おてんば84歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

同窓会、同郷会

シニアナビ過去記事(548)「死ぬまで「せいこちゃん」路線で行く「ひと」

[548] 死ぬまで「せいこちゃん」路線で行く「ひと」 2007.12.7 23:23:59   
19/12/7(金)晴れ、穏やか小秋日和

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左2枚はせい子ちゃん、
右の空港でのミニスカートの女性は「せいこちゃん」の仲の良い同級生でこの方も違った意味で「ど派手」です、其の右の白いコートは勿論せいこちゃんです。
(後記:ちゃんとした画像もありますが、あえてプライバシーに考慮して)


私がひそかに「せいこちゃん」と呼んでいる同級生がいる。
私と「せいこちゃん」はゴキブリの如く何処にでも出没する。
昔、私が相模地方に住んでいた時も隣の市だった。
だから同級生の中では一番遭遇する人だ。

去年の佐賀県武雄市の高校同窓会に出席する為に前日に博多駅の雑踏を歩いていた時、なにやら見覚えのある後ろ姿が目に入った。

そして今回も又前日飛行機を降りて到着廊下を歩いていたら特徴のある後ろ姿が目に入った。なんと同じ飛行機だったのだ。

そうなんです、彼女は何万人の雑踏のなかでもすぐ判る格好をしているのです。

つまり「松田聖子」顔負けのふりふり、ぶりっ子、なんです。
何時もレースか可愛いプリントで超ロングドレス、ヘアスタイルは
茶髪で巻き毛、必ずリボンをつけているか、派手な帽子を被っています。

40代の時はそれでも可愛かった、でも老婆になった時はどうだろうと他人事ながら心配したもんだわ。確かに顔はデヴィ婦人とは大違いでそれなりのふけ方ですが、相変わらずの格好をしています。

つまりそれは彼女のポリシーなんですね。別に無理しているわけではないのでしょう。多分死ぬまでそれで通すのでしょう。
彼女から見ると私なんて代わり映えのしないオーソドックス路線ですからね。

以前娘さんといる所を見たのですが離れて見るとどちらが親か娘か
判断つきません。娘さんは地味なオーソドックス路線でしたから。

彼女とはそんなによく遭遇するのに友達ではありません。
多分、パリかハワイで遭っても「じゃぁね」と分かれるでしょうね。

彼女は子供の時は小っちゃくって、可愛い女の子でしたが、
私はのっぽで可愛くないしね、間に50人分の距離がありましたね。

最近はしませんが、以前は男性に囲まれてゴルフの話で盛り上がっていましたし、
得意そうに「今度ね、フランスのお城に泊まるゴルフツアーに行くのよ」なんて言っていましたが、私はゴルフのルールも知らないし、いや知りたくも無い人ですからね。
合うわけないでしょう。

私をしらけさせるのは簡単です。
ゴルフの話を延々とすればいいのです。

話違いますが、今日パソコンの先生に来てもらってリカバリーして
もらいました、最近、作動が遅くて、何か不吉な動きをしていましたので、初代のMEの悪夢を思わせられました。
それで「外付けハードディスク」を取り付けてもらいました。

昨日、ヨドバシカメラに行きましたら、下は9,900円~上は99,000円まで沢山あるのですね。でも店員が言うには、これも消耗品で耐用年数は5年位なのでそんなに高価な機器でなくても良いですよと言っていました。

バッファローハードディスク、   15,810円
先生の出張料(出張料+2時間分) 12,450円
計              28,260円也



シニアナビ過去記事(547)「デビ夫人をこえる「ひと」


 [547] デビ夫人をこえる「ひと」 2007.12.4  23:18:32   
19/12/4(火)晴れ

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同級生にとても70才には見えない美しい人がいる。
高校に入ってから特に親しくなり、毎日一緒に汽車通学した。

その人は純日本人には見えない美しさ。
髪は亜麻色で目は薄茶色、肌はピンクがかった白。
つまり白人の様だった。

当時田舎で白人を間近に見ることは無かった。
彼女の両親は普通の日本人、妹さんはブスに近い普通の日本人。
どうして、との思いはあったけど聞くわけにはいかない。
彼女も何だか変とは思っていたようだけど
それはタブーの様だった。
私の想像だけど満州からの引き揚げ者だったので、
もしかして、、、

一緒に汽車通学していると彼女がいかに男にもてるか、
まじまじと見た。
ベンチに座っていると横に来て言い寄る、ラブレターは寄越す。
嫌な男だと私に助けてと言う。
でも彼女も魅惑している節もあったけどね。
(後記:私は目撃しました、混んでいる汽車の中でちょっとイケメンの男子生徒が前を通ったら流し目をしたのです、私は目を伏せていましたけどね、その男オッ俺に気があるのかと思ったことでしょう)

今だったら、こんなにもてる友達といたら
「それに引き替え、私はどうしてもてないの」と
ひがんで私の根性は曲がってしまったかも知れない。

でも幸いなるかな、当時の親の教えは
「男に言い寄られる女は隙があるからだ、隙を見せるな」と
言うものだった。
私は素直に男に隙を見せないように「寄るな、寄るな」と
オーラを発していた。

でも真実はもてない女の子だったのだろう。
良い時代に思春期を過ごせて良かったわ。

高校を卒業してからはすっかり疎遠になって、かすかな噂だと
大変年の離れた人と結婚したような、あまり芳しいものでは
なかった、
6年前にも大阪であったけど今回ほど懐かしくは感じなかった。
当時糖尿病で食を控えていると言う事と、
美容関係の仕事をしていると言うことだけ聞いた。

今回、糖尿の他にも病気を持っていると言っていたが、
とてもそんな風には見えなくて、
上品でますます美しさが冴え渡っていた。
名前も旧姓になっていた。

70才ともなるとどんなに努力しても肌の衰えは隠しようが無いが、
彼女は目の下も口角も一切たるんで無くて、
だからと言っていかにも整形したような無理も無い。

まるでちょっと前のデビ夫人のような美貌なの。
デビ夫人も最近はアップに耐えられないようだが、
デビ夫人をこえていると思った。

私など平気ですっぴんでいたけど、彼女は子供の時からおしゃれで
並々ならぬ美しさへの努力をしていたとおもう。
とにかく全身すっきりとして若い、とても70才には見えません。
その若さの秘密を知りたい所だけど、
それはそっとしておきましょう。

娘に写真を見せたらこんな70才見たことがない、
どうしたらこんなに美しく年が取れるのか聞いてよと言う。
でもねぇ、土台が違うのよね。

ちなみにデビ夫人だけど。
私の知り合いが仕事でデビ夫人の指定の日時に
お宅を訪問したそうです。
そうしたら、ノーブラでTシャツを着て乳首がにょっきり見えて
目のやりばに困ったそうです。
おまけにノーメーキャップで
「ふつ~~のおばさんだった」そうです。

商談は「訳わからん事ばかり、言うので」
こちらからお断りしたそうです。



シニアナビ過去記事(544)「私はご機嫌」

[544] 私はご機嫌 2007.12.1  23:30:02   
19/12/1(土)晴れ

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さすが佐賀市のマンホール、ムツゴロウさんです

ムツゴロウの蒲焼き、もう何十年も食べていないなぁ、
子供の頃は庶民的な食べ物でした、
私の骨密度が120%(同年代の)もあって丈夫なのは
ムツゴロウさんのおかげかな


今日は休みなんだけど例の腰痛ちゃんの事で昼から振り回された。
その件は又後ほど書くとして、
続き

6年ぶりの中学の同窓会だ、前回は大阪であった。
皆元気だ、でも少数は病気上がりだとか、癌で抗ガン剤治療中と
言う人もいたが、ここに集える人はそれなりの勝者だと思う。

9組460名の同窓生も判明者は230名で、出席者は89名で、
物故者は54名だそうだ、やはり男性の方が多い。

私が日頃接するお年寄りは心身薄弱な方ばかりなので、
70才がこんなに元気な集団とは驚いたわ。
女性はおおむね若々しいが男性は、
ぇっ、この人も私達と同じ年なのと言いたくなるような
爺さんがいて驚いたわ。
どうしてこうも違うのでしょうか、病気でもして出遅れたのかな。

私も気分はすこぶる元気で積極的に全テーブルをまわって
言葉を交わしたし、
今まではあまりこちらから声をかけることもしないで、
人から見たら多分取っつきの悪い女に見えていたのかも知れない。

でももうここまで来ると残りはそんなに沢山は無いのだ
悔いのない人生をおくりたいと思う気持ちが強くなっている。
皆さんも同じ気持ちだろういつになく盛会であったし、
皆機嫌がよかった。

我らが出世頭の東証一部上場企業のS社(後記:セコム)
元会長S氏も顧問になってゆとりが出来たのだろう、
墓参をかねて奥様と来佐なさっていた。

不幸な事件に巻き込まれた人も居た、
武雄市の整形外科病院でヤクザに誤射された
30代の若い男性の事件はまだ耳新しい事件だが、

同窓同士で結婚しているご夫婦で奥様はバリバリの共産党の
町会議員で旦那も共産党の音楽事務所の理事長をしている方の
娘婿だったそうだ。
その話は後で聞いたからよかったわ。

会場を別の部屋に移しての二次会ではそれぞれ芸達者が披露して
話はいつまでも尽きなかった。
嬉しいことに多分これが最後の同窓会という話が出るかと
思っていたが、又元気で逢いましょうと異口同音に言い合って
いた。

終わってから又マッサージを呼んだがこれが又上手なの、
地方のマッサージは当たり外れがないような気がします。
指示もしないのに一番辛い頭と首筋をよくもんで呉れて、
こんな事を言うの「あぁ、昨日はよく寝た」と頭の皮膚が
言っています。
確かに昨日はいつになくよく寝たわ。

耳鳴りに悩んでいることを言ったら耳の上の方を良く揉んでくれて
ここが耳鳴りのツボだから自分でももんで下さいと言う、
今でも揉んだ後が痛いな。

明日は唐津見物だから又睡眠剤を飲んで寝た。
唐津見物はちょっとがっかり、
28名が参加したが予定によると鏡山、曳き山展示場、だったが、
なんと観光バスではなくて料理屋さんの送迎バスで
鏡山は曇りなので登りませんと言って饅頭屋さんでみやげを買って
「曳き山展示場」と虹ノ松原を往復しただけで目の前に
唐津城もあるのに行かずに、料理を2時間以上食べさせられた、
それも大半残すほどの量だ、

私達料理を食べるために来たのでは無いようと
皆不満を持っていたが、
まぁ、幹事のご苦労を思えば我慢するしかないだろう。

曳き山と言うのは唐津神社の秋祭りで町内ごとの曳き山があり
町を練り歩くそうですが、その曳き山がこんなに立派だとは知りませんでした、
全部で14台あり古くは文政2年(1819年)から明治は2年(1869年)から9年まで5台ありますが、みんな今日作ったばかりのようにきれいです、
毎年塗り直すのでしょう、町内の財産なんですね。
重さ2~4トンもあり制作費は現代の価値で5,6千万もして
2年程掛掛かったそうです。
元々は15台あったそうですが明治中期に損滅したそうで、
再度は作らないのですね。
一度くらい見物してみたいと思いました。

唐津から福岡空港まで直通があって便利でした、
JR筑肥線なんてローカル線に乗ることはもう二度と無いだろう。

飛行機はT君と隣あわせで帰宅した。
この旅で一番嬉しかった事は私がとても機嫌良く過ごせたこと。


 

シニアナビ過去記事(543)「佐賀にて」

[543] 佐賀にて 2007.11.29  23:54:02   

19/11/29(木)晴れ 寒気
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武家屋敷街の掘り割り


博多からJRで1時間半ほどで佐賀に着いた。
佐賀県出身とは言え佐賀市内はそんなに用のあるところでは
無いので不案内である。
観光案内所でまず聞いた事は丁度昼時だったので
美味しいチャンポンを食べられるところ。
チャンポンは好きな食べ物である、九州に来ると必ず食べる、
豪華な具ではなかったが美味しかった。

タクシーでお壕端にある「ホテルニューオオタニ佐賀」に
1時頃着いた。
日曜日だというのに何だか静かな街である、ドライバーに聞いたら
「何しろ人が居ませんからねぇ、最近町村合併して22万人になりましたが、それまでは17万人でした」との事。

佐賀は空が広いと言われている。
(後記:つまり空を遮る高い建物がない)
チェックインは2時からなので荷物を預けて散策マップを貰い
お壕端の周辺を散策に出かけた。

見所は結構あったが時間が足りなさそうなのでお堀端を中心に
「大隈記念館・旧宅」と「佐賀城本丸歴史館」を見物した。
城内の東側、武家屋敷があった「会所小路」にある大隈重信記念館に行く、今に掘り割りなどが随所にあり、他に「枳小路、中ノ橋小路、花房小路、椎小路、通小路」等がある。
出来たらそんな小路を制覇したかったが、
おそらく疲れ果てるだろうな。

大隈記念館は日曜日だというのに閑散として
私1人で黙々と見物した。
佐賀は幕末から維新にかけて日本の近代化に活躍した人材が
輩出したのね。

「佐賀の七賢人」と言う。
①大隈重信「日本初の政党内閣を組閣、早稲田大学の創始者」
②鍋島直正「反射炉による大砲の鋳造で全国に名をはせる名君」
③副島種臣「政治家、書家としても才能を発揮した多才の人」
④江藤新平「司法制度の基礎を作った初代司法卿」
⑤島 義勇「札幌を中心に開拓した北海道開拓の父」ヨシタケと読む
⑥大木喬任「文部卿として教育体制の整備に尽くした元東京府知事」
⑦佐野常民「日本赤十字事業の生みの親、博愛の父」

重信のお母さんは人寄せが好きな人で重信の友達が来るとご馳走して歓待したそうで、長じて重信も屋敷に人を寄せてご馳走するのが好きだったそうです。

重信が字を書かなかったのは有名だそうで、自筆の書は現存するのは一点だけだそうで、代筆する人が何人か居たそうです。

お堀の中、城内を歩き、平成16年に完成した本丸御殿の歴史館を
見物しました。
佐賀10代藩主鍋島直正が天保期(1838年)に再建した本丸御殿を忠実に再建されたそうです。
とても広い屋敷でしたが一部だそうです。

それから又お壕端を歩きホテルに4時に到着しましたが、
3時間の散策です。もう疲れは頂点に達していました。

幹事が受付をしていましたが、私に割り振られていたのは相部屋でしたので無理を言ってシングルにして貰いました。
1時間でお風呂にどっぷり浸って疲れを取りドレスアップして、
しゃっきりとして会場に入りました。

続く



シニアナビ過去記事(515)「桐タンス再生」


[515] 桐タンス再生 2007.9.8  23:05:42   
19/9/8(土)晴れ
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70~80年前の桐タンス


ケアハウスからいきなり1週間以内に撤去してくれと電話があった。
そんなぁ無茶な、98年間の精算がそう簡単に出来ますか。

私の被害妄想かもしれないが、義母が退院してからこっち表面は
笑顔でしかし真綿でしめるような言葉の数々に傷ついているのだ。
でもお世話になっているからひたすら笑顔で感謝の言葉を返して
いたが、もう我慢できない。
私の本来の姿を見せてやるわ。

意地でも1週間で退去してやろうじゃないの。
大工さんに撤去と掃除を頼んでいたんだけど日取りが合わないので、電話があった木曜日からひたすら片づけている。
その日は娘と二人で70L袋に20袋も地下のゴミ置き場まで運んだ。

自分の母が死んだ時、義妹が母の遺品を私に断りもなく庭で燃やしていたのが無性に腹が立って思わずそれは私がやりますと言ったことがあったっけ。
実母の物はいと惜しく、義母の物は惜しげもなく捨てられる。
私は冷たい人間かもしれない、全てなんの感傷もなく捨てた。

今日も又午前中から1人で片付けに行き16畳程の部屋に敷き詰めていた絨毯をちゃちなハサミで細かく裁断した。
月曜日に旦那に手伝わせて粗大ゴミとして家具類を地下に運ぶ。
それで一気に終わりにしよう。

ただ一つ懸念がある。それは7,80年昔の桐タンス。
捨てるには惜しい、でも部屋も狭いし、古いので再生したいが
15万以上はするらしい。
それでネットで調べて48,000円からというのがあったので
見積もりに来て貰った。

48,000円なんてとんでもはっぷん、
24万~35万~45万~58万まであるそうだ。
話を聞いてみるとなるほどとは思うが48,000円なんて
あり得ない価格でつるなんてその営業方針が信用出来ない。

やはり義母の大事にしていたタンス、再生して受け継ごうじゃないの。もう一度調べてどうせお金を掛けるんだったら納得のいく所に お願いしようと思う。
でも時間の猶予がないのだ、水曜日までに出さなければならない。

後片付けは2時頃で終わりにして、今夜は高校の同窓会(同期)が
銀座であるので4時過ぎに出かけた。
古稀の連中が30名程集まった。

昨夜も疲れがピークで肩こり、頭痛、眉の上の三叉神経が痛んで
今日も辛かった。
疲れが頂点に達するとイライラして悲観的な感情に襲われる。



プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

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