おてんば86歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

2020年12月

静かな夜


令和2年大晦日 

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今年の皇室カレンダーのご一家お揃いの写真、
捨てるの勿体無いので額縁替わりに段ボールに貼って飾りました。


今日はなんとしても気になっていたテーブル上の読みかけの
新聞や雑誌や文書類を整理しなけりゃ年が越せない。
休み休みだから一日がかりでやり遂げましたよ。
一応目を通してからゴミ袋一杯捨てました。
しかしまだまだ気になるところがありますが、まっいいでしょう。

日が暮れてから散歩にも行きました。
今日の歩数は5542歩 4㌔
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ワシントンホテル
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京王プラザホテル
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ハイアットリージェンシー東京
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ヒルトンホテル
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水の広場で何やらイベントが
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お芝居をやっているのをホームレスらしい風情の方々が座って見ています
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警備の方に聞きましたら、例年の行事の炊き出しだそうです
しかし火は使えないので炊き出しではなくて弁当配布らしい
こんな寒い夜は暖かい炊き出しがいいな

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今日の昼夜食 同じ物を食べました、
胃が重いのでご飯はなし

ほっと落ち着いてそうだ今日は大晦日だ、紅白を覗いてみるかなと
つけましたが、幼児みたいな少女たちが歌って踊っているのをみたら、すぐにスイッチ切りました。
趣味が合いません。
サイレントナイトがいいです。
例年と違う歳の瀬です。

皆さまありがとうございました!


令和2年大晦日

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皆さま一年間私の身辺雑記にお付き合いくださいまして
ありがとうございました。

高尚なことは書けませんが、83年間生きて来て老いを迎えて高齢老人はどんな心境で暮らしているのか、皆さまもこれから歩まれる道なので聊かでも参考になれば幸甚でございます。

現役をやめてから責任がなくなり気楽な日常ですが、
こうして日常雑記を書くことが張り合いになっております。

これからが楽しみです、
果たして私は恍惚の人になるのでしょうか。
それもこれも死ぬまで書き続ける所存でございます。
どうか恍惚日記もお楽しみお付き合いください。
最後は娘がジエンドしてくれるでしょう。

皆さま良き新年をお迎えください!


シニアナビ過去記事(415)「「南の島から」交流会


 [415] 「南の島から」交流会 2007.3.11  22:58:03   
19/3/11(日)晴れ

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これが店の入り口、
こんな構えで商売が成り立つのは「神楽坂」故でしょうね。


昨日の話
カオハガン島を愛する人達の交流会が年に数回あるが、
私も気が向けば出ている。

島のオーナー崎山さんとそのパートナーの順子さんが日本にいる時は出席なさるので、出席者が多いのだ。
昨夜も30人ほどの出席者、顔見知りも多く楽しいひと時、
島に魅せられた人たちがこんなに沢山いるんだ。

昨夜の会場はリピーターの女性が経営している神楽坂のお店。
最近のヒットドラマ「拝啓父上様」の影響で神楽坂は人気スポットに
なっているらしい。
私も一度だけ行った事があるが、
また行ってみたいなぁと思っていた所だ。
以前行った時「あわぜんざい」を始めて食べたが、
その味が忘れられない。
家で再現してみた事もあるが、矢張り本場ものを食べたいものだ。

会場は細い裏路地の本当に庶民のしもた屋、
道路に面した所にトイレがあり、
狭い玄関からいきなり階段があり、二間をぶち抜いて板の間にして、座布団に座って飲食するのだ。
押入れも襖が外してある。
へ~~、こんな所で商売が出来るのだとほとほと感心したわ。


さて今日は千葉在住の友人のすすめで彼女の知り合いが出演する
「東北大学男性OB合唱団・Chor青葉 東京演奏会2007」を
東京オペラシテイに聴きに行った。
ほとんど、シニアのおじ様達で矢張り往年エリートだった男性は
知性的で素敵だ。

私達は特別招待席のすぐ後ろに座ったが、
すぐ前に画家の「安野光雅」氏と
作曲家の「森ミドリ」さんが座っておられた。

安野氏は混声合唱のための組曲「津和野」の作詞をなさり、
森さんが作曲なさったので自作の鑑賞にいらしていたのだ。

安野氏はお風邪を召されているらしく顔の半分も隠れるほどの
マスクをしておられた。舞台で花束贈呈の時は取られたが。
安野氏は81歳になられるんですね。

私の風邪もはっきりしない。

所で、佐世保から電話があり叔母さんが今朝亡くなられた。
明日早朝に長崎空港着の飛行機で発ち、
13時からの告別式に出席する。
帰りは19時の最終便、家から喪服を着て行く。
あちらも風が冷たいらしい。
(後記:母のすぐ下の弟の嫁さん)
明日の仕事は男性ヘルパーにお願いした。



村田春樹です 映画「日本独立」


去る28日、日比谷で映画「日本独立」を見てきたので雑感を少々。

面白くて血沸き肉躍る、ほどではないが、要はいかに現行憲法が
GHQに押し付けられたものか、を描いた映画で、
是非とも多くの日本人に見ていただきたいものだ。

映画にはしばしばマッカーサー元帥(以下マック)の執務室が登場した。この部屋は日比谷の第一生命ビルに保存されており、
この映画はそこでロケをしたことがわかる。

平成25年に封切られた「終戦のエンペラー」(トミー・リー・ジョーンズがマックに扮した)では事前に建物内外を詳細に撮影して、 
極端におどろおどろしくフレームアップしていた。
今回の作品は誇張なしでそのままロケしたようだ。

私はこの会社に長年勤めたので、建物や執務室が出てくるたびに少々胸が躍った。
映画にもたびたび出ていたが、マックの執務机には抽斗(引き出し)がない。
ある人がなぜ抽斗がないのか尋ねると。
マックは「軍人は常に即断即決である、余は翌日に持ち越さない。」と言って、感心させたそうである。

マックは兎に角芝居がかったことが大好きだったらしい。
昭和20年1月のルソン島リンガエン湾上陸の際の、あの膝まで没して歩いて上陸する有名な写真は、従軍カメラマンに何回も撮り直しさせたそうである。

実はあの執務机は第一生命ビルが接収される前、
同社の社長だった石坂泰三が使っていたものなのだ。
椅子も同じく。

映画でマックは例のコーンパイプを愛用していた。
しかし事実とは異なる。本当の彼はブライヤー(ある植物の根っこ、パイプの高級素材)の最高級品を好んでおり、兵隊に姿を見せるときのみ二等兵の使うコーンパイプをわざわざ使っていた。

マックの執務室つまり第一生命の社長室では歴史が刻まれてきた。戦時中、第一生命ビルは東部軍管区に接収されており、社長室の同じフロアにあった会長室は司令官田中静壹(せいいち)大将が使用していた。
田中大将は昭和20年8月14日夜の例のクーデター未遂(玉音録音盤奪取)事件を鎮圧した。その10日後24日にあの会長室で自決された。

私が入社した頃、本社のどこかに大将の揮毫が飾られていたと記憶している。この田中大将の自決については詳細を来年8月のご命日に書きたいと思う。

さてこのようにあのビルは大日本帝國の歴史を刻んできた。
昭和27年GHQから返還されて、あの部屋は執務机はどかされ、
最も格式の高い部屋として使われてきた。

卑小な話に転じて申し訳ないが、我が人生の歴史の節目も刻まれてきた。私は22歳で入社したがその日昭和48年4月1日、あの部屋で社長から辞令をもらったことをよく覚えている。35歳で営業所長として懸賞論文最優秀賞・営業成績最優秀賞に輝き、あの部屋で表彰状を貰いその足でハワイ招待旅行に行ったことも忘れられない。

さて映画に戻る。
劇中、吉田茂が川柳を詠んだ。
「新憲法棚の達磨も赤面し」
笑える。
この一句ですべてを物語っている。

また永井荷風の日記「断腸亭日乗」昭和二十二年五月三日に
「米人の作りし日本新憲法今日より實施の由。笑ふ可し」と
あることが、映画の中で紹介されていた。

嬉しくなって帰宅して久しぶりに「日乗」を繙いたが、
やはりその通りにあった。

この赤面ものを崇め奉り世界遺産にしろだの
ノーベル平和賞だの、まじめに言っている日本人が多い。
笑ふ可し、大笑ひすべし。

駄文最後までお読みいただきありがとうございます。
皆様良いお年をお迎えくださいませ。  
                      以上

食欲は無いけど食べる


令和2年12月30日(水)曇り後晴れ


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この雲の下が多分環状線だと思う

武漢肺炎検査が終わって帰宅後お煮しめ作りをしました。
武漢肺炎じゃなくてほっとしましたが、本命は心臓です。
こっちの方は相変わらずです。
こんな医学の進歩した世の中で私の不安を取り除くことは至難の業なんでしょうか。

お煮しめは昆布と鰹節で出汁をとって煮ました。
最近は簡便な出来合いの出汁でやっていますので天然の出汁は
濃い味ではないですね。
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例年はこのほかに紅白膾を作りますが、今年は鏑漬けで
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今年も黒豆を煮ました、8時間コトコトとストーブで煮ます。
いつもだと丹波黒豆で煮るんですが今年はありませんでした。
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煮汁が身体に良いと言うのでいつもとっておくんですが、
糖分が怖くて途中で捨てますね、でも今年は飲みます。


素材別に煮ましたが、そんなに旨い物ではない、
しかし私は例年こんな粗末なお正月料理で済ましています。
他人様も来ませんのでね、これでいいんです。

誰も来ないと言えば、婿さんが旅行に連れていけなかった
お詫びに蟹を沢山贈って来ましたよ。
年末に鍋をしようと言っていましたが、
今日あたり食欲が無くてむかむかすると言っていましたので、
年が明けてからしようと言っています。
それまでに体調を整えておこう。

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生で食べられるのもあります
早く胃を整えよう、胃と言えば先生に訴えたら
薬屋で胃薬買って飲みなさいと言われました。
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今夜の夕食、残り物で、一番美味しいのは蛤吸いです
ご飯は食べませんでした。
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今日は散歩無し、我がマンションから






プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

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