おてんば84歳・・日々録

昔読んだ、女流作家城夏子さんの「お転婆70歳」と言う本が好きでした。 介護保険制度が始まった平成12年から介護の仕事に入り、 67歳から介護支援専門員を83歳の6月まで現役で務めて参りました。 これからの人生は面白おかしく気ままに過ごしたいと思います。 死ぬまで書き続けますから応援お願いします。

2020年08月

シニアナビ過去記事(230)「二転三転」


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[230] 二転三転 2006.4.22  22:31:14   
18/4/22(土)晴れ 朝のうち富士山見える

土曜日だと言うのに早朝目が覚めて、その後まんじりともしない。
やはり、あの事。
すっきり、納得していない。
なぜだ、なぜだ、なぜにこんなに心がふさぐ。

今日は新しい会社の社長にお断りに行かねばならない、
お断りするなら早いほうが良い。

娘は新天地で羽ばたいたほうが良いと言う。

えぇ~~い、風呂入って考えよう。

両者のメリット、デメリットを並べてみる。

今の会社
① 会社の様子がわかっている、居心地良い。
② 経営が安定している、介護保険開始と同時の介護事業創業、
  従業員60名以上
③ 先輩と相性が悪い、
  彼の「今度から、教えて欲しい時は前に習ったけど、
  忘れたのでもう一度教えて下さいと言って下さい」と言った
  言葉が一番引っかかっている。

勿論、私は意地でも言ってやるつもりだったが、なんだかむなしい。

新しい会社
① 心気一転、一から出直せる。
② 社長の気質、社風が不明
③ 創業浅く(2年)従業員20数名

さぁどうする、どうする。
娘と話あった結果、心気一転することにした。

親友に話してからあらためて挨拶に行こうと家を出た。
そう決めたら、気がかる~~くなって、鼻歌が出た。

♪ここが、ここが二重橋、記念~の写真をとりましょうね♪
なぁ~んてね。

ところが親友は厳しい顔して反対するのです。
やはり辛抱が大切だ、どこに行っても、気の合わないやつ、嫌いなやつは居る。
辛抱して先輩の仕事を早く盗んで覚えて一人前になったほうが勝ちだと。

彼女が赤坂の料亭で仲居を長年やってきたなかで、何人もの意地の悪い先輩同輩に苦しめられてきたが、辛抱して仕事を覚えて今は私の勝ちだったと思えると。

昔、先輩二人にタッグを組んで苛められていた時、
ある、野球のリーグの会長が部屋に呼んでくれて、
「ママから聞いたよ、大変だねぇ、でも辛抱が肝心だよ、私の居る業界などもっとひどい人間が一杯居るよ、でもね、ホウ、こんな不思議な人間も居るんだぁと人間観察していたら、面白かったよ」
としみじみ教えられた事が、その後の人生に灯りが灯ったそうです。

う~~ん、どうしよう、そう言われても、坂憲にはもううんざりなんだ。

彼女と別れて、恥ずかしながら、新宿は伊勢丹前に行った。
「新宿の母」に相談してみようと。様子は分からないけど行って見た。

「母」は居なかったけど、「新宿の父」が居た。ぽつんと。
行きつ戻りつした挙句、意を決して前に座った。

生年月日、名前を聞かれた、姓名判断と四柱推命と方位で判断するようだ。
名前は、通称と戸籍名と父が命名した三個があるがどれもよくないそうだ。
(でも改名などしませんよ~だ)
強いて言えば戸籍名が良いそうなのでこれからはその字を書きましょう。

「それで今日は何を聞きたいの」
「転職です」
「その歳でまだ働いてるの」と言われた。
(おじさん、あなただって私とたいしてかわりはなさそうなのに
働いているではないですか)と心の声

方位は両方の会社はどっちもよくないので、
西北の方向にある会社を探して就職したほうが良い。
「ちょっと~、どっちかに決めたいんだけど」

おまけに介護の仕事は向いていない、年寄りや困難な事例を見ているのは良くない
若い人相手の相談やコンサルタントのような仕事が向いているのでその資格を取ってやったほうが良い、
「ちょっと~、もう勉強はしたくないんですけど」

「私など、こんな場所でやっているので、若い人がほとんどだよ、
たま~にあんた位の年寄りが来るけど、やはり若い人を相手の仕事がいいよ」
「悪かったね、あんまり役にたたなかった、いや何の役にも立たなかった」
振り出しに戻る。
3000円也

明日、又考えよう、何しろ新しい会社に早く返事をしなければ迷惑掛ける。

シニアナビ過去記事(229)「性格改造」


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[229] 性格改造 2006.4.21  23:49:37   
18/4/21(金)晴れ 富士山見える

229_picture
本場ニューヨークのベーグル(左)と私のベーグル

今夜はなんだか気が晴れない。
午後から会社に行って、いよいよ坂憲と対決。
社長はいなくて、二人で話し合い。

冒頭、彼は月曜日のケアマネ会議の後、多分私が帰ってからだと思うが、系列の社長に「お叱りを受けたそうだ」

系列の社長と坂憲はかって恩義があって上下関係のあった仲。
「君は、もう昔と違ってかりにも部下のいる管理者になったんだから、昔のままでどうする、少しは成長しろ」と
他にも彼の被害者や我が社長にも散々言われたらしい。

反省していると言っていたが、でも性懲りも無くこんな事も言う。
「さんごママが二度目に聞く時、前に習ったけど、忘れたのでもう一度教えて下さいと言えば、気持ち良く教えるのに、習ってないと言うから、カチンと来た」と

ちっとも反省してないよね、

彼が出かけてから、事務職の人たちが、私が一番へりくだって教えを乞うている。
他の人はそこまでしてませんよ、あんまりへりくだるから
彼、図に乗っているんですよ、はっきり文句を言ったほうが良いですよと助言された。

前の仕事先で窓際に追いやられ悔しい思いをしていた一回り年下の女性を、この業界に誘ったが「ため口」をきくので嫌いになった後輩がいるが、その人は平気でなじんでいる、礼など一言も言わないようだ。

今の私に必要な物、それはざっくばらんな気楽さ
でも私には「ため口」は似合わない。

やはり、この会社が好きだし、
利用者の事が一番気がかりだったので引き続きこの会社で働く事にした。
これからは私も嫌な時ははっきり文句を言おうと思う。

でもなぜだかすっきりしない、新しい会社の社長にも申し訳ないし、新天地で羽ばたこうと思っていたのに、又ぬるま湯に入るのかと言う気分なのか、すっきりしない。
なぜだろう、なぜだろう。

娘に相談したら、
人の性格は変わらないよ、反省したと言っても又しばらくしたら元に戻るよ、止めると決心したら、肩の荷が下りたんでしょ。
又繰り返すよ。
この際、求めてくれる社長の元で働いた方が良いと思うよと言う。

坂憲に他の会社に行こうと思っていると言ったら、
他所は厳しいよ僕でも他所に行ったら勤まらないと思うと言っていた。

私が二人欲しいよ、両方で働いてみたい。
あぁ 誰かアドバイスして下さい。

話は変わりますが、
最近、ベーグル作りに行き詰っています。
味はともかく、表面が滑らかでないし、
誰か、本当のレシピを教えてくれないかな。

そんなわけで、娘が仕事でニューヨークに行ったので、
本場もんのベーグルを買ってきて貰いましたが、
これもどうもね、以前食べたのと違うようだし、
なんか軽そうなの、
私の信じるユダヤ人の本物のベーグルはどこ。

シニアナビ過去記事(228)「運命転換期」


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[228] 運命転換期 2006.4.20  17:11:46   
18/4/20(木)雨、強風、豪雨、晴れ、

228_picture
カオハガン島の母屋、島民はビルジングと言っている、
宿泊客はこの風の通るロビーで食事する、帰国前夜は外で星空の下でパーテイだ

渋谷駅で、二度も今悪評の運命鑑定団に呼び止められる。
「奥様、今貴女には運命転換何とかが現れています」

今までは「貴女の額にとても明るいものが見えます」とか
「貴女の額に影が見えます」だった。

そうなんだ、私は今迷っている、決めなければならない事がある。
本当に彼女達に付いて行きたいくらいだ。
信頼の出来る人に鑑定を頼みたいと思っていた。
見透かされているほど、顔に体に表しているんだ。

昨日午後、今日は結論出るかな、と重い気持ちで会社に行った。
社長は留守で、坂憲が明日来れますか、と言う
いや明日は休みます、金曜日午後ならと言う事でその話は延期、
それで私の得意な「居宅介護支援経過」の記入作業をした。

もう私は坂憲から解き放たれたのだ、
とても気が楽で仕事をこんなに楽しいと思ったことはない。

一方、坂憲は前から気が付いていたが「チック症」だ。
今日は特に症状がひどい。
私も何十年も同じ症状のチックに悩んでいた人生だったので
その苦しさは解る。

私のは、小学生の頃から始まった「空せき」緊張すると
余計ひどくなる。
はじめは肺か気管の異常かと思った父はあちこちの医者に
連れて行った。
最後に九州医科大学(小児科)まで連れて行かれた。

そこでくだされた、診断名は「ノイローゼ」
当時ノイローゼなる言葉は世間に無かった。
それで終わり、何の対策も採られなかった。
父は「こんな子供がノイローゼだって」と話題にして喜んでいた。

その原因は父の抑圧による。
私と弟3人のうち父の抑圧に苦しんでいたのは末弟以外全部だ。
末弟はのほほんとした性格でおまけに一番下なので父の風圧が
少なかったのだろうと思う。

我が姉弟は高校を出ると直ちに全員家を出た。
そしてめったに帰らなかった。
私は高校を出るとすぐ家を出たのにその「チック症」は長く続いた。
それが私のコンプレックスだった「どうしたの、風邪ですか」と
言われるのがつらかった、言われると余計ひどくなる。

気が付けばもう今は無い。
父は私が51歳のとき亡くなったが、
いつごろまで続いたのか覚えていない
徐々に軽くなっていったんだと思う。

余談だが、石原慎太郎、ビートたけしもチックだと思う、
彼らも最近は大分軽くなったようだが、
彼らは何に抑圧されていたんだろうか。

こうして軽くなって見ると、坂憲が気の毒に思えて来た。
社長を交えて話し合いをするとなると、
理由を話さなければならないが
それは、すなわち坂憲を非難する事になる。
彼と私は師弟の相性は悪かったが、
彼は若くて重責に耐えられなかったんだと思う。

一方、私は知らない事がたくさんあるのに気軽に聞ける人がいないのが苦しくて暗く、暗く絶望的になって行った。

そして他所に活路を求めたんだ。
でも私はこの会社で7年も働いたが只の一度も嫌な思いをした事が無い。最後までここで働きたいと思っていた。

でも、新しい会社の社長から、何かとアプローチがあり、
私が5月から来てくれるものと期待されている。
新天地で活躍したい気持ちも嘘ではない。

今日午前、いつもの鍼、マッサージに行ってびっくりした。
いつもだと「ここんとこ、肩こりがひどくてつらかったぁ」と言って
ベッドに乗るのに、その決めせりふを言おうとして驚いた。
軽いのだ、どこもつらいところが無いのだ。
もんで貰うと気持ち良いのに今日はただ痛かった。

坂憲にはつらい思いをさせたかも知れないが、
この「一石」を投じた事は良かったと思う。

これは縮図か


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令和2年8月27日(木)晴れ

今日はデイ③に支那料理を食べに行く日だったが、中止した。

朝社長から電話があってもう一人のデイ②の調理人が都合悪くなったので又にしようと言う。
私も忙しい身なのでそれはいいんだけど丁度良い私の意見を言ってみました。

「料理はとても美味しいけどすべてが支那料理と言うのは食べるじいさんばあさんは昭和の日本人だから、口に合わないと思う、
せめて汁物は味噌汁、お吸い物、御漬物は糠漬け、お浸し、酢の物にするだけでいいから純日本風にした方がいいと思うよ」
『でもね、彼女はいろんな意見を言われてノイローゼになって医者に通っているのよ、中国人に日本料理を作れっていうのが無理なのよ』と言ってがんとして聞かない。
それと、その支那人は社長を味方につけてあの人がこう言った、この人がこう言った、だからノイローゼになったと訴えるらしい。

もう彼女には何も言えないですね、社長は彼女に辞められると困るのですっかり彼女寄りです。
意見を言った人が悪者にされます。
私は社長に直に言いましたからいいけど、これが直に支那人調理人に言ったら私も悪者にされますね。

しかしここは日本の老人施設ですから、日本風に従うのが筋だと思うのですが、まるで現代の支那と日本の関係ですね。
大勢で押しかけて来て支那風味を押し付けられて日本人は何も言えない。
情けないです。

社長も言っていましたがモヤシのお浸しはとろりととろみがついていたし、冷ややっこを作るように言って薬味はネギと生姜と醤油だけでいいと言ったら、これでは栄養が無いから支那風味の何とかを掛けると言い張ったそうです。

なんでもこれは何にいい、これは何にいいと薬膳効果を言うそうですが、薬膳と言う言葉はあれは日本人が始めに提唱した言葉なんですよ。
知ってた!!

明日から二泊三日で旅行に行きます。
伊勢方面です。
明日早いから今夜は早寝します。

シニアナビ過去記事(227)「お取り寄せ」


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[227] お取り寄せ 2006.4.18  15:19:32   
18/4/18 (火) 晴れ 暖

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佐野名物の「桜あんぱん」を召し上がれ

午前、例のご夫婦宅を訪問したら、ご主人の弟さん夫婦が昨日から泊りがけで滞在されていて、私を待っておられた。

私が甥にFAXで現状を伝えておいたが、その方の父親であった。
昨日から栃木の故郷で10人兄妹のうち、まだ5人元気でいるから、
近くで暮らそうよと説得なさったようだ。
お金もあるし、土地もあるし、立派な有料老人ホームで暮らせるはずだ。

私は、本当に安心した。
これから、まだまだ一波乱あると思うけど、幸せな老後を過ごしてもらいたい。
私も無い知恵を絞ってお力になるつもりだ。

お礼に鹿沼名物の酒饅頭を頂いたが、さぁ困ったな。

実は佐野名物の桜アンパンを25個も取り寄せて、
今日到着したのだ。

先日、恵比寿の三越で栃木物産展を開催していて、
そのとき買った「佐野名物の桜あんぱん」がえらく気に入った。

上品なほど良い甘さの、漉し餡(私これに目がないの)
桜の花と葉がほんのり香り、
3個(5個入り)食べて(私一人ではないよ)
あくる日食べようと楽しみにしていたら、
「ないっ」
床には食べ散らかした包装紙の散乱、
あの、四足の二匹にやられたぁ~~
その時は娘が楽しみにテーブルに置いておいた
チーズケーキも二個やられた。

その後、連中の便の量が異常に多かった。

それから、執念深い私は、漉し餡パン、漉し餡パンと騒いだ、
そして三越に行ってメーカーを確かめ、ネットで調べて注文した。
1袋から5袋までは送料が同じだったので、5袋注文したが、
知性のない私のお腹に全部入らないように、友達と師匠にも上げると電話した。
もう一人くらい上げてもいいな。
プロフィール

mamasango672

さんごの若かりし頃、姿も立ち居振る舞いも立派だった。
20年程介護の仕事をしてきました。
この度(令和2年)83歳で惜しまれながら引退しました。
これからは死ぬまで面白おかしく過ごしたいと思います。
令和2年7月6日記す!

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