おてんば85歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

旅(海外)

今日のチベットは明日の日本


 令和4年6月18日(土)曇り


8-9
10-11
12-13

体操会の会長さんはゆとりのある功成り名遂げた典型的な方、
世話好きで人脈が広い。
先日支援しているチベット人歌手が
「私が日本に住む理由」BSテレビ東京に出るので
是非見てくれとのお話がありました。

バイマ―ヤンジンさんは日本で歌手活動や講演会で稼いだお金で
チベットに何校も小学校を建てているそうです。
会長さんはバイヤーマンジンさんを数十年前から支援しているそうです。

最近はコロナのせいで演奏会や講演会に呼ばれなくなった
そうなので最近ライオンズクラブの会合に呼んだそうです。
しかし参席者達は興味がなくざわついて歌も話も聞いてくれる方
皆無だったらしくて、彼はヤンジンさんに申し訳ないことをしたと後悔しています。

テレビを観て感じることは人それぞれだと思います。
頑張り屋さんだな、人の縁に恵まれている方だな、
誠実な日本人男性に巡り合ってよかったね、etc、etc。
しかし私はみました。

テレビではその件については一言も言及されませんでしたが
支那に占領された国の惨めさをまざまざとみました。

一世紀程前に日本は台湾、朝鮮を植民地化して朝鮮人を奴隷の
ような地位に落としたと、いまだに責められていますが、
支那人と違うところは日本人は現地教育に力を入れ福利厚生を
内地並みに、社会資源に内地以上にお金をつぎ込んで、
つまり植民地経営では赤字だったのです。


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1992年9月12日にラクダでタクラマカン砂漠を横断する旅に参加して、2年後に私が発案して今度は4WDで砂漠を一周する旅を
企画しました、6人集めたら実施しますと旅行会社に言われ、
必死で7人集めて催行しました。
私も若かった50代前半の頃です。
IMG_20220619_0003
赤線が行程、砂漠の真ん中の集落はまるで異世界でした、
IMG_20220619_0003

①
和平飯店に泊まりOLD JAZZ BARでジャズを聴きたかったので
上海回りにして頂きました。
「OLD JAZZ BAR」という名前の通り、演奏者も熟年の方揃い。
平均年齢はなんと80歳だそう。年齢を感じさせない力強い演奏です。


私は1992年9月12日~10月17日までの35日間と
1994年8月20日~9月10日までの20日間、
合計55日間をウイグルで過ごしました。
そこで今に至る兆候をまざまざとみました。
2
第1回目のラクダでタクラマカン横断の旅、
バブル真っ最中で円がとても強い時代、日本人が円を片手に世界を風切って闊歩していた時代です、この時は総勢60名、人民解放軍が車両、装備、人員を提供して(国に金がないから軍は軍で稼げと言う方針だった)大掛かりでした。


ウイグル人は人がいいのです、
日本人とどっこいどっこいでしょうね。
支那人はそこへ巧みに入り込みます。
最初は腰を低くしてへりくだって入り込みます。
支那人は人民弾と言われるくらい人民が余ってますから、
風穴を見付けたらどっと入り込みます

そのうちに50%を越えたら本性を現します。
さすが人の好いウイグル人も我慢の限界が来ます。
現地人と支那人の間に諍いが生じます。
するとそこへ治安鎮圧と称して支那軍が入り込み
原住民を鎮圧します。
それが支那のやり口です。
いま日本はその入り口にあります。

お人良しでは強い民族に巻かれてしまいます。
そのうちに日本人もウイグル人と同じように下流民になります。
支那人は大陸で絶えず生存を掛けた戦をして来た民族です。
海に守られて穏やかに人と争わないのが良き習俗としてきた
大和民族が支那人に敵うわけがないでしょう。
支那人だけはこれ以上日本に入れてはなりません。
断じて!!

チベット人バイマ―ヤンジンさん
「私が日本に住む理由」BSテレビ東京、6月15日放送




心臓不調


令和3年3月22日(月)どんより

今日は午後から久しぶりの園芸を致しました。
古い土に石灰を入れて再生しておりましたが、お彼岸も過ぎたので
花材だった枝に根が出たので植木鉢に植えました。
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花材だった綿花も種を蒔こうかと思いましたが、ネットでみると発芽適温が20~25度と高いので5月上・中旬が良いとありましたので
今日は止めときました。
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綿花栽培は以前したことがあります。
その時の種は昔タクラマカン砂漠のオアシスのチャリクリクで
宿泊して綿花畑から頂いて来たものです。
チャリクリクは綿花栽培がさかんでした。

鄙びた通りを歩くと妙な音が聞こえてきました。
それは綿をほぐすために台の上に乗せた綿花を棒で叩いている
音でした。
そう言えば思い出しましたが、子供の頃友達の家が
古綿の打ち直し屋さんで遊びに行くと物珍しく見ておりました。
綿埃がすごかった、
昭和20年代でも機械化していましたよ。


タクラマカン砂漠は2回行きました、
1回目は敦煌~チャリクリクまで山岳地帯をラクダで行きました。
チャリクリクから人民解放軍の車でコルラ、ウルムチまで行きました。そこから希望者だけで10日間カシュガルまで飛行機で
いきました。
地図2
クリックすると大きくなります

2回目は2年後にランドクルーザーで一周しました、
赤丸印が宿泊したオアシスです。

お誘いチラシ

2回目は私が発案して旅行社にお願いしましたが、客は自分で集めること(後記:最低6名、結局7名参加)になりました、これが一番大変で、賛同者の方が印刷関係の仕事をしていましたのでチラシを作ってくれました、当時パソコンのパの字も知らない頃です。このチラシをあちこち貼りましたが、効果はありませんでした、何しろ20日も仕事休める人はまれでしたから、

今日は一日中心臓が不調でした。
夕食にうどんが食べたくなりましたので買い物がてら散歩に行きました。
なんとか無事にやり遂げました。

隣のリフォーム工事がほぼ終わり家人がいましたので見せて貰い
ワインを御馳走になりましたら、
床暖のせいか酔いが回り又心臓がおかしくなり、
早々にお暇しました。
だから夕食は支度しません。

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今日の歩数4226歩 2,9㌔

シニアナビ過去記事(462)「帰国しました」


[462] 帰国しました 2007.6.13  22:11:30   
19/6/13(水)晴れ富士山見える

無事に帰って来ました。
なんだか疲れました(マッサージのし過ぎです)

成田からのバスの中で義母の病院から電話がありまして
もしかしてと心配しましたが、本人は無事でしたが、
帰るなり2度も病院に行くはめになりました。
男(息子・旦那)は何の役にも立ちませんね。

落ち着いたら、お馬鹿な旅日記を書きますので
ご覧になって下さい。


シニアナビ過去記事(461)「台北旅行」

[461] 台北旅行 2007.6.9  23:22:08   
19/6/9(土)晴れ、曇り、一時小雨


461_picture
「さんご」は10歳だ、どうこの安心しきった寝顔


明日から3泊で台北に旅行する。
今回も娘のプレゼント旅行だ。

娘はツアー観光とかがあまり好きで無い、
今回も夜店などのグルメ(B級)やエステやマッサージ三昧の
癒しの旅。

老いては子に従って、黙って後から付いて行こうと思うわけ。
と言いながら自己主張の強い私の事どうなるかは
保証の限りではない。

平成5年の12月末に台湾1週の旅をした事があるが、
格安の旅でも無いのにガイドのカモにされて、
殆ど土産屋巡りのようだった、

少林寺拳法見物だと言って 怪しげな漢方薬屋に閉じこめられたり、
偽ブランド店などにも連れ込まれた。

許せないのは、最終日の「故宮博物院」見物。
9時40分~10時55分の駆け足見物、
さぁさぁさぁと急がせるので飛行機の時間が無いのかと思ったら、
なんとそれから4店も土産物屋に連れて行かれた。

同行者は10人で皆ユニークな人達ばかりだったので、
こんなひどい目にあって黙っているような「玉」では無かった。
帰国してからそれぞれ苦情を申し入れたわ。

私などレポート用紙2枚書いたし、
わざわざ窓口まで苦情を言いに行った人も居た。

それかあらぬか、その会社(地球の旅)はまもなく倒産したけど
私達のせいではないよね。
ちょっと悪かったかなとは思ったけど。

それ以来中国人関係の旅はツアーでは行きたくなくなったし、
「故宮博物院」をもう一度1日掛けて見物したいなぁと
思い続けていたわ。

そんなわけで「故宮博物院」は外せない。
市内観光はパスして、博物院見物2時間のツアーと
「九ふん」(チョウフン)「十ふん」の一日観光はするが
後はぶらぶら街歩きする。

予報によると天気は曇りと雨らしい、
まっ暑いらしいからそれも良いかと。

行って来ま~す。


シニアナビ過去記事(405)「ただいま」


 [405] ただいま 2007.2.17  18:13:38   
19/2/17(土)晴れ

成田着12時55分(ジャスト4時間のフライト)無事に帰国しました。
昨年も風邪を引いて帰国しましたが、今回も風邪気味です。

昨日朝喉が痛くなり
今日の夜中は痰と鼻汁がよく切れなくて熟睡出来ませんでした。
今朝はついに頭痛がしました。
3時半起床です。
真っ暗な海の中を大干潮ですので船が停泊しているリーフの縁まで歩きます。
(後記:カオハガン行でこれが辛いのよね、大抵大干潮で朝日が昇る前にマクタン島に向かいます)


久しぶりに湯船に浸かり
あぁ「日本人でよかった」と何時もの事ながらしみじみ思いました。


プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

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