おてんば83歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

村田春樹

村田春樹です 映画「日本独立」


去る28日、日比谷で映画「日本独立」を見てきたので雑感を少々。

面白くて血沸き肉躍る、ほどではないが、要はいかに現行憲法が
GHQに押し付けられたものか、を描いた映画で、
是非とも多くの日本人に見ていただきたいものだ。

映画にはしばしばマッカーサー元帥(以下マック)の執務室が登場した。この部屋は日比谷の第一生命ビルに保存されており、
この映画はそこでロケをしたことがわかる。

平成25年に封切られた「終戦のエンペラー」(トミー・リー・ジョーンズがマックに扮した)では事前に建物内外を詳細に撮影して、 
極端におどろおどろしくフレームアップしていた。
今回の作品は誇張なしでそのままロケしたようだ。

私はこの会社に長年勤めたので、建物や執務室が出てくるたびに少々胸が躍った。
映画にもたびたび出ていたが、マックの執務机には抽斗(引き出し)がない。
ある人がなぜ抽斗がないのか尋ねると。
マックは「軍人は常に即断即決である、余は翌日に持ち越さない。」と言って、感心させたそうである。

マックは兎に角芝居がかったことが大好きだったらしい。
昭和20年1月のルソン島リンガエン湾上陸の際の、あの膝まで没して歩いて上陸する有名な写真は、従軍カメラマンに何回も撮り直しさせたそうである。

実はあの執務机は第一生命ビルが接収される前、
同社の社長だった石坂泰三が使っていたものなのだ。
椅子も同じく。

映画でマックは例のコーンパイプを愛用していた。
しかし事実とは異なる。本当の彼はブライヤー(ある植物の根っこ、パイプの高級素材)の最高級品を好んでおり、兵隊に姿を見せるときのみ二等兵の使うコーンパイプをわざわざ使っていた。

マックの執務室つまり第一生命の社長室では歴史が刻まれてきた。戦時中、第一生命ビルは東部軍管区に接収されており、社長室の同じフロアにあった会長室は司令官田中静壹(せいいち)大将が使用していた。
田中大将は昭和20年8月14日夜の例のクーデター未遂(玉音録音盤奪取)事件を鎮圧した。その10日後24日にあの会長室で自決された。

私が入社した頃、本社のどこかに大将の揮毫が飾られていたと記憶している。この田中大将の自決については詳細を来年8月のご命日に書きたいと思う。

さてこのようにあのビルは大日本帝國の歴史を刻んできた。
昭和27年GHQから返還されて、あの部屋は執務机はどかされ、
最も格式の高い部屋として使われてきた。

卑小な話に転じて申し訳ないが、我が人生の歴史の節目も刻まれてきた。私は22歳で入社したがその日昭和48年4月1日、あの部屋で社長から辞令をもらったことをよく覚えている。35歳で営業所長として懸賞論文最優秀賞・営業成績最優秀賞に輝き、あの部屋で表彰状を貰いその足でハワイ招待旅行に行ったことも忘れられない。

さて映画に戻る。
劇中、吉田茂が川柳を詠んだ。
「新憲法棚の達磨も赤面し」
笑える。
この一句ですべてを物語っている。

また永井荷風の日記「断腸亭日乗」昭和二十二年五月三日に
「米人の作りし日本新憲法今日より實施の由。笑ふ可し」と
あることが、映画の中で紹介されていた。

嬉しくなって帰宅して久しぶりに「日乗」を繙いたが、
やはりその通りにあった。

この赤面ものを崇め奉り世界遺産にしろだの
ノーベル平和賞だの、まじめに言っている日本人が多い。
笑ふ可し、大笑ひすべし。

駄文最後までお読みいただきありがとうございます。
皆様良いお年をお迎えくださいませ。  
                      以上

「今さら聞けない皇室研究会」昭和天皇の御遺徳を学ぶ(動画)




長いですが、超面白いのでやすみやすみご視聴下さい。

「今さら聞けない皇室研究会」昭和天皇の御遺徳を学ぶ、
講師:村田春樹氏
令和2年12月17日



村田春樹です


この業界の人で帝国陸軍の今村均大将をご存じの方は多いと思う。
陸軍大学首席(恩賜の軍刀)。
大東亜戦争開戦時は軍司令官として蘭印作戦を指揮。
その猛攻撃にオランダ軍は敗退。

インドネシアを占領し、軍政を敷いた。
オランダ軍に拘禁されていたスカルノとハッタを解放し
インドネシア独立義勇軍(PETA)を組織した。

今村大将の善政はインドンネシアの親日感情として
いまだに残っている。
戦後自決に失敗して東京に移送され(時に59歳)戦犯裁判。
巣鴨で禁固10年。

ところが今村大将は部下とともにマヌス島で服役することを
申し出たのだ。
今村大将の申し出について、マッカーサーが「私は今村将軍が旧部下戦犯と共に服役する為、マヌス島行きを希望していると聞き、
日本に来て以来初めて真の武士道に触れた思いだった。
私はすぐに許可するよう命じた」と言ったとする説もある。

昭和25年3月から28年8月までマヌス島豪軍刑務所に服役したが、
刑務所の廃止に伴い、他の日本人受刑者とともに巣鴨に移管され、
29年1月に刑期満了で出所。

入獄中から執筆を開始し、
出獄4年後に『今村均回顧録』を完成させている。 

一方で、出所後は、東京の自宅の一隅に建てた謹慎小屋に
自らを幽閉し、戦争の責任を反省し、
軍人恩給だけの質素な生活を続ける傍ら回顧録を出版。

その印税は全て戦死者や戦犯刑死者の遺族の為に用いて、
元部下に対して今村は出来る限りの援助を施した。
それは戦時中、死地に赴かせる命令を部下に発せざるを得なかったことに対する贖罪の意識からの行動であり、
その行動につけこんで元部下を騙って無心をする者もいたが、
それに対しても今村は騙されていると承知しても敢えて拒みは
しなかったとする。

戦後生き残った将星の中でまさに亀鑑ともいうべき人であり、
私は心から尊敬している。

余談だがパレンバン攻略の空の神兵奥本實中尉は戦後、
戦死した部下の慰霊に後半生を捧げたそうである。
今村大将と奥本中尉、相通じるものがある。
接点があったのだろうか。

時は移って昭和43年6月15日、
東京市谷の私学会ホールで「全日本学生国防会議結成大会」が
開催された。
参加者500人、激励電報24通、予想だにしない大盛況だった。

同時刻に左翼が日比谷野音で集会を開催しており、
マスメディアは両方に取材攻勢をかけた。
カメラのフラッシュと満場の拍手の中、議長として壇上で獅子吼したのは早大国防部の森田必勝さんその人だった。

そして来賓として祝辞を述べたのは、
今村均大将と三島由紀夫先生だった。
今村均大将と、森田必勝さんがあいまみえていたとは!

この令和2年11月10日出版された「三島由紀夫と死んだ男—森田必勝の生涯」(犬塚潔著秀明大学出版会)でこの事実を知り、
何とも言えぬ感慨に襲われた。
82歳の老将軍と23歳の青年はなにを語ったのだろうか。

今村大将はこの3か月後に鬼籍に入る。
この大会が大将の愛国の熱情の、最後の発露の場所だった。
私は当時高校三年生。
「あとせめて二年早く生まれて早大生としてこの大会に参加したかった」としみじみ思う。

三島先生も森田さんも2年5か月後に鬼籍に入る。
意外に早く後を追ってきたお二人に、
泉下の大将はさぞ驚いたことだろう。
そして3人は何を語ったのだろうか。

今から50年前の今日、東京はときならぬ台風(野分)に襲われた。
新宿十二社のアパートの窓ガラスを激しい雨がたたいた。
それを凝視する森田さんの心境はどのようなものだったのだろうか。

「今日にかけてかねて誓ひしわが胸の思ひを知るは野分のみかは」                                                                                     森田必勝命辞世

                                                                                         以上

国立公文書館


令和2年11月20日(金)どんより

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今回村田さんの呼びかけで参集した5人です。
写す人もいます。

呼びかけは日本書紀の古い書写が展示されていると言うことでしたが、テーマは食でした、だから古文の中の食についての記述があるのを展示していました。

やはりこんな場所は一人で来なくてはゆっくり得心の行くまで立ち止まることは叶いませんね。


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竹橋の上でレクチャー受ける
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左が皇居の傍の紅葉、東京でこんなに赤いのは珍しい

展示を少々上げてみる
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私は芋粥に非常な好奇心を持ちました、出来る事なら
再現してみたいと思った、再現したグループがありましたが、
私一人では到底無理だと判りました。
幻の甘味料あまづら(甘葛)の再現実験

その後、旧近衛師団司令部庁舎傍まで行って村田さんから
「日本のいちばん長い日」についてのお話を聞きました。
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この建物は私が上京した昭和30年代後半に傍まで行った事がありますが、廃屋でした、窓は破れ全体がボロボロでした。
今は素晴らしく修復されています。


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お約束村田さんとの会食は蕎麦屋
冷やしうどんを食す

『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』は、半藤一利による日本のノンフィクション書籍。
1965年(昭和40年)の初版刊行時は文藝春秋新社から大宅壮一編のクレジットで発売され、1995年(平成7年)6月に文藝春秋から半藤名義で『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日 決定版』として再版された。 

昭和天皇や鈴木貫太郎内閣の閣僚たちが御前会議において日本の降伏を決定した1945年(昭和20年)8月14日の正午から宮城事件、
そして国民に対してラジオ(日本放送協会)の玉音放送を通じてポツダム宣言の受諾を知らせる8月15日正午までの24時間を描いている。 

これまで劇場用映画が2つ製作公開された。岡本喜八監督による1967年版(製作・配給東宝)と原田眞人監督による2015年版(製作・配給松竹)がある。 
現在の東京国立近代美術館工芸館。北の丸公園南端に立つ、煉瓦造で2階建八角塔屋付きの洋風建築。
もとは、近衛師団司令部として、北の丸の中央にあった建物。
国立近代美術館の分室として、日本の伝統工芸から現代工芸にいたる各種の工芸品を展示する。


「チャンネル桜」の討論番組「反日の現在2019・Part2」


チャンネル桜





村田さんが始めに発言します。





プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

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