[292] 東京ふるさと大町会 2006.9.3  23:48:43   
18/9/3(日)晴れ 秋来ぬと、、、

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最後は炭鉱節で〆

昨日の死ぬほどの疲れも一晩で回復し、
今日は「赤坂プリンスホテル」での「東京ふるさと大町会」に
出席した。

我がふるさと大町は今は県内一小さな町だと思うが、
1960年頃、かっては人口24,000人、生徒数4,000人の日本一大きな小学校、従業員5000人をほっする活気ある炭鉱町であった。

1969年に閉山して、今は8,000人ほどの過疎の町になりました。
今日聞いた話ではここ一連の町村合併騒ぎで何処とも合併しないで
頑張っていると思っていたのは、とんだ見当違いで借金が多くて
何処も入れてくれなかったそうです。

トホホ、、情けない。

この会の事始は実は私にあるのです。
11年前の平成7年に我が同期生の杉町寿孝さんが「セコム」の社長に就任した事を知った私は、当時新聞社の役員をしていたKさんに相談しました。
「われわれの同期生が一部上場企業の社長に就任したのに知らん顔は無いだろう、お祝いしない」と

さすが新聞記者、やることはてきぱきして、
専業主婦だった私など、とても出来ないような段取りで事は運びました。

実は私の考えでは、同期だけでこじんまりやるつもりだったので、
「ヒルトンホテル」の和食の店の座敷を予約していたんです。

ところが、同期会の組織を利用して呼びかけたんですが、
男のやきもちってすごいですね。
度量が小さいと言うべきか。

「彼とは親しくないしとか」「彼とは高校違うしとか」あほな返事ばかり。どう逆立ちしたって一部上場企業の社長とは勝負にならないのにねぇ。
その点、女は度量が大きいよね、もろ手を挙げて賛成ばかり。

同期生だけではあまりにも寂しいので1年下の幹事に声を掛けたら、学年を越えて大きく広がり、100名以上になり、
和食の座敷では収まらないので急遽「ワシントンホテル」の大広間に変更しました。

しかし、杉町さんが自分だけの為に集まって頂くのは申し訳ないと辞退なさったので、
じゃぁ「ふるさとを偲ぶ会」にしようと趣旨を変えたのです。

故郷から町長始め三役も出席して、
当時の佐賀県知事、兵庫県知事から祝電もいただき、
佐賀県知事は大町出身で、兵庫県知事の両親は大町出身で共に
武雄高校同窓生。
その時はとても晴れがましかったですね、
人生で一番活気のある時でしたね。

その翌年から毎年「帝国ホテル」や「赤坂プリンスホテル」で盛大に開催していましたが、久しぶりに出席してみたら、なんだか寂しいの。

我々、炭鉱町世代が年を取り若い人たちが入ってこないので、
寂れるばかりのようです。
おまけに去年から故郷からも財政難で来られなくなったし。
今日は80人ほどの出席でした。

あの、輝やいていた炭鉱町時代も、もうず~~っと過去の事、
語る人たちも老兵になって仕舞いました。
私の年代ももう過去の人、消え去る人、老兵なんだなと
しみじみ考えました。

話は変わりますが、
今夜、テレビで秋田県大曲の花火大会を見ましたが、
私、今年は一度も花火を見ていないことに気が付きました。

来年は秋田まで見に行こうと決心しました。