おてんば86歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

家族 娘、息子

元気出ない


令和5年11月29日(水)晴れ

 174
176
今月の満月は27日だったんだわ、当夜館林で赤い満月を見ました
178
180
朝

182
185

189
今朝の朝食 セブンのサンド

館林から元気一杯で帰宅しました。
私偉いと褒めてあげました。

しかし今朝起きたら元気ありません。
でも柚子を山ほど買って来たので早速2回ジャムにしました。
164
館林の道の駅で買った柚子 今日は右側の大きい柚子を処理しました、大きいのは先方の方が前日買って下さつていた物
192
娘が買って来た柚子 鬼柚子どうすんのよ、
以前持て余したことあり!
291
今日作ったジャム、皮はいつも茹でないでそのまま作っていましたが、2回目は一度茹でこぼしました

旅中にスマホで撮った画像をパソコンに取り込むコードが
紛失しました。
それが無いと大変困るので午後からヨドバシに買いに行く。
USBケーブル1880円

帰りは歩いて帰る、
途中中央公園に寄りしばらくベンチで憩う。
199
飛行機が2,3分おきに東西を飛んで行きます、飛行場なみです

新宿へ


娘がバターと柚子を持ってきました
193
娘がフランスからエシレのバターを買って来てくれました。
他に息子宅にも買って来ました。
留守中お世話なりましたので、お隣さんに有塩(緑)を
1個差し上げました。

267
269
290
今夜の夕食、鰹の炭火焼き、里芋、人参、牛蒡の煮物、
トマト、ビール

今日の歩数は8742歩

館林の件は後程


退屈な映画


令和5年11月26日(日)曇り一時小雨

 003
004
007
011
013
朝

037
今日のお昼 アンパン(2個)、野菜ジュース、
赤蕪甘酢漬け、ポタージュスープ、

今日は午後から息子が来ると言うので
月に2回あるシニア活動館に午前10時に映画を観に行く、

今日の映画はつまらなかった、気が付けば居眠りしていて
筋が判らないから一概につまらない映画とは言えないかも
しれない、しかし面白かったら朝から居眠りするか!
尤も部屋も暖かすぎた。

只、登場俳優が男優は殆ど軍人役だけど足が長くてすらりとしていてスタイルが良い、女優も皆すらりとしていて醜いスタイルの俳優は居なかった。92年前の映画だけど映画そのものはしっかりした映像だった、昔戦前の邦画を見たことがあったが照明がゆらゆら揺れているし画面が暗くてハリウッド映画と比較すると100年は遅れていると思った。
025
6人の参集だった

IMG_20231126_0001

12月の上映予定
11月

038
息子が同僚から頂いた柿を持って来た、
昨日ラインで柿いるかと来たので硬い柿ならいると返事した、
都内住宅の庭に沢山なるらしいが貰い手が無いらしい。
硬い柿なら大歓迎です、お隣さんにもあげよう。

041
今夜の夕食、残り物、セブンのポテサラ、生姜の奈良漬け、
赤蕪の甘酢漬け、ビール

今日の歩数は7320歩





可もなく不可もなく


令和5年11月21日(火)晴れ

 003
004
00あさ


007
009
012
今朝の朝食 ポテサラトースト
013
バカナスの実が熟していますが鳥さんは来ません
go-ya
本体は枯れ枯れですが実は10個ほどぶら下がっている、
しかし成長しない

今朝も朝食後かったるくなったので8時頃寝た。
起きたのは11時頃、すっきりしないので再度寝倒そうかと
思ったが、止めといた。
018
今日のお昼、お腹空かないけど、一応お腹に入れる
カステラ、干し柿、野菜ジュース
037
綿花は無駄なく花を咲かせ綿になります
027
太陽、富士山を通り過ぎてかなり南に落下しています
039
今夜の夕食、芋ご飯、生姜の奈良漬け、
残り物を始末しようと思っていたら
娘が食べさせろと言って来ましたので急遽目玉焼きを
増やしました。娘曰く私の食事は寝る頃にお腹空くそうです。

今日の歩数は4493歩


これが86歳の現状なのか


令和5年11月10日(金)曇り後雨

006
007
010
鳩がすごく蔓延していますね、烏や雀よりも多い
003

012
ブルーベリーチーズ乗せ
018
019
020
さてゴーヤもいよいよ末期をむかえていますが、
小さな実が10個ほどもぶら下がっています、
最近成長が遅いんですが、無事に大きくなるのでしょうかね、

今朝は体操は無事に実施できましたが、その後どんより~雨です。
昨日贈られて来た渋柿を剥いて干しました。

013
017
雨なので浴室を換気機能にして干しました。こうしておくと晴れればベランダに出せるし便利です、36個、ズブズブのは処分しました。

今日もお昼を食べた後、かったるくなり、寐ました。
これは万年寝不足のせいか、老化現象か?
老化現象と闘っている毎日!!
世の老婆老爺はどのような日常を過ごしているのだろうか。
出歩くの好きだけど、すぐに疲れるし、動悸がするし。
家でじっとしてれば心臓も平穏だし、
もうあきらめて観念すべきなのか。

021
今日のお昼、芋ご飯、レトルト味噌汁、残り物
024
今夜の夕食、ほうれん草とベーコンの塩胡椒炒め、目玉乗せ、
胡瓜の酢の物、トマト、ビール、
なぜか娘が夕方来て食べる気満々なので食べさせた、
粗食だけどね。

今日の歩数は4651歩

所で前にも書いた読めないハガキをよこすお方が
又ハガキをよこしました。
どうしても私に逢って話したいようです。
私はその気ないんですけどね、
一度位願いを叶えてあげた方が良いかな。
IMG_20231109_0001


ura

30年位前のラクダの旅をいまだに引きずってますね。



トラウマ、奢り、奢られ、割り勘、各自払い!


令和5年11月7日(火)風雨強し

 002
003
体操ライン

と言うわけで今朝の体操は休み、
二度寝を試みましたが、もう顔も洗ったし眠れませんでした。

006
このジャムマズイと思ったら、
梅焼酎を絞った滓で作ったジャムでした。

今日は午後からペースメーカーの定期点検なので
六本木に行きます。

気になっていたことを書いてみようと思う。
私は明治生まれの厳しい父に育てられ、トラウマを沢山抱えて
人生を生きて来た。
その中で一番私の心を犯し、トラウマになっていることを書く。

父は私には理解出来ない変な思想を持っていた、父のいう事を真剣に聞いて居なかったけど、家計についての父の見解はとても
理解出来なかった。

私の育った炭鉱町は各地からの寄せ集めで多士済々の人々が
かなり自由に暮らしていました。
町の人口の6割が炭坑関係者でした。

炭坑の給料日は「受け銭日」と言って昼間炭坑で働いている夫達に
代わり妻が経理の窓口に長蛇の列を作り受け取っていました。
従って家計は妻が独占していました。

ところが父は家計を母に渡しませんでした。
毎朝必要最低限の金を渡していました。
だから予告なしの集金があると母は「主人から貰っておきますので明日来てください」と言っていました。

その家計金の中には子供の小遣いも入っていたんですが、
子供が小中の時は毎日学校から帰ると10円位貰って近所の店で
買い食いするのが楽しみでした。

だから中学までは何の痛痒も感じて居ませんでしたが、
私は長女だったので父も理解していなかったと思いますが高校生になれば一定額の小遣いを渡すべきだと理解していなかったと思う。

私は人好きで友達もすぐに出来る質でしたが、小遣いを1銭も持って居ませんでしたので友達付き合いが出来ません。
幸い当時は貴重だった図書館が高校と武雄町にありましたので
下校するとそのどちらかに籠り読書に耽りました。

ある時、学友と一緒の時に回転焼き(今川焼)屋に誘われました。
私は正直にお金持ってないから行かないと固辞しました。
しかし友は驕るから行こうよと強引に連れ込まれました。

奢って貰うとさすが饒舌な私も無口になります。
黙って食べているとまるで砂を噛むような気持になりました。
その気持ちはいまだに鮮明です。
それ以来私は絶対に奢って貰う事は拒絶するようになりました。

現代人はどうしてアルバイトしなかったんだと思うでしょうが、
当時田舎で学生がアルバイトするなんて思想はありませんでした。

その他、外泊は例え隣でも許されませんでした、女の子が外泊なんてとんでも無いと言っていました、友達が泊まるのは許されましたが、こんな親父の居る家に友を呼ぶ気はしませんでした。

外泊と言えば最後の夏休みにキャンプに行こうと誘われました。
キャンプなんて生まれて一度も行った事ない、どうしても行きたかったけどやっぱり許されませんでした。
だからキャンプに拘るのはこの時以来ですね。

母が一番やりにくかったと思いますが、
母は一言も愚痴を言いませんでした。
子供に自由におもちゃや服等を買ってやることも出来ない、
さぞつらかったと思いますけど一度も愚痴を聞いたことが
ありません。

叔父(母の弟)が言っていましたが、ねぇさんは明るい性格だったが義兄(父)と結婚してから性格が暗くなったような気がすると
言っていました。

私の想像ですが母は所謂傷物でした。
傷物を貰って貰ったと言う負い目があったんだと思う。
その傷については長くなるので割愛する。

父は豪語していました、
必要な物は何でも買ってやるから「言え」と
しかし私は父にお願いするのが嫌でした。
高校に入ったら確か学費が400円、通学費が250円位でしたが、
其の学費も毎月言わないとくれません。一度学費を滞納したことがあります、担任が人気のない所によんで「経理から何月分が滞納していると言ってきたが、そんなに苦しいのか、、、」と
言われました。

「明日収めます」と言って父から貰い納入したことがあります。
普通学費の居る子供がいればその月のうちに前もって渡すものだと思うのですが、父はお願いしないとくれませんでした。

卒業後弟が入れ替わりに同じ高校に入りましたが、
ある時弟に言われました。
普通兄姉がいる下の者は学校で必要な物はすでに買ってあるもんなので買わずに済むのに「ねぇさんは、必要な物も買ってなかったんだね」と言われました。

弟から小遣い呉れない件で聞いたことはありませんので弟は優秀で父も一目置いていたのでこの件は解決していたのでしょうね。

社会に出てからは父とは精神的に断絶しましたが、
やはり傷ついた心はトラウマになっています。
奢られるのは断然嫌ですね、尤も奢るのも嫌ですけどね、
だから子供達から奢られるのも数年前までは気持ちが
落ち着きませんでしたが、最近は平気になりました。
幸い子供達も経済的には平均より上を行っていますのでね、
平気で奢って貰ってますよ。

最近時々思います。
私の子育てはこれで良かったんだろうか、
子供本人たちはどう思っているんだろうと、
先だって旅行した時に娘にそんな話をしましたが、
娘は饒舌じゃないのでその件については何も語りません。
まっ良かったってことにしとこう。
IMG_20231107_0001



プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

最新コメント
記事検索
読者登録
LINE読者登録QRコード
メッセージ

名前
メール
本文
カテゴリー
タグ絞り込み検索
  • ライブドアブログ