令和3年1月2日(土)晴れ 富士山見える

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正月期間掲げます


今日は午前、息子夫婦、娘夫婦と墓参り(納骨堂)に
行って参りました。
お嫁さんが良家に育った方なのでそのような先祖供養には
気がつくんです。
私や娘(母親の所為)はその点いい加減です。
罰当たり!

娘がいる時に息子から正月の墓参りはいつ行くんだと
電話がありました。
私達そんなこと一寸も思ったことありませんでしたね。

いつも忙しい婿さんも参加できた佳き日でした。
子供達は午後からそれぞれ忙しいので、
デニーズで飲み物だけでひと時会話しました。

3時頃歩いて代々木八幡宮に新年のお参りに行きました。
往きは30分掛かりましたが階段下の道路まで行列しておりましたので正殿参拝まで25分掛かりました。
今日の歩数は6050歩 4,1㌔

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登山道がくっきりと映っています、
雪が深くなると見えなくなるでしょう
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防寒対策ばっちりと
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行列がぐるりと
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懇ろに反日売国奴を成敗してください、と
日本の将来が誇りある国になるようにお願いしました

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御大典記念碑
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昭和3年建立と言うことは昭和天皇の御即位の事でしょうか、
村田さん教えて!

訣別の碑と言うのもあります。
拝殿に向かう参道には、代々木の原に大日本帝国陸軍の代々木練兵場が1909年(明治42年)造られた際、この地から立ち退くことになった居住者らが別れを惜しんで奉納した石碑、がある(二基ある灯籠の竿石部分)


代々木八幡遺跡と石器時代住居
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この遺跡は今から四千五百年程前の、石器時代中期を中心に栄えたもので、標高32、33mの幡ヶ谷丘陵の南方に突き出した半島の端に位置している。

当時、この前の低地は海の退きはじめた沼のようなところで丘のうしろは一面、カシやナラの森で、そこにはシカやイノシシなどの動物が多く当時の人達はそれを採ったり木の果を拾って、見はらしの良いこの丘の上で永く住みついて
いた。

 昭和25年渋谷区史を作るため発掘研究が行われたが、そのときには、地下30cm位のところから沢山の遺物が発見された。

土器は縄文式時中期の加曾利E式の鉢や壷が一番多く、その他わづかではあるが、前期の黒浜式や諸磯式、後期の堀ノ内式、加曾利B式なども出たから、前期にはじまり、中期に栄え後期までつづいたことがわかる。

石器としては石斧、石槌、石棒、石鏃、凹石、皮剥などが発見されている。

この発掘のとき、地下80cm位の下のローム層の上に当時の住居(竪穴家屋)の跡が一個分発見されたので、その上に当時のままの家を組み立てて作ったのが、この復元住居である。

この家は直径約6mの円形にローム層を約20cm堀りくぼめ、その内がわの周に高さ1m60cmの柱を10本程立て、その柱の頭に桁を横に結びつけ、その桁に椽を21本周から葺き寄せて、屋上で円錐形に結び合せ、この上に萱を葺いて作ってある。

屋上の南北には煙出しを作り東側には入り口をその東側の貯蔵室の跡にはここだけ椽を葺き出し中央部には爐の跡がそのまま残してある。
貯蔵室に堀り埋めてあった大型土器と爐の中に置いてあった底なしの二個の土器は別に保存してある。

この家の内は冬は屋外より十度温かく、夏は十度程涼しいし、
内でたき火をすれば数時間で床面は乾いて案外住み心地が
悪くない。

使った木材は当時の附近の森相から考えてカシ、クリ等枯葉樹に
した。(渋谷区教育委員会掲示より)
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代々木のドコモタワー
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今朝の朝食、雑煮 粗食だわ
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今夜の夕食 蟹雑炊、蛤吸い、残り物、酒
昨夜残った蟹は息子宅にあげました、