おてんば84歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

私の思い

金持ちになる秘伝を伝授しましょう(追記あり)


令和3年9月20日(月)晴れ富士山見える

一、十、百、千、万、億、兆、京、垓、杼、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数

私の旦那はタフで働き者で仕事には妥協しませんでした。
それが私が旦那として選んだ性格でした。
この男と結婚したら生活には困らないだろうと打算でした。
しかし真逆でした。

生粋の江戸っ子でもないのに「宵越しの金は使わない」男でした。
よく働きますがおよそ貯金と言うものをする気は皆無でした。
だから買い物はすべて月賦でした。
当時昭和40年代丸井、緑屋、丸興etc、
新宿だけでも沢山ありましたね、月賦屋。

反対に私は買い物は溜めてから買う主義で常に老後が心配で貯金に励みたかった。唯一車と家はローンを組みましたけどね。
常に先を見ながら人生を歩みました。
今日より明日と!

しかし当時女は男の後から黙って従うのが妻の務めと押し付けられていましたから、葛藤していました。
家庭内離婚状態になったのは我が家が破産してから
強硬に私の理論で人生を歩むことにしたからでした。

常に旦那は面白くなかったんです。
いつもお前は俺の上を行くと言って怒っていましたが、
旦那の理論で人生を歩むと老後は橋の下だと肝に銘じました。

どの年代だったでしょうか、多分40代初めの頃に義兄が言い出して義父の故郷福島の郡山に行こうと誘われました。
義兄一家5人、我が家4人で行きました。
郡山の本家は農家で兄弟が大勢いました。

義父(離婚後戦死)は戦前歯科技工所を経営して裕福だったので
実家や自分の兄弟姉妹に援助していたらしいですが、旦那が赤ちゃんの時に離婚して当時義母側でしたので行き来はありませんでした。
(後記:義父の弟達、甥達が歯科技工所を経営したり講師をしていましたが、それらはすべて義父の元で修行したおかげでした)

郡山では本家の墓をお参りしましたが、大きな墓地には義父の名前は刻まれていませんでした。
後添えがちゃんと供養しているのだろうかと気になりました。
その時結婚して子供が出来たら離婚してはならないと思い知りました。老後不幸になると思いました。

義父の一番下の妹が歓迎してくれました。
製パン業、菓子業、不動産賃貸業を営み裕な暮らしでした。
叔母の旦那さんはもともと和菓子屋さんでしたが、
戦後すぐに学校給食用のパンを製造して先駆者として一手に販路を広げ財を成したそうです、知恵を働かせよく働いたと言っていました。

叔母は私を呼んで金持ちになる方法を伝授すると言って
秘伝を伝授されました。
義姉も一緒だったのに私だけにこっそり伝授してくれました。

甥(旦那)の性格を見抜いてその嫁(私)が苦労しているだろうと  慮ったんだと思います。
これは他の誰にも漏らしてはいけない黙って実行する事と
言われました。
私は素直に従いました。

出社してまず机から入金伝票を出して以下の数字を書きました。
終いには暗記して書けるようになりました。
入金伝票は何十冊になったでしょうかね、
多分商売閉業するまで続けたと思います。
あの伝票の束も捨てたはずはないので
どこかに仕舞っていると思います。
誰にも漏らしてはいけないと言われていましたし、
忘れていましたが、昨日不意に思い出しました。

もう漏らしても影響はないだろう、経済的に困っている方がいれば 伝授してもいいだろうと思いました。
信じる者は救われる!

一、十、百、千、万、億、兆、京、垓、杼、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数

一(いち) 十(じゅう)百(ひゃく)千(せん)万(まん)億(おく) 兆(ちょう) 京(けい、きょう) 垓(がい) 杼(じょ)穣(じょう) 溝(こう) 澗(かん)正(せい) 載(さい)極(ごく) 恒河沙(ごうがしゃ)阿僧祇(あそうぎ)那由他(なゆた)不可思議(ふかしぎ) 無量大数(むりょうたいすう)

入金伝票②





私は嫌だな!


産経
私がどんな邪な事やさもしいことを考えているか
知られたくないな。
墓場まで持って行く。
皆さんはどうですか!



死にたい人の気持ちが判らない!


令和3年9月13日(月)曇り

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うっすらと


今日は12時から美容院に行く、
今回はそんなにざんばら髪ではなかったが、
入院に備えてさっぱりしとこうと思って、
14000円程以前より少し高い

8月で閉店した店でお願いしていたおじさん美容師が幡ヶ谷で働いているとお知らせがあったので行きました。
雇われているのではなくて面貸しシステムで働いているそうです。
本当はこの機会に独立しようと思い物件を探したそうですが、
大規模店舗は沢山あるけど小規模店舗はあまりないそうです。
そう言えば以前の店舗の家賃は月80万だったそうです。
これでよくやって行けますね。


午後からいよいよ片づけに入りました。
まず紙袋の整理と、パソコン周りの書類を一つ一つ見て処分しました。まだまだ道半ばです。

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紙袋の山
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結局大中小と分類して元に戻した、
そのうちに又ごちゃごちゃになるだろうね
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その後ここを片付け半ば

夕食前に散歩に出る、
しかし今日はズボンを穿いていないのでパンテイに着けていたら
正確にカウントしていませんでした。
携帯では3416歩、万歩計では1719歩
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都庁舎がライトアップされていました。
このライトアップは「自殺防止!東京キャンペーン」の一環で、
点灯色のオレンジ、みどり、ピンク、青の4色は
いのち支えるロゴマーク に由来します。
点灯は、自殺予防週間である16日まで。
都内3か所で実施されています。

ところで私は84年生きてきましたが、ただの一度も死にたいと思ったことはございませんね、普通だったら死んだほうがましだと思える境遇になったこともありますが、何とか打開の道を切り開いてきました。努力の徒でございますよ。

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昼食は水道道路迄出てモスバーガーを食した。
画像なし
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今夜の夕食、縞ホッケ、茗荷とベーコンの炒め、これが旨いのなんのって、ご飯に乗っけて食べると箸が止まりません、
昆布とカツオ節で出した出汁で茄子と玉葱と茗荷の味噌汁、胡瓜漬け、ビール


「働ける時に働いておく」


令和3年9月12日(日)曇り

今日は心臓さんも訪れませんでしたので気になっていたことを
やりました。
まず鉢物の植え替えです。
紫陽花と葉物の鉢が小さいので植え替えなきゃと思いながら
のびのびになっていました。
今日はどんよりと涼しいので取り掛かりました。
土は大きな盥に古土を入れて石灰を入れてかなり月日が経っていますのでもういいでしょう。
膝曲げがきついので楽な作業ではありませんが
何とかやり遂げましたよ。

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紫陽花も
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花材だったのが花瓶の中で根を出したので植えたら
両方共緑だったけど赤葉になりました
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カーネーションも花期が終ったら切り戻しして肥料をやっていたら
何度も咲きます。又蕾が沢山でています、これで3,4度目です。

それからパソコン部屋に取り出したままになっていた書類も
整理しました。
まだ勉強道具を入れる場所は確保できていません。
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この引き出しは大工さんに作って貰った特製です
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この中の物を片付けて勉強の資料を入れようと思う
キャスター付きだから奥に仕舞えます。

それからシャツを3枚アイロン掛けしました、
何しろお尻を床に附けてやる作業は骨です。

息子が来ましたので靴を履かせてみましたが合いませんでした。
息子の足は27㎝。残念!

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健康飲料も又買って来てくれました。
ありがとう。
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今日のお昼、残り物
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今夜の夕食、鯛の刺身、ポテサラ、トマト、ビール
胡瓜の漬け物、昨夜8本も漬けました

夕食前に散歩に行く、
散歩から帰宅したら娘が来ていた。
買い物がてら来たらしい。
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ナイヤガラの滝の裏
今日の歩数は4122歩

何をやっても疲れます。
この年で収入を得なきゃなんない身分でなくて幸せです、
壮年時代一生懸命働きましたのでこの身分を享受しています。


昔義母が嘆いて発した言葉が心に残り座右の銘としています。
「働ける時に働いておく」
旦那が借金まみれで借金取りに追われている時
義母が嘆いて叫びました。
「ああ、私が働けるものなら働いて助(すけ)てやるのに」と
当時義母は80歳頃でした。

私は若い人が仕事が忙しいと嘆いていると必ず、言います。
そのうちに働きたくても働けない時が来るから働ける時に働いて
おきなさい。と



シニアナビ過去記事(694)「見れば判る」


 [694] 「見れば判る」 2008.8.26  22:59:09   
20/8/26(火)小雨、

694_picture
これ、なんだと思いますか。
(後記:後程でてきます)


私は仕事は自転車で走り回っている。
何しろケアマネの鞄は重くてこまめに歩かなくてはならず
重い鞄が老骨に堪えるのよ。

雨の日はやむを得ず電車バスにする。
今日も一日雨の予想だったから電車にした。

新宿で私鉄から山手線に乗り換えた。
新宿の駅構内は広くて上り下りが多く、
混雑して朝のラッシュ時はそりゃ大変よ~~

満員電車に滑り込み、
端の方の網棚に重い鞄をどっこいしょと乗せた。
その時「ふ~~っ」と吐息が漏れたのね、別にため息をついたわけではないのよ。

そうしたら端にいた「きれいなおねぇさん」がすっくと立って
「どうぞ」と言うの。

「いえいえ、大丈夫ですよ」と固くご辞退しましたよ。
でもおねぇさんの意志は固く私はご厚意に甘えました。

生まれて初めての経験です。
そりゃ、私は腰痛も膝痛もありますから
(その為に一週間に一度 鍼、マッサージで身体の手入れをしていますよ)
たとえ一駅でも座りたいです、その為には努力と工夫を凝らしては いますが、人様を立たせてまでは座りたいと思ったことはございません。

嬉しかったけどね、そのおねぇさんは私が降りる時もまだ乗って
いましたから、又お礼を言って下車しましたが、
何だか落ち着けませんでした。

年甲斐もなく現役を張っていますが、

「見れば、判るのねぇ」


娘が更新しました。
http:// mojifu.blog69.fc2.com/


プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

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