令和5年5月31日(水)雨

蛇の目傘

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昨日の産経新聞の産経抄に蛇の目傘について述べてあったので
私の見解も述べたい。

大正14年頃まで普通に使われていたようだとありますが。
私の子供の頃は普通に使われていました。
只、終戦前後は物不足で復活させて仕方なく使われていたかどうかはさすが知りたがり屋の私も大人に聞いたことがありません。 

私の家と道路の反対側に家内工業で蛇の目傘を作っている
うちがありました。
私は鍛冶屋さんや手作業されている作業工程を熱心に
しゃがみこんでみている子供でした。
だからその傘作りも熱心にみていて質問もしていました。

ただその家の作業工程は分業の部分行程だったかどうかは
判りませんが、竹で組んだ骨に和紙を張り、
その糊は蕨の根を砕いて抽出した液だそうです。
昔から接着剤は蕨糊だったか知りませんが当時ゴムは南洋からの
戦略物資でしたから民間には回ってこなかったのかもしれない。
柿渋を塗って道路に傘の柄を差す穴があり、
そこに差して乾燥させていました。
狭い路地でしたが当時は車も無いし道路で作業しても
誰も文句を言う人はいなかったんでしょう。

その塗っている物は何かと聞いたら未熟な柿を腐らせた汁で
防水効果があるとのことでした。
柿渋

しかし蛇の目傘は耐久性がありませんでした。
長雨で水を吸い過ぎた傘は重くすっぽりと紙が剥がれるのです。
接着剤が蕨の根から取った植物質ですからね、
水には弱かったと思います。
バラバラになった傘をよく見かけました。

だからいつの頃からか見かけなくなりました。

今に続くコーモリ傘は明治の初めころから一般でも使われるようになっていたはずですから、戦中戦後の物不足の間だけ持て囃されたのでしょうか、詳しい人にお聞きしたい。

その後日本舞踊をちょこっと習っていましたので
蛇の目傘は馴染んでいましたね。