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[228] 運命転換期 2006.4.20  17:11:46   
18/4/20(木)雨、強風、豪雨、晴れ、

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カオハガン島の母屋、島民はビルジングと言っている、
宿泊客はこの風の通るロビーで食事する、帰国前夜は外で星空の下でパーテイだ

渋谷駅で、二度も今悪評の運命鑑定団に呼び止められる。
「奥様、今貴女には運命転換何とかが現れています」

今までは「貴女の額にとても明るいものが見えます」とか
「貴女の額に影が見えます」だった。

そうなんだ、私は今迷っている、決めなければならない事がある。
本当に彼女達に付いて行きたいくらいだ。
信頼の出来る人に鑑定を頼みたいと思っていた。
見透かされているほど、顔に体に表しているんだ。

昨日午後、今日は結論出るかな、と重い気持ちで会社に行った。
社長は留守で、坂憲が明日来れますか、と言う
いや明日は休みます、金曜日午後ならと言う事でその話は延期、
それで私の得意な「居宅介護支援経過」の記入作業をした。

もう私は坂憲から解き放たれたのだ、
とても気が楽で仕事をこんなに楽しいと思ったことはない。

一方、坂憲は前から気が付いていたが「チック症」だ。
今日は特に症状がひどい。
私も何十年も同じ症状のチックに悩んでいた人生だったので
その苦しさは解る。

私のは、小学生の頃から始まった「空せき」緊張すると
余計ひどくなる。
はじめは肺か気管の異常かと思った父はあちこちの医者に
連れて行った。
最後に九州医科大学(小児科)まで連れて行かれた。

そこでくだされた、診断名は「ノイローゼ」
当時ノイローゼなる言葉は世間に無かった。
それで終わり、何の対策も採られなかった。
父は「こんな子供がノイローゼだって」と話題にして喜んでいた。

その原因は父の抑圧による。
私と弟3人のうち父の抑圧に苦しんでいたのは末弟以外全部だ。
末弟はのほほんとした性格でおまけに一番下なので父の風圧が
少なかったのだろうと思う。

我が姉弟は高校を出ると直ちに全員家を出た。
そしてめったに帰らなかった。
私は高校を出るとすぐ家を出たのにその「チック症」は長く続いた。
それが私のコンプレックスだった「どうしたの、風邪ですか」と
言われるのがつらかった、言われると余計ひどくなる。

気が付けばもう今は無い。
父は私が51歳のとき亡くなったが、
いつごろまで続いたのか覚えていない
徐々に軽くなっていったんだと思う。

余談だが、石原慎太郎、ビートたけしもチックだと思う、
彼らも最近は大分軽くなったようだが、
彼らは何に抑圧されていたんだろうか。

こうして軽くなって見ると、坂憲が気の毒に思えて来た。
社長を交えて話し合いをするとなると、
理由を話さなければならないが
それは、すなわち坂憲を非難する事になる。
彼と私は師弟の相性は悪かったが、
彼は若くて重責に耐えられなかったんだと思う。

一方、私は知らない事がたくさんあるのに気軽に聞ける人がいないのが苦しくて暗く、暗く絶望的になって行った。

そして他所に活路を求めたんだ。
でも私はこの会社で7年も働いたが只の一度も嫌な思いをした事が無い。最後までここで働きたいと思っていた。

でも、新しい会社の社長から、何かとアプローチがあり、
私が5月から来てくれるものと期待されている。
新天地で活躍したい気持ちも嘘ではない。

今日午前、いつもの鍼、マッサージに行ってびっくりした。
いつもだと「ここんとこ、肩こりがひどくてつらかったぁ」と言って
ベッドに乗るのに、その決めせりふを言おうとして驚いた。
軽いのだ、どこもつらいところが無いのだ。
もんで貰うと気持ち良いのに今日はただ痛かった。

坂憲にはつらい思いをさせたかも知れないが、
この「一石」を投じた事は良かったと思う。