おてんば83歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

シニアナビ過去記事

シニアナビ過去記事(379)「胃と腸も弱る」


 [379] 胃と腸も弱る  2007.1.9  18:59:56   
19/1/3(水)晴れ どんより


折角の休みと言ってもちっとも休まらない。
背中は相変わらず重い。

今日は午後から義母を入浴させた。
今日は前回と違ってお互いさりげなく穏かだ。
お互い学ぶのね。

息子が今朝来て「お年玉」と言って1万円置いていったそうだ。
うちの子供達は素直だ、昨夜息子に言ったことをもう実行している。

義母嬉しくて嬉しくて感涙に咽んだそうだ。
思えば義母の人生はギブ、ギブ、ギブ、ギブだけの
人生だったもんなぁ。

世の中見渡せば「ギブ&テイク」じゃなくてそのどっちかの役割ばかり担っている事が多いと思う。

義母のギブ人生はかの「関東大震災」あたりから始まるようだ。
明治42年生まれだから14,5歳の頃だろう。
下町深川門前仲町あたりの貧しい魚屋(どうもぼて振りだったようだ)の長女に生まれた義母はその頃奉公に出されて他家で働いていたらしい。

そして地震で家を失くした家族の為に、毎月1枚の畳を買って実家に持参して親を喜ばせたらしい。
計6枚買ったそうだ。
後記:一間の掘っ建て小屋を建てて暮らしていたらしい)

母親が事のほか喜び、事あるごとに「娘を産んでおいてよかった
キヌは本当に親孝行な娘だ」と死ぬまで誉めそやしていたらしい。

それからの人生は貧しくとも真面目一方に働き、
ギブ、ギブ、ギブの人生だ。
でも、ギブされた方は今こんなに寂しいのに誰一人訪ねてくれる
親類は無く、電話一本、年賀状の1枚もよこさない。

義母、明日訪問してくるヘルパーに
「お年玉1000円とタオル2本(頂き物)をあげようと思うがどうだろう」と相談する。

「いいんじゃぁない」

貧しくてもお世話になった方に「志」を上げたい老婆の気持ち
判ってくれるといいんだけどな。

私は最近思う「人の好意は素直に受けよう」と
それが双方にとって幸せだって。


シニアナビ過去記事(378)「捨てる」


[378] 捨てる  2007.1.6   22:22:01   
19/1/6(土)豪雨

378_picture
ウオーキングシューズと雨靴(右側)計50,400円也


先日、皇居に行くのに何時ものボロ靴では失礼だと思い、
去年まで履いていた靴達を探しました。

ないっ

一足も無いのです。
あらゆる所を探した。無い
そこでしばし沈思黙考。

朧に思い出した事は、去年春
「いつまでも草臥れた靴を履くもんじゃないね、来季新しいのを買えばよい」と珍しく前向きの思考になって全部捨てた事。

娘が「スケッチャー」のウオーキングシューズを
買ってきたがそれがえらく気に入り、
「これ良いね、私が履くわ」とすっかり占有して、
履き心地が良いものだからそればかり履いていた。

仕事にも、飛行機に乗るのも、犬の散歩にも履いた。
他には一足も無い事には気が付かなかった。
これほど大胆に捨てられる私に感動している。

仕事柄、観察するに、
物が捨てられず、ゴミ(物)に埋まって暮らしている老人は多い。
「全部捨ててすっきり暮らせばいいのになぁ」と思う事しばしばなれど、本人はゴミだと思っていないのでどうしようも無い。

研究者によると、ゴミ屋敷にする人の大半は精神異常者だそうですね。お年寄りだと、認知症の証だそうです。

私の周りですっきり暮らしている老人は2人だけです。
まず、我が義母、元々余分なものは買わず常に整理整頓する人だったが
「ケアハウス」に入居する時に、兄嫁と2人で徹底的に捨てた。
コツは2人して「これ貰っていい」と言う事。
義母、自分の大事なものを嫁達が貰ってくれると言うので気分よくした。
だから広い(12畳ある)部屋が広々使える。

もう1人は師匠だ。
師匠は老後に向けて二所帯住宅を建てる時、徹底して捨てたそうです。元々中流階級で奥さんの実家だったので、家具など上等な物ばかりだったようですが、運送屋さんが全部貰っていいですかと言っていたそうだ。

今へーベルハウス住宅に住んでいらっしゃいますが、
本当にすっきりしています。

一方、他のお宅は大半、何十年分の物に埋まって生活していますが、そう言えばほとんどの人が精神に何らかの異常がありますね。

そこで今回、全人生の「しがらみ」を捨てて身一つで引越した
「お方」彼女の今後の思考がどう変化するか興味あるところです。

① すっかり忘れている
② 時々思い出して悔しがる
③ 全然忘れていなくて私達のせいにする
④ 私達に感謝する

実は、私も捨てられない人です。
物が溢れています。
まず、衣類、書籍類、思い出の品、資料(仕事、旅)地図類、極めつけは写真です。
今は娘が喧嘩しながらバンバン捨ててくれますが、
一人になったらヤバイナ。

今日は雨の中靴を買いに新宿に行きました。
雨だというのにデパートには客で溢れていました。
店員さんの話ではバーゲンが始まったからでしょうとの事ですが、
やはりいくらか景気はよくなっているのでしょうね。

4足買うつもりでしたが、1足はお気に入りが見つからず
又と言う事で。
2足は「アシックス」のウオーキングシューズ、黒と茶
それと、ゴアテックスのレインシューズ
これが優れものでどんな雨でも足は濡れず、
雨が止んでも軽くて蒸れないの。
今までのがさすがに「雨漏れ」するようになったので、
買い替えです。

全て国産です。値段は高いですけど、
私、思うんですよ。我々老人には義務があると思うのです。
国に産業が育つように支援する義務があると思うのです。
いい年した老人が安けりゃ良いとばかりに漁っていたら
国内に産業は育たず、若者達は将来に希望が持てませんね。

「ノブレス・オブリージュ」ならぬ「オールド・オブリージュ」ですね。

私、これでも仕事していて辛い事が在りますが、
働いていれば収入もあるし、
若い人達のお荷物にならずに生きていけます。



シニアナビ過去記事(377)「たばこと塩の博物館」

[377] たばこと塩の博物館 2007.1.5  00:27:52   
19/1/4(木)晴れ


木曜日は私は休みなんだけど、ケアマネとしての大事な仕事がある。
「実績入力」前月分を10日までに「国保連」に電送しなければならない。

我が社は7日頃電送するので正月は日が足りなくてとても忙しい。
去年は「坂憲」が正月休み返上で私達の分までやってくれたが、
それでは申し訳が立たないので、今日午後から出てやった。

すぐに終わったので前から観ようと思っていた映画「めぐみ」を観ようと駆けつけたら、残念、2時15分上映開始なのに15分も過ぎていた。

12日までなので後日に観る事にして、
すぐ近くの「タバコと塩の博物館」で「川柳と浮世絵で楽しむ江戸散歩」展をやっていたので入館した。

川柳は学識がないが浮世絵は好きなので、
バスの車窓から気にしていたのだ。
入観料はたったの100円。
その上、立派な江戸川柳の解説書が付いてくる。

出展は「誹風柳多留」「川柳評万句合」
川柳に関係する浮世絵が展示してある。
なかなか面白い展示である。

・降る雪の白きを見せぬ日本橋・
・名山と名城晴る日本橋・

ただ私は目がとても悪いので、じっと見ているととても疲れて
中途半端な鑑賞しか出来ないのが残念だ。

途中で案内があったので「タバコの歴史」についての映画を
鑑賞した。
南米のインカから発して、欧州、アジアと伝播するにつれ
その国独自の文化が発達するのが面白い。
昔インカやアメリカのインデアン達はタバコ(の煙)を
神聖なものとして祈りの対象にしていたのだ。

今夜あの話題作「佐賀のがばいばぁちゃん」を期待して見た。
ちょっと期待はずれ、
ピン子が品が無くて、まだ吉行和子の方が良かったな。
下品と貧乏は同列ではないと思うんだ。
それに筋がだらだらとしてしまりが無い。
映画では泣けたのだ。

時代考証がなっていない。
あんなに貧乏なのにどうして真っ白なご飯なんだ、
雑穀入りだろうが。
それに昭和32年頃は「スーパーマーケット」の概念は
無かったはずだ。
当時、ろくな洗剤も無かったから、
あんなお坊ちゃんのような真っ白なシャツは着ていなかった。

私はその頃まさに当地で明日の見えない暗い青春を過ごして
いたのだ。
もうすでにその頃の事が製作者達には江戸時代程の
過去の事だろうか。





 

シニアナビ過去記事(366~392)「新年一般参賀」


 [366] 新年一般参賀 2007.1.2  14:52:05   
19/1/2(火)曇り 穏か
366_picture
天皇陛下バンザーイ


生まれて始めての新年一般参賀に参加して来た。
皇居内も始めて立ち入る。
帰途は乾門から退出し靖国神社に参詣して
日本国民としてのお役目を果たしたような清清しさ。


[367] まずは東京駅から  2007.1.3  17:45:03 
367_picture




[368] 皇居拝観 №1 2007.1.3  21:07:14 
368_picture

皇居正門の衛兵(警官)左右に配置され、なかなかの美形男性です。微動だにしません。特別な日だけ配置されるのだと思う。

この正門を我々庶民が通れるなんて、江戸時代、否現在だって通れませんね。ここに来るまでに、バッグの中を調べられ、ボデイチエック、金属探知機で探知されました。


[369] 皇居拝観 №2 2007.1.3   21:28:16   
369_picture
正門を通り、二重橋までのスロープ、正面に見えるのは伏見櫓、
伏見門を通ると広場があり、それが新宮殿(長和殿)の東庭である。


[370] 皇居拝観 №3  2007.1.3  21:42:39

370_picture
二重橋上を進む人々と伏見門、もうすぐ東庭です。
左右の石垣が立派です


[371] 皇居拝観 №4 2007.1.3  21:45:30   
371_picture
二重橋の上、何時も見る風景を反対側から見ました。
警官が立ち止まって撮影しないように注意しますので、
歩き撮りです。


[372] 皇居拝観 №5 2007.1.3  21:54:53  
372_picture
新宮殿長和殿前の東庭、
右端の方に天皇陛下ご一家が並ばれるベランダがある。
長和殿のベランダに天皇陛下始め皇族方が御立ちになるが、このベランダがもう少し高くないと背の低い人は見えない。背の高い外人が羨ましかった。
そう言えば外人、特にアジア系の外人が多かった。

[373] 皇居拝観 №6 2007.1.3  22:01:08   
373_picture
報道陣は後ろの石垣の上に居ますのでばっちりです。


[374] 皇居拝観 №7  2007.1.3  22:21:26 
374_picture
天皇陛下が挨拶される時は、旗は降ろされますが、
それでも写真を撮る時は頭上高く掲げないと撮れません。
天皇陛下のお言葉
「新しい年を共に祝う事をうれしく思います。年頭に当り、国民の幸せと世界の平安を祈ります」

明瞭な誰にでも理解できる御言葉でした。


[375] 皇居拝観 №8 2007.1.3  22:41:22   
375_picture
退出、
坂下門(右手)方面に向かって下り坂です。
ですから宮殿は台地上に建っているわけです。
正面は富士見櫓、傍のビルはパレスホテルでしょうか。
私は左手方向に進み乾門から退出しました。


[376] 皇居拝観 №9  2007.1.3  22:47:15   
376_picture
宮内庁


[377] 
皇居拝観 No10 2007.1.5 00:27:52   
377_picture
富士見櫓、この櫓は東御苑の中にある、
この人の流れの方向は蓮池濠に沿った道で乾門に通ずる。


[379] 皇居拝観 №11  2007.1.9  18:59:56   
379_picture
宮内庁からすぐの蓮池濠沿いの道を少し北に行った
T字路の角にあった建物
ゲストハウスの様な作り、私の想像では清掃奉仕団の方達が休憩する所かな?


[380] 皇居拝観 №12  2007.1.11   23:42:52   
380_picture
蓮池濠通りの古い門、江戸時代からあるのかもしれない、あまり手入れが行き届いていない、門内には門ほど古めいた建物はない。


[381] 皇居拝観 №13  2007.1.12   23:43:50   
381_picture
№12の先にある長屋門、これもあまり手入れがよくなくて古い、
そんなに重要な建物では無いのだろうか。
この門には典型的な長屋が続いている。


[382] 皇居拝観 №14  2007.1.13  23:40:09   
382_picture
№13の続きの長屋、この建物も古そうでつぎはぎの
手入れがしてある。
何か見たことがある長屋だなと思ったら、幕末の頃の写真に
似た建物があった。次に掲載してみる。

[383] 幕末の武家屋敷長屋   2007.1.13  23:50:12   
383_picture
芝高輪の「薩摩藩島津家下屋敷」

当時の海岸線沿いにはしっていた東海道から入った辺り
「西郷隆盛」と「勝海舟」が江戸城明け渡しのために
第一回会談をした場所として知られる。
現在は「ホテルパシフイック東京」になっている。
左手は「久留米藩有馬家下屋敷」と「豊前中津藩下屋敷」
384_picture
385_picture
386_picture


[388] 皇居拝観 №15  2007.1.16  23:35:59   
388_picture
道灌濠


[389] 皇居拝観 №16 2007.1.19  23:37:40   
389_picture
山下通り、
なんだか高貴なお方のお車しか通れないようなオーラを感じた道路。 
私が見た皇居はメイン通りだけで、中身は判らないわけだけど、
私はシテイガールだからこんな寂しい森の中には住めないと
思った。


[392] 皇居拝観 №17 2007.1.26  23:06:28   
392_picture
乾門外


日本人の住まいに関する特質として、
猫の額、4畳半、茶室、ウサギ小屋、縮み思考などミニチュアな印象で語られる事が多いが皇居や古代の墳墓を見ると決してそんな事は無い、気宇壮大なのだ。

(後記:シニアナビは写真が1ページに1枚しか掲載出来ませんでしたので、次回以後の記事に脈絡なく載せていました、それを順序よく編集するのに非常に手間がかかりました)





シニアナビ過去記事(365)「真夜中の決闘」


 [365] 真夜中の決闘  2007.1.1  21:33:57   
19/1/1(月)晴れ 富士見えず
 

昨夜、去年から今年に変わる頃の事であった。
私はPCに向かい、娘はテレビを見ながら居眠りしていた。
ストーブの前暖かい場所で娘を挟んで「さんご」と「もんち」

ふっと振り向いたら「さんご」と「もんち」が睨み合い、
激闘が始まった。
娘と私は必死で抑えようとするが「もんち」が「さんご」の首に
噛み付いて放さない。

「さんご」は殺されると思った。
私は「もんち」の後ろ足をがっと持って引っ張ろうとしたが、
そうすると「さんご」に致命傷を与える事になる。

寝ていた旦那も飛び出して3人でなんとか離した。
私は何処も殺傷を受けていないが、娘は身体中傷だらけ、

これじゃ、まるで家庭内暴力ね、まさに「もんち」は娘の犬だから
娘に暴力振るわれる母親である。

最近まで平穏だったが、ここんところ一触即発状態が続いている。
私は去勢しようよと提案しているが娘が持って生まれた性格だから
去勢してもおんなじだと思うよと反対していた。

でももう我慢出来ない、1%でも可能性があるなら手術した方が
良いと強く言った。ここに来てさすがの娘もその気になった。
正月が終わったら、すぐに行動するつもりだ。

もう家庭内暴力には耐えられない。

それと不思議な事だけど「もんち」はシーズン中であるが。
「さんご」がシーズンの時は雄犬が寄って来て、
「さんご」も媚態を振りまいて防御するのに大変だったのに、
「もんち」には何事も起こらない。

犬にももてるオス、メスがあるのだと思う。
以前、オーストラリアンセパードの「マック」と言うオス犬を
「さんご」が好きで好きでたまらない、他のメス犬が近づくと
修羅になった。

マックは人間から見ても確かに立派な素敵な男っぷりだった。
その反対に「幻冬舎」の社長の見城家のセルティの「エド」は
見るからにもてない男ぶりだったが「さんご」は馬鹿にして
近づくと威嚇していたな。

「エド」は「さんご」が好きで好きでたまらなかった。


正月3が日は「パークハイアット」の「パークラウンジ」41Fで
恒例のお茶をする。

今年は何時もの3人(娘、私、親友)がそれぞれ都合が悪く無理かなと思っていたが、娘が何時も私のおごりで行く事に決まっているのよねと呟くので、じゃ2人ででも行こうとなった。

4時頃だったがそんなに込んでいなくて窓際の席がもらえた。
この高さから、暮れ行く下界を眺めながらお茶するのは本当に
幸せな気分です。
カメラを忘れて残念だった。
「アフタヌーンテイ」など頂いて6,048円だった。
ご馳走様でした。

今日はもう一つ画期的なことがあった。
旦那が義母の所に挨拶に行くと言うので、
ふと思いついて私達3人で「お年玉」を上げようと思った。
3人で4万円袋に入れた。

義母は江戸っ子だ、何時も「腐っても鯛、腐っても母」と言って
自分が上からお小遣いを上げる立場を堅持していた。
人から、金銭、物品、サービスを受けるのをとても嫌がる。
すぐにお返しを考えて憂鬱になるのだ。
だから何をあげても素直に喜ばない。

ところが今日はとても喜んで有難いと言っていたそうだ。
やはり預金残高が少なくなっている事が気を弱くさせているの
だと思う。

私は69歳で義母は97歳で世代交代を受け入れたのだ。
これから、毎月すこしでも差し上げようと思う。



プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

最新コメント
記事検索
読者登録
LINE読者登録QRコード
メッセージ

名前
メール
本文
タグ絞り込み検索
  • ライブドアブログ