[591] 日向夏 2008.3.5  00:06:44  
 

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今日、宮崎の友人から日向夏(柑橘)が贈られて来た。
この友人は去年、埼玉県の持ち家を売り故郷の宮崎県に家を建て
移住して行った。

昭和35年8月3日、私は心細い思いながらこれしか生きる道は無いと決心して上京して来た。

新聞広告で応募した会社で私の望んだ職業ではなかったが
どんな職業でも田舎出の若い女性に自立出来る様な時代では
なかった。

私は佐賀から彼女は宮崎から会社の用意してくれた下宿に
その日から数年間、もう1人の宮崎出身の女性と3人で6畳一間の
共同生活が始まった。
貧しい貧しい生活だった。
貧しいのは私達ばかりではなかった。
(後記:しかし貧しいのは私達だけではなかったので別段惨めだとは思っていなかった)
後から顧みるとその頃から日本は右肩上がりの経済成長を遂げたが底辺では先の見えないその日暮らしであった。

市谷薬王寺
近所の河田町にあった、当時始まったばかりのフジテレビのレストランでウエイトレス生活だった。

当時は芸能界の黎明期だったと思う。

少女だったジュデイオングがいつも母親と一緒だったり、
タレントに接する事が多い社員にスターのサインを頼んでおいたら、売り出したばかりの丹波哲郎が色紙一面に名前を沢山書いて
居たので
「この人だーれ、知らないわ」と言ったり、

青島幸男が臆面も無く売り出しに精を出していたり、
各テーブルのコースターに「青島幸男をお忘れなく」と
彫ってあるの、
青島って誰と思っていたが、随分たってから認識したわ。

フランキー堺に寄せ書きの一隅にサインを頼んだら
つき返されたっけ、
一枚の色紙に自分だけしか書かない気位だったんだろう。

そうそう、美空ひばりが小さな身体で大勢の大人を引き連れて
風を切って歩いていたっけ、

私と彼女はその職業が嬉しくなかったのでレベルアップするべく、
当時あった「虎ノ門タイピスト学校」に通学したの、
私は程を知らない英文科で、彼女は和文科だった。
市谷柳町から新宿まで都電13番線で通ったが、
一枚の定期券を2人でシェアしたの。
(後記:もう一人の女性は商業高校卒だったので事務職になり、私達は普通校だったのでウエイトレス、屈辱だった、その上店長と二人で売り上げをごまかして懐肥やしていた、そのおかげで彼女は弟を呼び寄せて専門学校に行かせていましたね)
その学校で習った事は何の役にも立たなかったが、
彼女は叔父さんのコネで大手電気メーカーに就職して
定年まで働いた。

旦那さんは区役所の役人、悠々の老後なんだけど何を思ったか
彼女の故郷に土地を買って家を建て移住した。
旦那は東京人なのに馴染むんでしょうかねぇ。
私は賛成では無かったが決心は変わらなかった。
(後記:旦那は後悔していたようだ、何しろ田舎で東京の地方公務員だったことをひけらかしていたので、近寄る人もいなくなって)
今日「日向夏」を食べながら、苦い苦い当時のことがらを
思い出したわ。

「日向夏」もみずみずしくて、ちょっぴリ苦い味がした。
Kさん有難うございました。
また、逢える日があるでしょうかねぇ。

(後記:その後忘れもしない杉並区荻窪の清水町一丁目一番地での当時まだ珍しかった「神田川」生活に敗れて、心機一転初台に引っ越しました、大家さんが知り合いの印刷会社で経理事務員を求めているからと紹介された会社に転職、そこで旦那と知り合う、当時三人(三股とも言う、この件を話すと長くなるので割愛)の男性と縁がありましたが、昔占なう人に貴女はヤリ手の男と結婚しますよと言われていましたので信じていました、だから一番ヤリ手そうな旦那に決めました、
そうそう、その他に旦那に決めてから旦那の知り合いの男に熱心に言い寄られましたので迷いました、悩んでいる頃住宅街を歩いていると手書きの張り紙が目につきました「占います」と思わず訪ねて行きました、手持ち金が少ない旨申しましたら、その方占いの勉強中なので要りませんと言われましたので1000円払いました、
結果旦那の方は今日でも明日でも結婚する運気が出ていますが、
もう一人の男は本当に結婚する気があるんですかね、全然その気は出ていませんと言われました、旦那とその男の共通の知り合いに聞きましたら、ビックリしていました、彼は付き合っている女がいたそうです、私が行く道に迷うと占いに頼るのはそんな経験があるからです)