おてんば84歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

同志、護国仲間

処女尊重風潮はいつ頃から廃れたか


令和3年10月18日(月)

結婚③

昨日同志と盛り上がった話題は
処女尊重の話から少子化問題まで繋がった。

私が高校卒業した頃から親は
私の貞操について特段の気を使い始めたような気がする。
当時女は結婚するまで純潔を保ち処女の身で結婚することが
女の条件だった。

処女を失った女は傷物と称されて商品価値が落ちるのであった。
現在では考えられない価値観である。
たった50数年前まであった価値観であった。
それが無くなったのはいつ頃からだろうか。

男性は自分が結婚した女性が果たして傷物ではないだろうかと
疑心暗鬼したものだ。
傷物の女性は処女の振りをする演技を演じたものだ。
処女膜再生術が密かに話題になっていた。

傷物女性は一生負い目を背負って暮らすことになった。
事実私の母は十代の頃家業で雇われていた若い従業員の子供を
宿し、その為に一家は引っ越しをして密かに産んで自分の弟として届を出されました。

その後、母は東京の親戚に預けられ4年間洋裁の勉強をして帰郷し
洋裁師として他所の土地(私の故郷炭鉱町)で洋裁店に住み込みで働きました。
それでも母の負い目は附いて回りました。

父は恋人が居ましたが、母親が早目に亡くなり、家事をする女手が必要と言うことで父親の命令で母と結婚させられました。
父親(祖父)の言い分は傷物だから辛くても我慢するだろうから
結婚しろと言うものでした、つまり女中代りです。
その家には気難しい義弟二人と義妹が居てただでさえ面倒な家庭だったのです。

因みに義母も少女時代に出産して弟として育てられました、
因みに義母は結婚して乳幼児だった子供二人を残して離婚して
います。
義母は一切話しませんでしたので詳細は判りません。

父は傷物を貰ったと言う悔しさを抱え、母は父に負い目を負い
その関係は一生つきまとっていたようです。
母の弟が言っていましたが「姉さんは明るい性格だったが義兄と結婚してから笑顔が消えた」と言っていました。
それほどまでに処女喪失は重大事件だったのです。

昨夜の話題で同志がこんな事を言いました。
少子化は小婚化の結果だし、
現在処女を尊重する風潮が廃れた結果、
責任の伴う結婚をしなくてもいつでもセックス出来る環境だから、
結婚しなくなったからだと、

小婚化は他にも理由はありますね。
一番の理由は経済問題でしょう。

ただ捌け口だけを求めるオスにはいい世の中になったわけです。
と言うことは男性の大半は自由にセックスしたいが為に結婚して
いたのでしょうかね、
女性には判りません。

なるほどね、
オスは常にメスを追いかける宿命に位置付けられているけど、
いつでもどこでも責任感なくセックス出来れば、
家庭を持って責任を持たされる結婚なんかする
馬鹿はいなくなるんですね。

少子化解決容易ではないな。
この意見に補足お願いします。



幸せな人生を過ごしている


 令和3年4月3日(土)晴れ

今日は一日充実していた。
午前横浜の眼科に行く。
同志の旦那様の眼科院に薬がなくなったので行く。
同志が車で連れて行ってくれ、
帰りにはうちの方まで送ってもらう。
お昼を食べにうちの近所のインド料理店
「アジアンパーム
ASIAN PALM 渋谷本町店に行きました。

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料理、ナン、デザート、飲み物、食べ放題で1100円です。
開店してから20年以上になりますが、当初から1000円でした。

ここは昔1週間に8回(夜も)行った事もある
お気に入りのレストランで、ランチはバイキング方式で
食べ放題です。
昔は喜んでおりましたが、年取ってからはバイキングは
食べきれないので最近はあまり行きませんが、
同志が喜んでうまいうまいと3皿分も食べました。
わざわざ横浜から来たいと言っています。

そこに3時頃までいまして、次は美味しいコーヒーが飲みたいと
御所望なのでジャムハウスに行きました。
ここはママがとても歓待してくれます。
ここでも5時くらいまでお喋りしました。

私は花の独居人ですから、
時間はいくらでも無駄にも有効にも使えます。
今日は一日楽しく過しました。
幸せな人生です。
今日の歩数4673歩



奥本さん2冊目の著書


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今日の産経新聞広告


 

越後路に真白き雪の峯仰ぐ


御隠居

白山賢隆(びゃくさんけんりゅう)信士 行年七十歳 
ご隠居さんの戒名でございます。
10日に葬儀を終え遺骨を無才宅に安置いたしました。
ご隠居が死出の旅路に迷わぬように、朝夕に祈りを捧げてやりたいと思っています。
我が家の宗旨は曹洞宗、導師は永平寺で修業を積んだ僧で、
小生が逝くときも導いてもらえると思っています。
 
あれこれと書くべきことが沢山あったように思いますが、
なぜやら文章になりません。
ただただ皆様からお寄せ頂いた哀悼の意に、心打たれているばかりです。ありがとうございました。

よもぎねこ様には、コメント欄にてご隠居さんのことを二回報告させていただきました。
IZAからの同志と聞いていたからです。
取り上げていただいて、ありがとうございました。
コメント欄にお寄せいただいた皆様にも感謝いたします。
また「こりあうおっちんぐ」最後のエントリのコメント欄にお寄せいただいた皆様に感謝いたします。

遺影でご隠居さんの素顔を紹介しましたが、たぶん笑って許してくれることと思っています。




「こりあうぉっちんぐ」御隠居さんご逝去


イザ時代から親しんでいた「こりあうぉっちんぐ」
御隠居さんが亡くなられていた。
毎日覗くのが習慣でしたが12月半ばから更新が止まっておりましたのでおかしいとは思っていました。

しかし以前もかなり長く止まっていたことがありましたが
その時はパソコンか通信の不具合とかで何気に復活されたので、
又そんな事情かなと毎日クリックしておりました。
そうしたら「よもぎねこ」さんが報告してくれました。

御隠居さんは私の想像では壮健な方だと思っていたんですが、
病を抱えておられたんですね。
いつも面白い朝鮮ウオッチングを掘り出してくださり
楽しみでした。
もうそれも無いのだと思うと寂しいです。

昔「花ウサギ」さんが亡くなられた時と同じ思いです。
お二人とも家人の居ないところで往生されていました。
ご冥福を祈ります。



悲しさや雪やこんこと降りやまぬ  

本日、ご隠居さんが大往生していたのを発見いたしました.
苦悶の表情はなく眠るがごとくでした。
「こリあうおっちんぐ」
読者の皆様、
長い間ありがとうございました。
今日は、ご隠居さんを病院に連れていく日でした。
9時に迎えに行く予定でしたが、
8時45分に着いて声をかけても返事がありませんでした。
勝手知ったる家ですからパソコン部屋へ行ったら、
そこで遺体となっていたのを発見しました。
警察と消防に連絡して、調べてもらいましたが特に異常はなく
病死という結論でした.

無才こと小生
は、ご隠居さんの実の兄です。
9日に通夜、10日に葬儀を行うべく予定しています。
小生の弱小ブログでは「こりあうおっちんぐ」の大勢の読者の目に触れないかもしれませんが長年のご愛顧に感謝して、
ご隠居さんに成り代わってこれを記しました。
ありがとうございました。
無才の古今往来



プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

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