令和3年6月16日(水)晴れ


シニアナビ過去記事の「かくして黒島に出会った①」の続編が
いくら遡っても見当たりません。
多分続編は書かなかったんだと思う。
それでは私の中で未消化なので思い出して書いてみます。

当時借金は6000万程あったと思う。
その当時バブルの波がひたひたと押し寄せて来つつあった時期でしたが、私達底辺にはまだみえなかったがあと少しのところで手が届きませんでした。
座間にあった家が底値の1800万で売れました、と言うより街金が
差し押さえて売りに出したのでこちらの意向は入って居ません。

銀行で街金と信金と私の弁護士と買主が揃って話し合いましたが
私は何も意見を述べる権利がありませんでした。
弁護士さんが頑張ってくれて○○さんにも家族がいるんだから、
せめて借家を借りるだけは残してくださいよと交渉してくれて
100万だけ私は頂きました。
買主の前で恥ずかしい展開でした、あの閉鎖的な住宅団地に話題を提供したわけです。
その住宅団地には築いた人脈がありましたが
その後一歩も足を向けませんでした。
正に夜逃げです。

その半年後頃からバブルの大波が押し寄せてきて、信金の営業さんが「○○さん座間のあのあたりの売値が6000万以上で取引されていますよ」と言われました。
聞きたくないっ!
それだけあったら一気に借金は返せたのに運に見放された者には
縁のないことでした。

旦那の転落の経緯は多分私の想像ですが、池袋に旦那の行きつけのクラブがあって一度旦那に連れて行かれたことがありますが、
ママのまり子さんは男気のある方で旦那の裏の顔を見抜いていたと思います、私に同情的な雰囲気がありましたので、
電話して聞きました。
「私は焼餅で言っているのではないのです、このままでは我が家は破産しますのでどうか知ってる事を教えてください」と
お願いしました。

「歌舞伎町のキャバレーのヤンと言う女に店を出させたはずです、その女をパパ(旦那の事)がうちの店に連れて来たことがありますが同業者としては許せない礼儀知らずの嫌な女でした。
ある時同輩を数人連れて来て今日は私のおごりよと言って出した
カードが私名義だったので、
これパパの奥さんのカードじゃないのと咎めたら
あんたには関係ないでしょと言い放ったそうです」

その他に複数のカード会社から請求書が頻繁に来ますので、
当時カード会社もゆるかったので「買った物を忘れたので明細書を送って下さい」と電話しましたら
分厚い束がど~~んと送られてきました、

日本橋三越(テリトリー外)でゴルフ道具一式とか
プラチナダイヤモンドの指輪とか蟹道楽での食事とか
およそ旦那とは縁のない買い物ばかりが湯水のように消費されて
いました。

私は借金したりカードで買い物はしない主義ですからカードを
持っていませんでした。

ある時はカード会社から「奥さん昨夜どこそこの蟹道楽で食事しましたか」と問い合わせがありましたので
私はそんな所に出かけませんし主人も蟹は好きではないので
食べる筈がありませんと答えましたが、
その件カード会社ではどう処理したんでしょうかね。
旦那に問い詰めてもすぐわかるような言い訳をします。
基本嘘つきです。

そして歌舞伎町の区役所裏通りあたりで店を出させたのです、
ヤンから、まり子さんも来てよと誘いがあったそうですが
嫌いな女だったので行かなかったそうです。

旦那はとにかくタフで仕事が終わってからその店に出ていたらしい、チビデブハゲの男がママの男としてカウンターにいる店が
繁盛すると思いますか、
ほどなくして毎月毎月今月も赤字だとおねだりが始まった
ようです。
とうとう旦那は投げ出して逃げ出したようです。

それから何度も何度も電話がありましたが出ませんでした。
ある時私が出たらすぐに切れましたが、
たったそれだけで小股の切れ上がった女だなと判りました。
続く!