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[211] 奨学金 №2    2006.2.18   23:32:22   
18/2/18 (土) 晴れ 富士山見えず

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これが家? 
掘っ立て柱が立っているだけのジュマールの父、プレドの家


去年の春頃、我が家の子供達が奨学金を貸与及び頂き、
苦境を乗り切った話をしたが、
今回は、私達母娘がフィリピンの貧しい少年に奨学金を与え、
無事ハイスクールを卒業し、医科大学に入学した話をしたいと思う。

貧しいフィリピンのさらに貧しい地域の僻島、
島一番の貧しい父プレドの息子ジュマール・ラボルデはそんな境遇でもフィリピン特有の助け合いのおかげで、明るく暮らしていた。

父親は仕事も無く、いつも酒を飲み、酒盛りがあれば只酒にありつき、挙句喧嘩に明け暮れる、嫌われ者だった、
犬を殺す時はいつも彼の役割、そしてお相伴に与る、
だから犬にも嫌われていた。

母親はそんな夫にあいそを尽かし、消えていた。
ジュマールは島中親戚なので、情けで育っていたのだ。

始めて、カオハガン島に行ったのは9年前の5月だったが、
子供達の写真を撮るといつも彼が入っていて、多分彼は日本人が好きなのか、終戦後GI に群がってチュウインガムを欲しがった当時の日本人の子供と同じ感覚だったのかも知れない。
当時の大半の日本人と同じで、全然寄り付かない子供達もいた。
でも、それが彼の運の良さかも知れない。

崎山さんが島を買って、運営するようになってから、
島の福利厚生は他の地方より格段に向上したが、特に教育が格段によくなった。

島には日本人により「南の島から」と言う会員組織が運営され、
島民の生活向上と教育に力を入れています。
島の子供達をセブに民家を借り入れハイスクールに通学させています。
それは今までの島の暮らしからすれば画期的な事です。

今では、日本に留学している女性もいます。
資料によると、

ハイスクール入学者 44名
卒業者       18名
在学中       19名
中退者         7名

カレッジ入学者(全て個人奨学金)12名
卒業者           2名
在学中            4名
中退者             6名
職業訓練校           2名

その奨学金の規約によると、落伍したものは再度のチャンスは与えられないとあります。

私達が再度島を訪れたのは6年前の3月でした。
ガキ大将だったジュマールも少年になり、
でもやはり私達の目に付く所で遊んでいました。

食堂でディナーを食べている時、当時のマネージャの坂田さんが
「ジュマールも何とかしてあげないと、今のままじゃ、かわいそうだ」
「どうしたんですか」
「セブのハイスクールに行ったんですが、悪い仲間が出来て退学になったんです」

彼は、自分の事を「レオナルド・ディカプリオ」だと称している位のもてる男に成長していたのです。
女の子にもてるので、勉強などしている暇はありません。

彼だけの為に規約を破るわけにはいかないし。
もうチャンスが無いのです。

私は、サン・ミゲルビールで程よく酔って気分が良かった。
「セブのハイスクールに行く為にはどの位掛かるんですか」
「年間、7万位でしょう」
「なぁんだ、そのくらいだったら私が出してあげましょう」
娘も賛同してくれました。
その名称は「さんご基金」としました。

私は酔っ払っていた。
こんな事を想像したら嬉しくなった。
「ようし、この島で1番貧しい少年の輪廻を私が断ち切ってやろうじゃないの」
そして、彼が孫に語る、
「わしが日本人の女性に援助されたおかげで、こうして我々は上流の生活が出来るようになったんじゃよ」と
おもしろい、おもしろい。

実際は、彼は公立のハイスクールは退学になっていたので行けず、
金持ちの子女が行く、ミッションスクールに行ったので、
下宿代、小遣い、被服代で年間12,3万掛かりました。
4年間娘と折半で送金しました。

でも、でも私は純日本人です。
陰徳の似合わない女です。

感謝されないとやる気が失せるのです。
彼ら親子からだだの一度もお礼を言われた事も無く、
ジュマールからは始めに命令されて、しぶしぶ書いたような簡単な英文の手紙が来たきりでした。

そして、セブ一番の医科大学に合格する程の秀才が無事に卒業しても礼状一つ寄こしません。

娘は言います。彼は貧しい家庭に育ったのよ、
そんな事は躾されていないのよ。
お礼を期待するほうが間違っているのよ。
つまり陰徳ですな。

でも、私は生粋の日本人、感謝されれば嬉しくなってほいほいと援助するけど、もう二度とはしたくない、彼は大人になったんだから、幾ら国情が違うとは言っても「有難き」温情を受けたならば感謝を表明するのは世界の常識ではないだろうか。

一昨年の暮れに崎山さんが我が家を訪問されました。
ジュマールが成績が良く、医科大学に行きたいと言っているが
引き続き援助お願い出来ないでしょうかと、お願いされました。

即座にお断りしました。

しかし、もしグループで援助するのなら参加しましょうと申しました。
フィリピンの医学教育は10年も掛かるのです。

まさか、あの貧しい島出身の少年が無理だろうと思っていたら、
なんと合格したのです。

「南の島から」の会報で呼びかける事になり、
1人年間1万円の会費で会員を募る事になり、
私達も早速2万円送金しました。

[212] 奨学金 №3 2006.2.19   20:24:43   
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ジュマールの卒業式 
酔っ払いプレドも今日は嬉しそうだ。
日本人の名誉の為に記す、
崎山さんの報告によると式典で理事長がジュマールのことに触れて
貧しい彼が日本人女性の援助で無事に卒業出来たと言う事を述べられたら、万来の拍手だったそうです。