年記念同窓会  2006.11.2   22:07:16   
18/11/2(木)晴れ


今日も義母関係で多忙であった。
曰く、言いがたし。

ハワイは一時お休み。

11月4日土曜日に武雄高校卒業50周年記念の同窓会に出席の為
明日の午後から九州に行きます。
50年、永かったのか、短かかったのか、判然としません。
韓国人にとっては36年がえらく永かったようなので36年以上は漠然と永いのだろうと思っていました。

午前、ヘルパーの仕事を1件こなしてからその足で羽田に行きます。
前泊するのは3月にもお目にかかった博多のMさんと逢って博多の夜を心行くまで、飲み、且つ語らう為です。

Mさんは勉強家で優れたブログを日々発信しています。
私はMさんのブログを観てから色々即発されました。

日曜日に帰りますが、その前に佐賀駅で途中下車してあることを
実行しようと思っています。

うまく行くかどうか判りませんので何をやるかは内緒です。
いま、私はとても疲れています。



イザブログ過去記事「とびっきりの笑顔で人生を切り開いたひと」


2007/12/02 16:56 
19/12/2(日)どんより晴れ 

私は自分の過去記事を読むのに夢中になっています。
我ながら実に面白い!
今は「シニアナビ過去記事」を転載していますが「イザの過去記事」に実にいい話がありましたので、それをいつ頃転載できるか判りませんのでイレギュラーではありますが転載してみます。

②笑顔
笑顔③
笑顔①
左側の女性は私ではありませんよ、似ているけど

同窓会に出席していろんな方にお会いして学ぶべき人生の指針を
示して貰ったような気がする。 
2,3書いて見ようと思う、プライバシーも考慮しなければならないが、 

6年前の大阪と今回の2回お会いした
この方はいつも笑顔が素晴らしい。 
小学の5,6年の時親しかった。 

当時私は今の身長があり大きい方から2,3番目でそれが嫌だった、 
小学生の頃は小さい順に並ぶので時としてはみ出すのだ。 
だからいつも私の後ろにいる彼女が頼もしかった。
その後も彼女は伸びたらしいが私はその頃が頂点だった。 

中学卒業してからどのような人生を歩かれたか判らないが、 
中学の同窓会では中学以後の事を聞くのはタブーである。 
私は以前「地雷」を踏んで実に不愉快な目にあったことがある。
当時、佐賀県の高校進学率は40%だと言う。 
(後記:彼女中卒のような気がする)

6年前に卒業以来始めて逢った。 
彼女は自動車産業の城下町(後記:広島)に住んでいる。 
彼女の笑顔が素晴らしいので、思わず問いかけてみた、 
その時聞いた彼女のスカウトされる人生にいたく感銘した
私は折に触れ娘や友人にも話している。 

又隣り合わせになったので聞いてみた。 
彼女は結婚が早かったので子育てが一段落した40才前に喫茶店のレジで働いていたそうだ。 

その店のお客さんに「貴女の笑顔は素晴らしい、この度私もクラブをオープンするので、うちの店の看板として働いてくれませんか」と
スカウトされたそうだ。 

その店は高級会員制のクラブで一流企業の部長クラス以上が
お客さん。 
そこで又、一流企業の重役から「貴女の笑顔が素晴らしい、うちの会社の顔として受け付け案内として正社員で働いて呉れませんか」と又スカウトされたそうです。 

その時彼女は40才なのでフルタイムで働くことにしばし考えましたが、 熱心なお誘いに応ずることにして、それから定年まで働いたそうです。 

その間就職氷河期に息子さんの入社をお願いしたら
「貴女の息子さんだったら、ぜひに」と採用されたそうです。 

定年時にまだ嘱託として働いてくれとの要請があったそうですが、 
息子さんが「お袋が受付にいるとやりにくいよ」との事で
60才で辞めたそうです。 

それからフラダンスを習い始めて、6年前に同窓会で素晴らしい踊りを披露しました。 
今回も又2曲披露しました。

先生からも教えないかと言われるそうですが、縛られるのは嫌なので先生と一緒にホテルなどのイベントで踊っているそうです。
素敵なシックな衣装は自分でデザインして作成したそうです。 

そして娘さん二人と、息子さんも同じ市内に住んでいて
家族も仲がよいらしい。
娘さんとその孫娘3人の写真をみせてもらいましたが
なんと4人とも実に美人で祖母譲りの笑顔が素晴らしいのです。 

今はご主人が末期癌で数ヶ月の命と宣告されたらしいのですが、
県立病院の看護師をしている孫娘の病院に入院して毎日家族が詰めかけて看病していたら、命が延びて今は在宅で介護しているそうです、 

娘二人に孫娘三人がまめに見てくれるので安心して同窓会にも
出席できるのです。 

仏頂面しているそこの貴女(私のことで~~す)
そんな顔していたら 福運は舞い込みませんよ。 

私も今日から心を入れ替えて笑顔の人生をおくろうかな、
かな、かな。 


 

シニアナビ過去記事(292)「東京ふるさと大町会」


[292] 東京ふるさと大町会 2006.9.3  23:48:43   
18/9/3(日)晴れ 秋来ぬと、、、

292_picture
最後は炭鉱節で〆

昨日の死ぬほどの疲れも一晩で回復し、
今日は「赤坂プリンスホテル」での「東京ふるさと大町会」に
出席した。

我がふるさと大町は今は県内一小さな町だと思うが、
1960年頃、かっては人口24,000人、生徒数4,000人の日本一大きな小学校、従業員5000人をほっする活気ある炭鉱町であった。

1969年に閉山して、今は8,000人ほどの過疎の町になりました。
今日聞いた話ではここ一連の町村合併騒ぎで何処とも合併しないで
頑張っていると思っていたのは、とんだ見当違いで借金が多くて
何処も入れてくれなかったそうです。

トホホ、、情けない。

この会の事始は実は私にあるのです。
11年前の平成7年に我が同期生の杉町寿孝さんが「セコム」の社長に就任した事を知った私は、当時新聞社の役員をしていたKさんに相談しました。
「われわれの同期生が一部上場企業の社長に就任したのに知らん顔は無いだろう、お祝いしない」と

さすが新聞記者、やることはてきぱきして、
専業主婦だった私など、とても出来ないような段取りで事は運びました。

実は私の考えでは、同期だけでこじんまりやるつもりだったので、
「ヒルトンホテル」の和食の店の座敷を予約していたんです。

ところが、同期会の組織を利用して呼びかけたんですが、
男のやきもちってすごいですね。
度量が小さいと言うべきか。

「彼とは親しくないしとか」「彼とは高校違うしとか」あほな返事ばかり。どう逆立ちしたって一部上場企業の社長とは勝負にならないのにねぇ。
その点、女は度量が大きいよね、もろ手を挙げて賛成ばかり。

同期生だけではあまりにも寂しいので1年下の幹事に声を掛けたら、学年を越えて大きく広がり、100名以上になり、
和食の座敷では収まらないので急遽「ワシントンホテル」の大広間に変更しました。

しかし、杉町さんが自分だけの為に集まって頂くのは申し訳ないと辞退なさったので、
じゃぁ「ふるさとを偲ぶ会」にしようと趣旨を変えたのです。

故郷から町長始め三役も出席して、
当時の佐賀県知事、兵庫県知事から祝電もいただき、
佐賀県知事は大町出身で、兵庫県知事の両親は大町出身で共に
武雄高校同窓生。
その時はとても晴れがましかったですね、
人生で一番活気のある時でしたね。

その翌年から毎年「帝国ホテル」や「赤坂プリンスホテル」で盛大に開催していましたが、久しぶりに出席してみたら、なんだか寂しいの。

我々、炭鉱町世代が年を取り若い人たちが入ってこないので、
寂れるばかりのようです。
おまけに去年から故郷からも財政難で来られなくなったし。
今日は80人ほどの出席でした。

あの、輝やいていた炭鉱町時代も、もうず~~っと過去の事、
語る人たちも老兵になって仕舞いました。
私の年代ももう過去の人、消え去る人、老兵なんだなと
しみじみ考えました。

話は変わりますが、
今夜、テレビで秋田県大曲の花火大会を見ましたが、
私、今年は一度も花火を見ていないことに気が付きました。

来年は秋田まで見に行こうと決心しました。



シニアナビ過去記事(245)「第40回武雄高等学校同窓会、東京支部総会」

[245] 第40回武雄高等学校同窓会、東京支部総会 2006.6.10  22:59:30   
18/6/10 (土) 晴れ、夕方小雨

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校歌斉唱、高女のお姉さま方もだんだん少人数になる、現校長と


赤坂プリンスホテル「ロイヤルホール」にて
高校の同窓会が開催された。
去年は出席の返事を出していたのに失念して欠席した。

我が母校「武雄高校」は後2年で100周年を迎える伝統校だ。
我々卒業生にとって母校は誇りでありバックボーンだ。
100周年には億の単位の事業が計画されているようだ。
いずれ我々卒業生にお願いが来るだろう。

前身は明治41年創立の高等女学校、昭和2年創立の旧制中学校、
昭和23年に新制高校になった。私はその8回卒業だ。
卒業してからもう50年、今年の秋に武雄市で同期会が開催される、
勿論出席するつもり。

昭和40年代には明治42年入学の凛とした高齢の女性が出席なさっていた。
明治42年と言えば亡き父や義母の生まれた年だ。
当時高等女学校に通学出来る女性は家柄も頭脳も恵まれた
お方だと思う。

だんだん、高女、旧制中学卒の方々が少数になるのは寂しい限りだ。
今年は高女5名、旧制中学7名出席。

昔、高女卒の新宿ゴールデン街の名物文壇バー「バー前田」の
前田孝子さんを受付で見かけたことがある。
この方が亡くなられた時は、全新聞に死亡通知が掲載された。
何年か経ってからゴールデン街に行ったら、まだそのまま残っていた。
生前行ってみたかったがその頃は私もまだ「うぶ」だったので
そんな場所に足を踏み入れるなんて出来なかった。

本日は165名の出席、8回卒は2名(出席率悪い)
現在の母校の様子が上映されたが、制服が私達の頃とまったく同じ、そして生徒達も、部活に勉学にと向学心に燃えた瞳がまぶしかった。

二次会の喫茶室で校長(後輩である)の隣だったので、
聞いてみた。

「制服がまったく変わっていないんですね」
『まったく変えていません、かえる必要も感じていません』
「生徒達の様子が、テレビや街中で見かける最近の高校生とまったく違いますね」
『佐賀県の上位の進学校はどこも進路指導と生活指導に力を入れていますので、本当にまじめです。日本には巷で見かけるようなだらしない学生ばかりではありませんので安心して下さい』

日本の未来のために、ほんとうに安心しました。
うちに適齢の子供がいたら、留学させたいと思いました。

今日も抽選会で当たった。
有田の「漬物3種セット」

最近は先輩から引き継いだ企業に協賛品の提供をお願いに行っても
代が変わっていて、昔のように気持ちよくご提供いただけないそうです。以前は有田焼の優品が沢山提供されていたんですよ。



プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

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