おてんば84歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

今さら聞けない皇室研究会

「今さら聞けない皇室研究会」春の遠足 福島⑥古関祐而記念館&信夫山


令和3年5月5日(水)子供の日 曇り後雨

古関祐而記念館&信夫山 暁に祈る歌碑の前で合唱

蕎麦の昼食を食べてから、古関祐而記念館に参りました。
駅前で結構詳しい展示をみましたので改めて述べることもありませんが、過日ご紹介した古関祐而のスケッチ画集とヒット曲を網羅しているCDを買ったことがよかったかな、
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記念館で唯一撮った写真

その後信夫山に向かい、護国神社に参拝しました
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結構な人が参拝しておりました
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黒沼神社 こちらはあまり人影がない

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神様が集まっているようでした

その後信夫山の護国神社に参拝して寒風吹きすさぶ山腹にある
「暁に祈る」歌碑の前で皆さんと声を合わせて合唱しました。
信夫山歌碑 - コピー
歌碑の張り付けられている岩山、足場も悪いです



その後福島駅から帰京
皆さん異口同音に「ああ、楽しかった」と言って
満足顔で帰宅の途につきました。
満足満足!


「今さら聞けない皇室研究会」春の遠足 福島⑤古関祐而三昧

令和3年5月5日(水)子供の日 曇り

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チサン郡山ホテルを出て一路福島へ
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福島の地勢は勉強不足で定かではありませんが、
この辺り盆地ですかね、四方は山々

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福島駅西口到着


東口の古関祐而ストリート方面に向かう
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今日は午前中、福島の誇る古関祐而三昧を致しました。
福島市はおらが古関祐而を大々的に売り込んでいます。
興奮しています。



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東口広場
祐而業績 1
戦時中に沢山の軍歌名曲を作曲されたことは無きものに!
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古関ロード

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マンホールにも
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ここが古関祐而の実家があった場所
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今は二つのビルが建っている
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日銀支店もある由緒ある通り

駅周辺には古関祐而の業績をいろいろ並べ、
駅東口は古関祐而の実家があった街一番の繁華街だった通りを
古関祐而ストリートとして整備しています。

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ストリートのところどころにミュージックボックスが設置してある
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しかし軍歌は疎まれています、1曲ありましたが、歌手が歌いません
歌詞を知らせたくないのでしょうね

駅に設置してあるモニュメントからは正時に古関メロディが流れるし、ストリートのところどころに古関メロディが聴けるオルゴールも設置されています。
でもねぇ、古関は軍歌も名曲を沢山作曲しているんですが、
全然なかったことにされています。
これって歴史の偏向、捏造そのものではありませんか。
残念也!!、

ストリートの街並みの商業施設で古関祐而展をやっておりました。
記念館は撮影禁止ですが、ここは撮り放題でした。

ストリートを散策してから古関祐而記念館に行きました。
その前に昼食で蕎麦屋に行きました。

私、笑っちゃったんですが、
村田さんは蕎麦好きで一緒に歩くと必ず蕎麦屋に連れ込まれます。
実は私は嫌いではありませんが、好きでもありません。
仕方なく食べています。
それも村田さんはざる蕎麦だけ、
私的には実に貧しい食事です。
私は大抵天ぷらうどんとかなべ焼きうどんの高カロリー食です。

この会は村田さんのお陰ですから誰も文句を言わずに
食べる筈です。
バスを降りる時「出されたものを黙ってたべる!」と宣いました。
誰も文句は言いませんよ!!DSC00741
老舗のようです
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27人の参加ですから前もって準備がしてありました。
なんと大盤振る舞い天ぷらがついておりましたよ。
御馳走様でした。





「今さら聞けない皇室研究会」春の遠足 福島④(追動画あり)


令和3年5月4日(火)みどりの日
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翁島旧駅舎(緑の村)&小山田忠霊堂、陸軍墓地

次は緑の村(翁島駅旧駅舎)に行きました。

ここは桜の名所らしくて牧場などがある広大な施設らしいですが、
村田さんが案内したかったのは昭和天皇が新婚旅行で滞在なさった天鏡閣の最寄り駅だった旧翁島駅が移築されている施設なんです。
もともと粗末な田舎の駅舎だったのを皇太子がいらっしゃると言うことで改築したらしいです。
野口英世も帰朝凱旋の時に利用したそうです。

旧駅舎の裏の高台に列車が展示してありますが、
これが古関祐而作曲で登場した高原列車だそうです。

猪苗代緑の村は、福島県猪苗代町にあるテーマパーク。
1989年(平成元年)に開園し、猪苗代町が運営している。
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JR磐越西線翁島駅の旧駅舎(移築保存)
駅舎亭 - JR磐越西線翁島駅の旧駅舎(移築保存)を利用したそば屋
翁島駅
現在の無味乾燥な翁島駅舎
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後ろにあるのが高原列車
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次に小山田忠霊堂、陸軍墓地に向かいました。


小田山忠霊堂(日清戦争から第二次世界大戦に至るまでの
戦没者の分骨と遺髪が安置されている)
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案内板
この忠霊堂のあるところは 元若松歩兵第六十五連隊 および元若松歩兵第二十九連隊がかつて陸軍墓地として管理していたところであります。忠霊堂内には 日清戦争から大東亜戦争までの各戦役における両連隊の戦没者をはじめ、これら連隊以外の本県出身陸海軍人などの戦没者 あわせて一万数千名の分骨 ご遺髪などが 安置されております

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ガダルカナル 思い出の塔
碑文
はるかなる南、ソロモン海のガダルカナルは、太平洋戦争の決戦場となった島である。
陸軍第二師団は、日本軍主力として、この島で勇敢に戦った。
しかし連合軍の抵抗、困難な地形、弾薬と食料の欠乏、熱帯病に
悩まされ、多くの犠牲者を出した。痛恨きまわりない死闘の島で
あった。
われら生存戦友は、南冥の地に埋もれし戦友のことが忘れられず、昭和四十六年十月、遺族ならびに福島県民の支援を受け、遺骨収集を実現した。いま遺骨は会若松連隊を臨むこの丘に鎮まる。
ガダルカナルに散りし戦友よ、故山の土に安らかに眠り給え、
ここに世界の平和を祈りながら、現地より持つ帰りし石を置き、
想い出の塔を建つ。
ガダルカナル総攻撃三十周年の日にちなむ
昭和四十七年十月二十五日  旧第二師団福島県勇会

この時計は、ガダルカナルの戦場で、会津若松から第一線に出陣した歩兵第二十九連隊が、最後の突撃を決行した時刻をしめして
います。
昭和十七年十月二十四日深夜から総攻撃を開始し、死傷続出するも攻撃を続け、二十五日午前四時やや過ぎ、将兵は悲壮な決意のもと軍旗と共に帰らざる突撃をしました。

平成二十年四月二十日 ガ島忌実行委員会
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海ゆかばを捧げる


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苑内にある数々の慰霊碑
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染井吉野ではないような気がしますが桜が沢山植えてありました
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チサンホテルに投宿、18時30分より懇親会
席が分散しましたけど和やかな宴でした。


「今さら聞けない皇室研究会」春の遠足 福島③ 野口英世記念館

令和3年5月2日(日)曇り

野口英世記念館

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雨にけぶる猪苗代湖

天鏡閣を出てから猪苗代湖畔の野口英世記念館に参りました。
湖畔の傍らにある記念館の周りは飲食店土産物屋が軒を連ねて
います。
まず中食、村田さんは定番の蕎麦屋に入りましたので
私達はラーメンを食べさせる店に入りました。
福島とくればラーメンでしょ、

じいさんばあさんがよたよたと作りサービスしていたので、
期待はしていませんでしたが、ところがこれが旨かった。
麺も汁もチャーシューも旨いのです。
特にチャーシューが持ち帰りしたい位うまかった、
味も良いし、歯触りも旨い、
こんなうまいチャーシューは始めてかも、
ばあさんに「美味しかったです」と言いましたら、
「そうだろう店で煮ているからね」と言われました。
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超旨かった、これだけ食べるだけでももう一度行きたい
今度はチャーシュウメンね
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居室は一間しかない、
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厠 さすが寒冷地です、九州の農家の厠は家から離れた戸外にあります、豪農の立派な家には廊下の突き当り床の間の裏にありましたね、普段家人は使わなかったようだ
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上京する時柱に刻んだ決意の言葉
「志を得ざれば 再びこの地を踏まず」
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英世は身長153センチ、私より低い!
これでは医者として業績をあげなかったら
アメリカでは差別の対象にされたでしょうね、
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食後はすぐ傍の野口英世記念館に入館して英世の業績をつぶさに
見物しました。
英世は学校でも習ったし、あまりにも有名ですからね、
今さら新しいことは無いのですが、
思ったことは彼は貧しい農家に生まれたけどいろんな方々に支援、援助を受けて名を成したんですが、英世自身もおねだり上手だったんだと思いました。

伝記では奥さんのことはあまり語られないようですが、
アメリカ人の奥さんがいたんですね、
夫婦仲よくなかったのかな、英世は身長153センチだったそうですが、奥さんは巨漢の様です。
酒場で働いていた女性らしい、そしてスモーカーで大酒飲みで
英世を投げ飛ばすこともあったらしい、

野口英世の愛した女性 (noguchihideyo.net)




「今さら聞けない皇室研究会」春の遠足、福島②・天鏡閣


令和3年4月21日(水)快晴

天鏡閣の写真を追加します。

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門の前の老桜
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プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

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