おてんば86歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

私の思い

吉田会長


令和6年2月20日(火)どんより

少し前に産経新聞にチラシが入っていて度肝を抜かれたことが
あります。
DHCと言う化粧品会社を高値(?)で売却して「大和心」と
言う通販会社を立ち上げて人材募集のチラシに度肝を
抜かれました。
それ以来注目しています。
雑誌を発行しているとみましたので早速申し込みました。

結構お役立ち雑誌です。
ネットで検索すると社長が本音で意見を言うと
現代の世相では叩かれますのでバッシングされています。
最近は物言えば唇寒しです。
生き難い世の中になってしまいました。



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minoue
 この1番の回答が面白いです。
男は頭が良くて仕事が出来る人を選べと仰っていますが、
それは賛成ですが、
でもね「ちびデブ短足」でも稼ぐ男だったら良いのかな。

そう言えばちびデブ短足でも稼ぐ男は美人の嫁さんをゲット
している例が多いですね。
やっぱり男は稼ぐ男でなくては価値が下がりますね。

そりゃそうですよね、子供を育てるには餌が無いと出来ません。
昔は食うや食わずでも姉妹が多くて貧乏暮らしをさせている
親が大勢いましたが、今やそれは罪悪ですね。
昔も今も餌を沢山持って来る男がいないと子供は育てられません
もんね。

でもやっぱり美人は得だ。
引っ張りだこですもんね、昔は顔より心だと言ってブスを慰めて
いましたが最近はそんなセリフ聞きませんね。
そう言えば最近若い女性がみんな美人に見えます。
男は相変わらずですけどね。






昔、日本の空は汚れていた

令和6年2月13日(火)晴れ

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今日は午前10時にシルバー人材センターの
男性ヘルパーさんが来ました。
今日は浴室と換気扇をとても丁寧に時間を掛けて磨いて
くれました。
床掃除までは出来ないかなと思いましたが、
それもちゃんとやってくれました。
私はどことどことは指図しません。
全てお任せしています。

このヘルパーさんの良い所は出された茶菓は全て遠慮なく平らげてお持ち帰りもしてくれます。
赤かぶ漬けも賞味して貰い、美味しいと称賛されたので、
持ち帰りますかと聞きましたら、
ぜひにと仰るのでタッパ―に入れて差し上げました。
気持のいいヘルパーさんです。

今後月一でお願いしました。本部にも私から正式に月一で
お願いしますと申し出なければならないそうです。

薬のお陰だとは思いますが腰痛も無いので
そろそろ体操も復帰しようかと思う。
存分に朝寝しました。

午後から郵便局に振り込みに行きながらオペラシティのカフェに
行って読書しながらのんびり過ごしました。
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最近東京の空が毎日真っ青です。
真中辺に飛行機が飛んでいます。
それはとても良いことですが、産業が停滞している証かしらとも
思う。そうじゃないよね、技術が進んで空気を汚さないシステムになっているのでしょうね。

昔日本の(東京)空が汚れている頃は車で30分も走ると
頭が痛くなりました。
石原都知事が東京の空を産業界の反対を押し切って綺麗にして
くれてから頭痛から解放された記憶があります。

韓国人が日本に来ると空気が綺麗なんで驚いたと言う
記事を読みましたが、
韓国や中国は今でも空気が汚いのでしょうね。
それだけ産業が活発とも言えるかな。
出かけ
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今夜の夕食、残り物のカレー、海鮮キムチ(イイダコ、海老入り)
サラダ(茎ブロッコリー、トマト、海老)ビール

今日の歩数は2756歩



我が人生に悔いなし


1966,29歳房総

昭和41年房総



人間は死ぬ間際に一言いい残すようだ。
ありがとうとかお世話になったとか。
恨みつらみとか。
私の旦那も死ぬ前まだ歩ける時になにか言いたいような
素ぶりだった。

しかし私達夫婦は50代終わり頃から家庭内離婚状態だった。
それは私だけが心に秘めていたことで旦那に宣言したことはない。
死ぬ前に恨みつらみを言われたら後に残された私は尋常な精神ではいられないと思ったのですっと避けていた。
何を言いたかったのだろうかと時々思う。
多分ありがとうではないと思う。

私は最近しきりに思う、
私はなんと言い残すだろう。
最近思うことは我が人生に悔いは無いと断言出来る事だ。
生々しい頃は悔いや恨みつらみが沢山あったような気がするが、
今となっては何もかも忘れていい事だけしか思い出せない。

私の生まれ時の皆さんは皆同じだったと思うけど、
皆一様に貧しかった。
しかし皆貧しかったので引け目は感じなかった。
明日を信じて必死で頑張った。

私も昭和35年に仕事を求めて上京してきた、
思えば高度成長の兆しは昭和36年頃からだった。
なぜ36年とはっきり覚えているかと言えば高校の同窓生が
1年浪人して国立大学に入学したが、
順調にいけば昭和35年に卒業だけど其の年は就職難だったが、
36年は企業から求人が殺到して教授が振り分けるのに
苦労していたそうです。
彼は日立製作所に入社してかなり出世して定年後1年以内で
年金も貰わずに病没しました。
同窓会のお世話を長年やってくれていました。

その頃はまだ私達底辺には高度成長の波は到達していませんでしたが、必死で働きました。
まるで移民一世です。貧しい国から移民した者は二世三世で上層に行けるように必死で子供を教育しました。
私は長いこと金銭破綻者の旦那を恨んで
そのしりぬぐいに必死でした。

でも最近はそんな辛かったことは彼方に行って、旦那がいたから
良い子が生まれ、旦那と結婚したから東京で浮かび上がれたのだと思い至りました。

甲斐性のない男と結婚していたらどうでしょうか、
いくら私が頑張ってもここまでは来れなかったと思う。
二人の子供を必死で教育したから子供達の現在がある、
現在子供達はかなり上層に属しています。
二世にして上層階級に登れました。

只言える事は私自身何事も諦めないで
必死で挑戦して頑張りました。
持って生まれた才能のない物にも一応挑戦しましたが、
駄目でしたね。
カラオケとかダンスとか水泳とか、

今!しみじみと幸せを噛み締めています。
一年の終わりに思う事!


トラウマ、奢り、奢られ、割り勘、各自払い!


令和5年11月7日(火)風雨強し

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体操ライン

と言うわけで今朝の体操は休み、
二度寝を試みましたが、もう顔も洗ったし眠れませんでした。

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このジャムマズイと思ったら、
梅焼酎を絞った滓で作ったジャムでした。

今日は午後からペースメーカーの定期点検なので
六本木に行きます。

気になっていたことを書いてみようと思う。
私は明治生まれの厳しい父に育てられ、トラウマを沢山抱えて
人生を生きて来た。
その中で一番私の心を犯し、トラウマになっていることを書く。

父は私には理解出来ない変な思想を持っていた、父のいう事を真剣に聞いて居なかったけど、家計についての父の見解はとても
理解出来なかった。

私の育った炭鉱町は各地からの寄せ集めで多士済々の人々が
かなり自由に暮らしていました。
町の人口の6割が炭坑関係者でした。

炭坑の給料日は「受け銭日」と言って昼間炭坑で働いている夫達に
代わり妻が経理の窓口に長蛇の列を作り受け取っていました。
従って家計は妻が独占していました。

ところが父は家計を母に渡しませんでした。
毎朝必要最低限の金を渡していました。
だから予告なしの集金があると母は「主人から貰っておきますので明日来てください」と言っていました。

その家計金の中には子供の小遣いも入っていたんですが、
子供が小中の時は毎日学校から帰ると10円位貰って近所の店で
買い食いするのが楽しみでした。

だから中学までは何の痛痒も感じて居ませんでしたが、
私は長女だったので父も理解していなかったと思いますが高校生になれば一定額の小遣いを渡すべきだと理解していなかったと思う。

私は人好きで友達もすぐに出来る質でしたが、小遣いを1銭も持って居ませんでしたので友達付き合いが出来ません。
幸い当時は貴重だった図書館が高校と武雄町にありましたので
下校するとそのどちらかに籠り読書に耽りました。

ある時、学友と一緒の時に回転焼き(今川焼)屋に誘われました。
私は正直にお金持ってないから行かないと固辞しました。
しかし友は驕るから行こうよと強引に連れ込まれました。

奢って貰うとさすが饒舌な私も無口になります。
黙って食べているとまるで砂を噛むような気持になりました。
その気持ちはいまだに鮮明です。
それ以来私は絶対に奢って貰う事は拒絶するようになりました。

現代人はどうしてアルバイトしなかったんだと思うでしょうが、
当時田舎で学生がアルバイトするなんて思想はありませんでした。

その他、外泊は例え隣でも許されませんでした、女の子が外泊なんてとんでも無いと言っていました、友達が泊まるのは許されましたが、こんな親父の居る家に友を呼ぶ気はしませんでした。

外泊と言えば最後の夏休みにキャンプに行こうと誘われました。
キャンプなんて生まれて一度も行った事ない、どうしても行きたかったけどやっぱり許されませんでした。
だからキャンプに拘るのはこの時以来ですね。

母が一番やりにくかったと思いますが、
母は一言も愚痴を言いませんでした。
子供に自由におもちゃや服等を買ってやることも出来ない、
さぞつらかったと思いますけど一度も愚痴を聞いたことが
ありません。

叔父(母の弟)が言っていましたが、ねぇさんは明るい性格だったが義兄(父)と結婚してから性格が暗くなったような気がすると
言っていました。

私の想像ですが母は所謂傷物でした。
傷物を貰って貰ったと言う負い目があったんだと思う。
その傷については長くなるので割愛する。

父は豪語していました、
必要な物は何でも買ってやるから「言え」と
しかし私は父にお願いするのが嫌でした。
高校に入ったら確か学費が400円、通学費が250円位でしたが、
其の学費も毎月言わないとくれません。一度学費を滞納したことがあります、担任が人気のない所によんで「経理から何月分が滞納していると言ってきたが、そんなに苦しいのか、、、」と
言われました。

「明日収めます」と言って父から貰い納入したことがあります。
普通学費の居る子供がいればその月のうちに前もって渡すものだと思うのですが、父はお願いしないとくれませんでした。

卒業後弟が入れ替わりに同じ高校に入りましたが、
ある時弟に言われました。
普通兄姉がいる下の者は学校で必要な物はすでに買ってあるもんなので買わずに済むのに「ねぇさんは、必要な物も買ってなかったんだね」と言われました。

弟から小遣い呉れない件で聞いたことはありませんので弟は優秀で父も一目置いていたのでこの件は解決していたのでしょうね。

社会に出てからは父とは精神的に断絶しましたが、
やはり傷ついた心はトラウマになっています。
奢られるのは断然嫌ですね、尤も奢るのも嫌ですけどね、
だから子供達から奢られるのも数年前までは気持ちが
落ち着きませんでしたが、最近は平気になりました。
幸い子供達も経済的には平均より上を行っていますのでね、
平気で奢って貰ってますよ。

最近時々思います。
私の子育てはこれで良かったんだろうか、
子供本人たちはどう思っているんだろうと、
先だって旅行した時に娘にそんな話をしましたが、
娘は饒舌じゃないのでその件については何も語りません。
まっ良かったってことにしとこう。
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徒然なか~


令和5年10月31日(火)曇り

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 natuinn
asa

今朝はいつもの5時に枕元の時計も携帯も鳴らなかった、
と言うより聞こえなかったのかもしれない。
いつも家を出る時間に飛び起きて5分で支度して
飛び出した。
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皆勤ならず!

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今朝の朝食 昨日買った味噌パン 味噌の味しない
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暫く雌花は咲いて居なかったのでもう終章を自覚しているんだなと感心していましたが、
今朝は2個咲いていました、さて無事に成長するでしょうか。
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今日のお昼、昨日三島で買ったメロンパン
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綿花の収穫、一部
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今日は冬布団を出す、
それから扇風機を仕舞い、ストーブを出した。
ちょっと眠いようなかったるいような気分になったので
ベッドに入ったが眠れなくて起きてパソコンに向かう。

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今夜の夕食、うな重、アサリとワカメの味噌汁、
ゴーヤの味噌炒め、ビール。
昨日三島で食べたうな重が食べきれなかったので半分持ち帰った。

徒然なか~(とぜんかな~)とは田舎の子供がすることが無くて
つまんないと言う時呟く方言です。
しかし徒然とは、つれづれと言う言葉で由緒ある言葉です。
小学生の時担任の先生がこれは由緒ある言葉だから自慢して
いいんだよと言われました。

今日の歩数は4377歩







プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

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