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令和2年7月24日 (金)スポーツの日 晴れ

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護国仲間は宝です。
護国活動を始めてから13年ほどになります。
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嬉し恥ずかし、花束贈呈はイケメン男子です
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百合が来たらどうしようと杞憂しましたが、
こんな明るい花々でした、ありがとうございます。
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我が家は今花屋状態です

今日は村田さんの音頭で私の退職祝いをして頂いた。
働く者には付き物の定年、退職は誰にでもあることなのに
市井の83歳の老婆の為にこんなにも沢山駆けつけてくださり、身に余る光栄でした。

コロナ騒ぎの最中に命がけでおいでいただき
もう本当に感謝しかありません。
これもひとえに護国活動仲間がいることと村田さんの広い人脈のお陰です。
ありがとうございます。

終了後まだ話したりない連中ですから我が家に河岸を変えて粗茶で
大声でしゃべりまくりました。我が家ではどんな大声でも構いませんのでね、皆さん今日はお楽しみいただけたでしょうかね。

思えば、介護保険が平成12年4月1日から発布されましたが、
その前年に盛んに介護保険の事が報道されていました。
自営の印刷業も先が見えたお先真っ暗な頃でした。

11年の秋頃ヘルパー2級養成の教習に参加して資格だけでも取っておこうと思いました。
卒業するときに感想を述べる時間がありましたが、生意気な私は「介護の勉強をして感じたことは介護される側にもする側にも回りたくありません」と言い放ちました。

介護保険発布の前日の3月31日日付の資格証を頂きました。
だから私は介護保険元年生です。

当時受講生はほとんど家政婦さんばかりで主婦はあまり居ませんでした。
私はどこに行っても一人は好きな人を見つけることにしていますから「私はベテラン家政婦よ、月に60万稼いでいるのよ」と言う勢いのある方と親しくなりました。

卒業後もその研修先の業者から働きませんかと呼びかけがありましたが、その気はありませんでした。

その年の秋頃その方から「1時間2500円呉れる所があるから来てみないかと」お誘いがありました。
私はその当時誘われたら断らないと言う主義に転向したばかりの頃でしたので面接に行きました。

その会社で20年もお世話になろうとは、
業界一の高給を出している会社で居心地のいい会社でした。
介護保険制度が始まったばかりで、こんなシステムで続けたらいずれ介護保険システムは破綻するだろうと言う大盤振る舞いでした。
稼がして貰いましたよ。

厚労省のお役人は東大出の頭のいい方々でしょうが私の頭でも先の状態がみえますのに役人には見えないんですね。
案の定破綻してその後何度も何度も修整を繰り返して今や全然魅力のない仕事になりましたね。

5年働いてケアマネの資格を取りました。
まさか66歳にもなってこの資格が役に立つとは思いませんでしたが、その前年に我が社で10人受験して全滅したことを聞き
私は闘志を燃やしました。
「よう~~し私の実力をお見せしましょうぞ」

働きながらの勉強ですから辛い勉強でした。
全4冊分厚い教科書と過去問を中心に勉強しました。
私は何をやるにもまずパンパラパ~ンとファンファーレを吹き鳴らしますので引くに引けない状態でした。

夜はいつも晩酌するんですが、飲めば眠くなりますので2年も受験生活はやってらんない、どうしてもこの一年で片を付けるんだと必死でした。
おかげで楽勝で合格しました。

暮れに合格の知らせを受けて、年が明けてから介護福祉士の試験がありましたのでついでに挑戦してこれも楽勝で合格しました。
さんごママ、やれば出来るじゃん!

資格は取っておくもんですね、日本は資格社会ですから資格さえあれば門戸も中も広いです。

ケアマネは5年毎に研修を受けて更新しなければなりませんが、80過ぎた頃からもう飽きましたので去年の研修を受けませんでした。3回更新しました。
今年7月14日で資格喪失しましたのでケアマネは辞めることにしました。

しかし嬉しいですね、社長始め皆が辞めるなと言ってくれるんです。
国家資格の介護福祉士としてはまだ働けるんですよ。
あんまり勧められると決心がぐらつきます。
限界まで頑張ってみるかとかね、でももう人様のお世話はやりたくありませんしね、どうしたもんでしょうかね。

老害と言う言葉もありますが、どうでしょうかね。