[544] 私はご機嫌 2007.12.1 23:30:02
19/12/1(土)晴れ
さすが佐賀市のマンホール、ムツゴロウさんです
ムツゴロウの蒲焼き、もう何十年も食べていないなぁ、
子供の頃は庶民的な食べ物でした、
私の骨密度が120%(同年代の)もあって丈夫なのは
ムツゴロウさんのおかげかな
私の骨密度が120%(同年代の)もあって丈夫なのは
ムツゴロウさんのおかげかな
今日は休みなんだけど例の腰痛ちゃんの事で昼から振り回された。
その件は又後ほど書くとして、
続き
6年ぶりの中学の同窓会だ、前回は大阪であった。
皆元気だ、でも少数は病気上がりだとか、癌で抗ガン剤治療中と
言う人もいたが、ここに集える人はそれなりの勝者だと思う。
9組460名の同窓生も判明者は230名で、出席者は89名で、
物故者は54名だそうだ、やはり男性の方が多い。
私が日頃接するお年寄りは心身薄弱な方ばかりなので、
70才がこんなに元気な集団とは驚いたわ。
女性はおおむね若々しいが男性は、
ぇっ、この人も私達と同じ年なのと言いたくなるような
爺さんがいて驚いたわ。
ぇっ、この人も私達と同じ年なのと言いたくなるような
爺さんがいて驚いたわ。
どうしてこうも違うのでしょうか、病気でもして出遅れたのかな。
私も気分はすこぶる元気で積極的に全テーブルをまわって
言葉を交わしたし、
今まではあまりこちらから声をかけることもしないで、
人から見たら多分取っつきの悪い女に見えていたのかも知れない。
言葉を交わしたし、
今まではあまりこちらから声をかけることもしないで、
人から見たら多分取っつきの悪い女に見えていたのかも知れない。
でももうここまで来ると残りはそんなに沢山は無いのだ
悔いのない人生をおくりたいと思う気持ちが強くなっている。
悔いのない人生をおくりたいと思う気持ちが強くなっている。
皆さんも同じ気持ちだろういつになく盛会であったし、
皆機嫌がよかった。
皆機嫌がよかった。
我らが出世頭の東証一部上場企業のS社(後記:セコム)の
元会長S氏も顧問になってゆとりが出来たのだろう、
墓参をかねて奥様と来佐なさっていた。
元会長S氏も顧問になってゆとりが出来たのだろう、
墓参をかねて奥様と来佐なさっていた。
不幸な事件に巻き込まれた人も居た、
武雄市の整形外科病院でヤクザに誤射された
30代の若い男性の事件はまだ耳新しい事件だが、
30代の若い男性の事件はまだ耳新しい事件だが、
同窓同士で結婚しているご夫婦で奥様はバリバリの共産党の
町会議員で旦那も共産党の音楽事務所の理事長をしている方の
娘婿だったそうだ。
町会議員で旦那も共産党の音楽事務所の理事長をしている方の
娘婿だったそうだ。
その話は後で聞いたからよかったわ。
会場を別の部屋に移しての二次会ではそれぞれ芸達者が披露して
話はいつまでも尽きなかった。
嬉しいことに多分これが最後の同窓会という話が出るかと
思っていたが、又元気で逢いましょうと異口同音に言い合って
いた。
話はいつまでも尽きなかった。
嬉しいことに多分これが最後の同窓会という話が出るかと
思っていたが、又元気で逢いましょうと異口同音に言い合って
いた。
終わってから又マッサージを呼んだがこれが又上手なの、
地方のマッサージは当たり外れがないような気がします。
指示もしないのに一番辛い頭と首筋をよくもんで呉れて、
こんな事を言うの「あぁ、昨日はよく寝た」と頭の皮膚が
言っています。
言っています。
確かに昨日はいつになくよく寝たわ。
耳鳴りに悩んでいることを言ったら耳の上の方を良く揉んでくれて
ここが耳鳴りのツボだから自分でももんで下さいと言う、
今でも揉んだ後が痛いな。
明日は唐津見物だから又睡眠剤を飲んで寝た。
唐津見物はちょっとがっかり、
28名が参加したが予定によると鏡山、曳き山展示場、だったが、
なんと観光バスではなくて料理屋さんの送迎バスで
鏡山は曇りなので登りませんと言って饅頭屋さんでみやげを買って
28名が参加したが予定によると鏡山、曳き山展示場、だったが、
なんと観光バスではなくて料理屋さんの送迎バスで
鏡山は曇りなので登りませんと言って饅頭屋さんでみやげを買って
「曳き山展示場」と虹ノ松原を往復しただけで目の前に
唐津城もあるのに行かずに、料理を2時間以上食べさせられた、
それも大半残すほどの量だ、
唐津城もあるのに行かずに、料理を2時間以上食べさせられた、
それも大半残すほどの量だ、
私達料理を食べるために来たのでは無いようと
皆不満を持っていたが、
皆不満を持っていたが、
まぁ、幹事のご苦労を思えば我慢するしかないだろう。
曳き山と言うのは唐津神社の秋祭りで町内ごとの曳き山があり
町を練り歩くそうですが、その曳き山がこんなに立派だとは知りませんでした、
町を練り歩くそうですが、その曳き山がこんなに立派だとは知りませんでした、
全部で14台あり古くは文政2年(1819年)から明治は2年(1869年)から9年まで5台ありますが、みんな今日作ったばかりのようにきれいです、
毎年塗り直すのでしょう、町内の財産なんですね。
重さ2~4トンもあり制作費は現代の価値で5,6千万もして
2年程掛掛かったそうです。
元々は15台あったそうですが明治中期に損滅したそうで、
2年程掛掛かったそうです。
元々は15台あったそうですが明治中期に損滅したそうで、
再度は作らないのですね。
一度くらい見物してみたいと思いました。
唐津から福岡空港まで直通があって便利でした、
JR筑肥線なんてローカル線に乗ることはもう二度と無いだろう。
飛行機はT君と隣あわせで帰宅した。
この旅で一番嬉しかった事は私がとても機嫌良く過ごせたこと。