おてんば86歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

神社仏閣

シニアナビ過去記事(575)「成田山新勝寺参詣」


[575] 成田山新勝寺参詣 2008.1.13  22:53:29   
20/2/13(日)晴れ 寒風強し

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本堂前にて


昨日親友が我が家に来て歓談していたら
「明日は成田山にお参りに行く」と言う。
彼女は毎年行っていたが
私が不真面目な学会員だったので決して誘われた事は無かった。

彼女は子供の時からお参りしていて身代わりに災難を逃れさせて
頂いていると言う。
今までは「ふん、ふん」と無関心に聞いていたが俄かに興味が湧き
「私も行こうかな」と呟いた。

今までは学会の呪縛にとらわれて日本本来の信仰に背を向けていたのだ。
日本人が有史以来信じてきた八百万の神々や仏教は異端として
排されていた。
どうして日本本来の思想伝統信仰をないがしろにするのだろうか。
それらを信じて日本人は不幸だったろうか。

今日は彼女の後ろからついて行き彼女のするとおりにマネをした。
本堂でお坊さんの説教を聴き読経を拝聴し持ち物を佛火にかざしてもらい災難を逃れさせてもらい、福をいただけるようお願いした。

今年は家族にとってとても幸せなことが訪れるきざしがあるのだ。
それらが成就するようにご祈念した。

成田山の参詣者は明治神宮についで二番目に多いそうだが
駅から参詣者で溢れていた。
上野駅からスカイライナーで55分であった。
始めて行ったが案外近いのね。

帰りに参道で名物の「うな重」を食した。
1時間以上待ったが、その名に恥じず美味しかったわ、
1,890円であった。
隣席の家族連れの話だと去年入った店は10分位で
「うな重」が出てきて1,000円しなかったが
とても不味かったそうで、
今年はその店が貸し店舗になっていたそうだ。
いくら全国からの「一見の客」相手と言えども
いい加減な物を出すと潰れますね。

今日は全国的に強風が吹き寒かったですね。
清清しい一日でした。


 

三宝寺池散歩


令和3年4月30日(金)晴れ

三宝寺池周辺が素晴らしかったので写真をぱちぱち
撮ってきました。
全部載せるわけにも参らぬのでこれでもかなり割愛しました。
池のあちこちに上に登る坂や階段があります。
つまり台地の窪地なんですね、時間と体力の都合で周りを散策することは出来ませんでしたが、機会があれば周辺の探索を
したいです。
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石神井城は氷川神社の隣の敷地にあります、
つまり領主豊嶋氏は水の豊富な池の上の台地に
城と神社を建立したのでしょう
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橋あり
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木道あり
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山藤が盛り
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ハコネウツギの花
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卍あり
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現在は湧き水は湧いてなくて井戸からの放流らしい
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至る所に階段坂道がある
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お店あり、閉店中
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カルガモのご夫婦が階段を登ります

夫唱婦随


「万世一系の皇室を仰ぐ」


礼和3年4月29日(木)昭和の日 終日強い雨
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未来塾チラシ

今日は寺小屋「玉川未来塾」主催の皇位継承問題についての講演を聴きに行きました。
この会の主催者の玉川博一氏の思想、行動に賛意を表していますので氏主催の催しには参加することにしています。

場所は始めて足を踏み入れる石神井公園そばにある
石神井氷川神社です。
年寄の早行き症のせいで1時30分開始なのに11時55分には
現地に着きました。

案内によると西武新宿線の上石神井駅から徒歩15分とありましたので歩こうかなと思いましたが、
方向音痴だから多分迷うだろうと思いタクシーにしました。

正解でした、時間がたっぷりあるし歩く余力があるので周りを
見聞することにしました。

よく調べないで行ったので境内の裏が三宝字池だとは
知りませんでした。
鬱蒼とした林の中を降り進むと池に出ました。
都内にこんな鬱蒼とした森林に囲まれた池があるの~
ぐるりと一周しました。
これが駅から歩いていたらとてもむりだったでしょう。
森林浴して爽快な気分になりました。

講演は始めての方でジャーナリストの三荻祥氏です。
皇室問題、就中皇統についてよく勉強されている方で
口説もよくわかりやすいお話でした。

写真撮影禁止でしたので映像はありませんが動画撮影のカメラは
2台据えてありましたのでそのうちに公開されるでしょう、
と思いますが、有料かもしれません。

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石神井氷川神社
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由緒古い神社のようです、私は地続きの裏の三宝字池
も元は神社の土地だったんではないかと錯覚しました
由来書をみたらやっぱりそうでした。
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この土地の領主だった豊嶋氏が建立したのです
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手水所も稼働していました、今はどこも止めていますからね
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今日は昭和天皇のお誕生日
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ここが神社と公園の結界です
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会で本など頂いてバッグが重いのに
西武新宿駅で百合を買って仕舞って荷物多くて辛かった
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今日の昼夜兼用食 1,550円
新宿の「さぼてん」でロースカツを食す、
多すぎて残す、
今日の歩数は9755歩
続く!







明治神宮参拝&新宿で買い物


令和3年1月7日(木)晴れ 風強し

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完全防寒で
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西門まで徒歩25分です
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懇ろに護国をお願いしました
昔昭和35年に上京して初めて明治神宮に初詣に行って酷い目に遭ってから明治神宮に初詣はトラウマになっています。
ものすごい参拝客で引き返すことも出来ない一方通行で辛い思いをしました。田舎者ですから正装して靴はパンプスだったので冷たくて泣きたくなりましたよ。
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全て達筆の文字 どなた達が出展しているのでしょうか


ここんところ出かける計画も無いので家に籠っているが、
家にいると目を酷使するので用を作って出かけることにした。
まず明治神宮に初詣、そしてヨドバシカメラに寄る。

先だって頂いたカメラなんだけど、画像に日付を入れたいんだけど、どこをどう見ても判らないので専門家に聞いてみようと思った。

カメラ部門の販売員が親切に見てくれたが
彼にも判らないらしくてメーカーに問い合わせたら、
そのカメラにはそのような機能はないと言うことが判った。
そうなんだ。

ついでに万歩計と足温器を買おうと思った。
万歩計は安くて沢山あったがほとんど支那製である。
がっかりしていたら下の隅に一個だけ国産があった。
国産と言うだけで機能は無視して買いました。

レジでお兄さんに取説を見て貰いポケットに入れても良いと言われたのでポケットに入れて出ましたが、ほとんどカウントされません。

帰宅後取説を見ようと探しましたが、
パッケージも取説も入って居ませんでした。
ヨドバシに電話しましたがその係員は退社していませんでしたので出てくれた店員と話しましたら、その万歩計は腰のあたりにクリップで留めないと機能を発揮しないらしいです。
携帯の方がまだましですね。
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唯一の国産品 825円 安っ
歩数だけしか計測しません、距離は計測しない
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足温器 6570円 
今まで使っていたのは温度が上がらなくなったので買い替える、
スリッパ型のが欲しかったんだけど、もう足温器は終わりだそうです。
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甲州街道 いいっすよ!

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旭鮨 2090円

昼抜きでお腹も空きましたので京王で鮨を食べて帰りました。
京王出たらバスが待機していましたので乗りました。
座席に座ってから、
あっ!歩くんだったわと慌てて下車しましたよ。
今日の歩数は11056歩 8,1㌔でした。
全然疲れていませんね。



牛(息子夫婦)に引かれて墓参り


令和3年1月2日(土)晴れ 富士山見える

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正月期間掲げます


今日は午前、息子夫婦、娘夫婦と墓参り(納骨堂)に
行って参りました。
お嫁さんが良家に育った方なのでそのような先祖供養には
気がつくんです。
私や娘(母親の所為)はその点いい加減です。
罰当たり!

娘がいる時に息子から正月の墓参りはいつ行くんだと
電話がありました。
私達そんなこと一寸も思ったことありませんでしたね。

いつも忙しい婿さんも参加できた佳き日でした。
子供達は午後からそれぞれ忙しいので、
デニーズで飲み物だけでひと時会話しました。

3時頃歩いて代々木八幡宮に新年のお参りに行きました。
往きは30分掛かりましたが階段下の道路まで行列しておりましたので正殿参拝まで25分掛かりました。
今日の歩数は6050歩 4,1㌔

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登山道がくっきりと映っています、
雪が深くなると見えなくなるでしょう
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防寒対策ばっちりと
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行列がぐるりと
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懇ろに反日売国奴を成敗してください、と
日本の将来が誇りある国になるようにお願いしました

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御大典記念碑
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昭和3年建立と言うことは昭和天皇の御即位の事でしょうか、
村田さん教えて!

訣別の碑と言うのもあります。
拝殿に向かう参道には、代々木の原に大日本帝国陸軍の代々木練兵場が1909年(明治42年)造られた際、この地から立ち退くことになった居住者らが別れを惜しんで奉納した石碑、がある(二基ある灯籠の竿石部分)


代々木八幡遺跡と石器時代住居
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この遺跡は今から四千五百年程前の、石器時代中期を中心に栄えたもので、標高32、33mの幡ヶ谷丘陵の南方に突き出した半島の端に位置している。

当時、この前の低地は海の退きはじめた沼のようなところで丘のうしろは一面、カシやナラの森で、そこにはシカやイノシシなどの動物が多く当時の人達はそれを採ったり木の果を拾って、見はらしの良いこの丘の上で永く住みついて
いた。

 昭和25年渋谷区史を作るため発掘研究が行われたが、そのときには、地下30cm位のところから沢山の遺物が発見された。

土器は縄文式時中期の加曾利E式の鉢や壷が一番多く、その他わづかではあるが、前期の黒浜式や諸磯式、後期の堀ノ内式、加曾利B式なども出たから、前期にはじまり、中期に栄え後期までつづいたことがわかる。

石器としては石斧、石槌、石棒、石鏃、凹石、皮剥などが発見されている。

この発掘のとき、地下80cm位の下のローム層の上に当時の住居(竪穴家屋)の跡が一個分発見されたので、その上に当時のままの家を組み立てて作ったのが、この復元住居である。

この家は直径約6mの円形にローム層を約20cm堀りくぼめ、その内がわの周に高さ1m60cmの柱を10本程立て、その柱の頭に桁を横に結びつけ、その桁に椽を21本周から葺き寄せて、屋上で円錐形に結び合せ、この上に萱を葺いて作ってある。

屋上の南北には煙出しを作り東側には入り口をその東側の貯蔵室の跡にはここだけ椽を葺き出し中央部には爐の跡がそのまま残してある。
貯蔵室に堀り埋めてあった大型土器と爐の中に置いてあった底なしの二個の土器は別に保存してある。

この家の内は冬は屋外より十度温かく、夏は十度程涼しいし、
内でたき火をすれば数時間で床面は乾いて案外住み心地が
悪くない。

使った木材は当時の附近の森相から考えてカシ、クリ等枯葉樹に
した。(渋谷区教育委員会掲示より)
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代々木のドコモタワー
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今朝の朝食、雑煮 粗食だわ
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今夜の夕食 蟹雑炊、蛤吸い、残り物、酒
昨夜残った蟹は息子宅にあげました、


プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

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