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[223] 九州行き④ 「噂」 2006.4.2  17:50:05   

大分以前の話だが、田舎で木村拓哉は私達の従姉妹の息子じゃないかとうわさになったそうである。
戦後生まれの由美子(漢字を忘れた)ちゃんは野添ひとみのような
目がパッチリした女の子だった。

絵付け師の従姉妹と歳が近く、隣家に住んでいたので親しくして、
一番最後まで連絡していたそうだが、最近はぱったりと音信が途絶えて、親戚中誰も消息を知らない。

ある年の秋、東京にいた由美子ちゃんは臨月のおなかを抱えて帰郷した。町に一箇所しかない産院で断られたので、自宅で出産することになった。

突然産気付いたので、絵付け師の従姉妹が駆けつけると、
もう出産が始まっていた、
母親である伯母さんは気絶して伸びていたので、
思わず頭を引っ張りだしたそうだ。

すっかりお腹のものが出終わった時、産婆さんが駆けつけたそうだ。
そして伯母さんにお湯はどこと聞いたら「ポットに入っている」と答えた。

伯母さんは子供が出来ないので、養女を貰って育てた、
その養女が終戦間際に義務教育を終わって国策に従い看護婦になっていた頃、戦後、実子が3人も生まれた。
だからその孫の出産時は老婆だったと思う。

その後優しくて善良な伯父さんは幼い子供を3人残して病死した。
当時の福祉はいかばかりだったか知らないが、
社宅を出され、一間しかない小さな壊れそうな家に住んでいた。

明治30年代に生まれた、伯母さんは無学文盲だった。
3人の子供を抱えてどんな暮らしだったのだろうか。

私の祖父は頼母子講の胴元(と言うのかな)をしていたので、
伯母さんがそれで暮らしていけるように手ほどきして譲ったようだ。

頼母子講の胴元をやって暮らしていけるのか私には解らないが、
文盲でありながら、利息の計算などどうやってしていたのだろうか。
当時の母子所帯の苦労は親子共々並大抵では無かったと思う。

そんな故郷は忘れたいと思っても不思議ではないが、
伯母さんが亡くなってから3人の兄妹はふっつりと消息を絶って
しまった。

その男の子は拓哉と名づけられ、しばらくしてその父親が迎えに来たがすらりと背の高い美男子だったそうだ。
当時は東京でバーテンダーをしていたそうである。

次男もキムタクの弟と同じ名前で、その子達が少年の頃同級生が
「息子さんどうしているの」と聞いたら、
ジャニーズ事務所に入っていると由美子ちゃんが答えたそうだ。
キムタクの母親も由美子だそうだ。
偶然とは言え家族3人が同じ名前で生年月日も同じ頃だそうである。

そんな偶然が重なり噂になり、絵付け師の弟が経営する飲食店にも
「由美子ちゃんの息子だって」と頻繁に聞かれるのでキムタクとは
関係ありませんと張り紙しようかと言っていたそうである。

その話をキムタクのフアンである娘にしたら目の色変えてネットで調べたが、父親はコックで夫婦でレストランを経営しているようだ。

由美子ちゃん兄妹はどうして故郷を捨てたのだろうか。
もうその消息を知る術はない。
(後記:ネットで調べましたが、母上の名前も顔も違っていました)