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 「死なないうちに鞭を打つ」古代ローマの格言に
「死んだライオンはウサギにすら侮辱される」とある。

昨今死んだ芸能界のオカマライオンを、
よってたかって侮辱しているようだ。
国会で立憲共産党の議員が追及しているそうだ。
誰に責任があるのかなあ。

ハリウッド女優はプロデューサー・監督に良い役と引き換えに
肉体を求められていたそうだ。
一種の常識だったそうである。
しかし最近になって老女優が騒ぎだし
♯me too なる運動に発展した。
当時はそんなこと(役と肉体の交換)を承知のうえだったのでは
ないだろうか。

原節子も「永遠の処女」などとはとんでもない、
監督から監督を渡り歩いていたそうだ。
今さら何を言っているの。
と女優の卵には全く縁の無い私などぼやく。

今回の騒動ではおかまが♯me tooと言い始めないのだろうか。
今さら大手新聞も書き始めている。
ウサギですね。ほっとけば良いのだ。
不思議なのはLGTB法案を推進している議員が、
我こそはオカマの味方!と叫んで尻馬に乗ら(あ、まずい)
ないのだろうか。

死者に対しては礼をもってする、のは洋の東西を問わないらしい。
日本でも死者に鞭打つことは紳士武士の振る舞いではないと
言われる。

死者に鞭打つどころか墓を暴いて遺骸を辱めるのはシナ・コリアの
お家芸であるが日本にはそんな風習は入ってこなかったようだ。
どんな凶悪な犯罪者でも絞首台から下ろされると、
刑吏は脱帽して深々と低頭する。
シナでは温かい内に内臓を取り出されてしまう。

数ヶ月前業界で著名な自称右翼尊皇家の某氏が亡くなった。
某氏は外国人参政権に賛成、原発には反対、
辛叔玉らと「のりこえネット」なる団体を結成。

和歌山カレー事件の林真須美を支持「オウムは国の宝」発言、
中国人監督の作った反日映画「靖国」を愛日映画と称賛、
「コーブ」という反捕鯨映画も称賛したり、
いやはやひっちゃかめっちゃかな奴だった。

しかし死んでしまったのだから、死者に鞭打ってはならないので
敢えて「某氏」として一言書いておく。
私は某氏を学生時代から知っている。
彼の軌跡を遠くから見てきた。
対話したことも酒を酌み交わしたこともない。

学生時代から大嫌いだった。
その後60過ぎて業界の集会で顔を合わせると、
向こうは私に挨拶しようと近づいてくるが私は避けた。

十数年前中野サンプラザで日本○○学会主催で
彼の講演があり聞きに行った。
内容はくだらなかったが終始基督暦を使い、
それが余りにも耳障りで(彼は著作も全て基督暦を使う)
煩わしくてたまらず、
終わって質疑コーナーで私「先生はなぜ基督暦ばかり使うのですか」と訊いたところ彼は鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をして(ふだんからそんな顔をしていたが)
「便利だからですよ」と一言。
唖然とした。

終了後古老の西正昭氏が日本○○学会の会長に
「なんだこのくだらない講演は!わしはおたくの正会員年間○○円も払っているのに、こんなもの開きやがって!金返せ」と叱りつけ、
会長は巨体を小さくして恐縮するのみ。
私は溜飲を下げたものである。

元号を一切使わず基督暦専門、これだけで彼の話しを傾聴する価値などないことが分かる。

故大江健三郎は「憲法九条は人類の宝」だと言っていたそうだ。
彼がどれほど難解な文章を捏ねくりまわして、人間の本質深淵を語っても、其の人間性への洞察は女子中学生のそれを一歩も出ていない。

「人類の宝」発言で全てが分かる。
某氏の「基督暦は便利」発言も同じである。

某氏は一日一冊を心がけて書物を大量に読んでいるそうだ。
しかし私は彼の著作を読んでも講話を聞いても、
その裏に厖大な知識と思索があったことなど全く感じられない。
それどころか殆どなにも教養を感じられないのだ。

私も無学文盲頭は空っぽだが、業界人の講演を聞いていると
「変だな」とか「あ、まちがっている」とか「この講師今日は準備不足だな」とかもっとひどいと「荒唐無稽」「嘘で聴衆を騙して喜んでいるな」とか感じる。

著作を読めばその作者の背後に厖大な古典があることも
感じられる。
しかし彼には全く何もないのだ。
ありがたがっている人の気が知れない。
それはさて措き、死者に鞭打つのはよくない振る舞いで
あるらしい。

従ってこのたび「死なないうちに鞭を打つ」ことにした。
棺桶に片足突っ込んでいる奴らの悪口を、
まだ息のある内に本名を挙げて悪口を言おう。
第一回は河野洋平(86)である。
乞うご期待。
河野洋平